劇場公開日 1997年5月10日

「頂点で時間(とき)を止める」失楽園 pipiさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0頂点で時間(とき)を止める

2021年6月5日
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鑑賞方法:映画館

悲しい

知的

難しい

最高のように見える愛も、すべてはいつか移ろふ・・・
それくらいならば、愛の頂点で時間を止めたい。
凛子が辿り着いた結論である。
非常にエキセントリックな考え方であるが、九木は愛する女の希望を叶える道を選ぶ・・・

九木自身には心中願望は無い。という点は非常に重要である。クライマックス、窒息症状の恐ろしい苦しみの中で、男性サイドが凄まじい精神力にて女性を抱きしめ続けていない限り、あの結末は実現しない旨が小説内では述べられている。
九木の行動理由はあくまでも「愛する女の希望を叶える」事なのだ。
(しかし、その選択が出来るのは家庭や社会的地位などが壊れたからである。それらの柵(しがらみ)が残っていれば、歯止めは効いただろう)

凛子にとっては「現時点が愛の至高」と感じられる「九木との愛」が、いつかまた脆く崩壊していくかもしれない事こそが「最大の恐怖」なのだ。
未来は誰にもわからないが「究極の愛」のままで時を止める選択は一種の「美」そのものでもあるだろう。

本作のテーマは不倫でもなければ、性愛でもない。
「いつかは必ず移ろふ、愛という幻想の虚しさに対する抵抗の形」だと見た。

不倫という設定や性愛描写を用いる方が本作のテーマを描き易い事と、性愛を描かないのはリアリズムに欠ける事から、その部分も精緻に描かれてはいるが、不倫と性愛抜きでもこのテーマに迫る事は可能だと思う。
(だから、徒らに性愛部分を強調しているように思われる川島なお美主演のTVドラマは敢えて一切見なかった。)

論理で割り切れない人間の感情の揺れ。
渡辺淳一先生は
「人間の生命力の根源はエロスであり欲望。そこにいやらしさではなく、いとおしさを感じるんだ」
と語る。
論理的に分析しようとすればフロイトに近いのであろうが、渡辺淳一は論理ではなく「美学」でアプローチする。

元来、論理の具現化である「数学」と、
一見正反対の感性からスタートする「美術」は表裏一体だと個人的には考えている。
ギリシア哲学の賢人達は2000年以上も前からそこに気付いていた。

留める事の出来ない「人間の生」
春夏の後には必ず秋冬が来るように。
若さの頂点を過ぎれば必ず老いと衰えがくるように。
繁栄のあとには衰退が来るように。
形あるものは、いずれ必ず失われていく・・・
「留めよう」と足掻くか?
「流れる先にある」未来を見るか?
人間に課された普遍のテーマだ。

アンチエイジングやら美白やらで一喜一憂する手合いには、本作をただの低俗な不倫映画と貶める資格は無いように思う。(低俗三文小説ならば森田芳光が指揮を執るだろうか?日経が掲載するだろうか?)

今回「るろうに剣心 最終章beginning」を観て「失楽園」が重なった。
「若くて無垢な純愛」と「人生遍歴の末に辿り着いた生々しい恋愛」というまったく正反対のシチュエーションだが
「愛のもたらす、美しい哀しみと苦しみ」を描いている点で非常にオーバーラップして見えた。
(るろうにファンには激怒されそうだが、事実だから仕方がない)

失楽園をクローネンバーグの「クラッシュ」に例えるならば、るろうに剣心はフランス映画の名作「禁じられた遊び」なのである。
う〜む。これだから映画って最っ高に面白い!

pipi