「『ぬけぬけとよう帰ってきたのう』」男たちの大和 YAMATO マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
『ぬけぬけとよう帰ってきたのう』
恐らく、2005年の映画だから、敗戦50周年での記念作品なのだろう。
しかし、日本がアメリカから自由を奪われた理由の様な映像だ
さて『最後まで戦います』と宣言するのはいっこうにかまわない。でも、それでも、負けた訳である。だから『さっさと白旗をたてて私は逃げます』って言葉も必要だ。
さて、1945年から1947年位までに生まれた人達を『団塊の世代』と揶揄することがあると思う。それは少子高齢化の今言われ始めた理由では無い。僕が生を受けた頃(昭和32年)から言われていた。親父(昭和5年生まれ。戦争に行けなかった最初の世代)の言葉を引用する。
『お国の為に戦った本当の兵隊さんは、お国の為に死んだんだ。運良く生き残って帰って来た奴ら(ママ)がやる事無いから本能に任せたんだ』と言っていた。団塊の世代はそんな風に思われていたのだ。根性がひねくれた親父ではあったが、間違いではないと思う。しかし、理由は『平和になって死ぬ事が無くなったから』である。言うまでもなく、彼等団塊の世代は、日本の高度経済成長の下支えをしてきた世代である。こんなアドレナリンもコントロール出来ない戦前、戦中世代とは違う。ある意味戦後の冷静な日本人の元になった世代なのである。もっとも、脱亜入欧は色濃く残り絶滅危惧種大和民族になってしまったが。
こう言ったアナクロでエキセントリックな映像を冷静に鑑賞出来る『精神の自由』を磨こう。
『ぬけぬけとよう帰ってきたのう』
上野の山には片足が無い白装束の兵隊崩れ(ママ)が戦後15年以上経っても沢山いた。我が亡父は『国から金もらって、働きたく無いから障害者のふりしているだけだ。戦争に負けて恥かいて、根性までひねくれているんだ(ママ)』さて、親父はJAZZとアメリカ映画が好きな脱亜入欧野郎だったが、多分地獄にいると思う。