ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ : 映画評論・批評
2002年2月15日更新
2002年2月23日よりシネマライズほかにてロードショー
“化粧顔”が見事なヒロイン=ヘドウィグにゾッコン!
オフ・ブロードウェイで2年半ロングランしたグラムロック・ミュージカルの映画化。監督・脚本・主演のジョン・キャメロン・ミッチェルはその初演キャストで、マドンナもD・ボウイも、彼の声に聞き惚れたそうな。
なるほど、ヒロイン=ヘドウィグにゾッコンになってしまうステキな映画だ。全編にあふれるすべての歌が素晴らしく、D・ボウイやルー・リードのファンにたまらないどこか懐かしいメロディは、思わず口ずさんでしまうほどだ。熱く熱くシャウトされる意味深な歌詞(プラトンの「饗宴」の中の一節「愛の起源」からとられ、愛って自分の“カタワレ”を探すことなのと歌われる)がいい。彼女がドサ回りして歌うのは場末の店ばかり。愛と希望でいっぱいの、広大なテーマ性を持つ歌詞とのあまりのギャップに、より惨めに映るのだ。ああ、痛。
グラムロック時代のスターのようにキンキラの衣装を着、ウィッグをつけて歌う彼女は、見るからにドラッグクイーンだ。涙に暮れれば、つけまつげは取れ、溶けたマスカラで目元は黒くなる。眉毛の描き方ひとつで、感情の変化を微妙に表現させる“化粧顔”が見事の一語。
ウィッグをとり、ケバい化粧をとるとき、“彼”は真実の愛を見つけるのだろう。そのラストに心震えた!
(サトウムツオ)