失楽園のレビュー・感想・評価
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役所広司と黒木瞳が格調高く、W不倫の末路を・・。
1997年作品。
監督・森田芳光。原作は渡辺淳一のベストセラー小説。
役所広司と黒木瞳が綺麗でした。
今やレジェンド俳優の役所広司と、黒木瞳も今も第一線で
全く老けない美貌を誇っている。
そんなお2人の若き日の思い出の映画。
W不倫のドロドロとか描かず、ひたすら惹かれ合い
会わずにいられない気持ちを、
ただただ美しく描かれてる作品でした。
役所の妻役の星野知子(珍しい)の夫を見る目が、冷たい。
「陰でこそこそ、何してるかお見通しよ」的な、
凍った空気を背中で雄弁に感じさせる。
「行ってくる」と声を掛ける夫に、
振り向きもせず、「いってらっしゃい」
結局、役所広司と黒木瞳は情死するのだが、
映画が終わり画面が真っ白になり、文字が書かれる。
「死体検案書」
その中身はとても書けない。
とてもショッキングな内容で、
そんなにも2人は性愛に溺れていたのか?
さすが医者の渡辺淳一の小説だ。
冷めた目で情死を生物学的に総括している。
肉体こそが魂の神殿
個人評価:4.0
お互いの肉体への追求。
全てを失っても、お互いの肉体を手に入れる。
三島由紀夫が肉体を魂の神殿と例えた様に、肉体の追求こそが、究極の愛の結晶だと本作から感じとった。肉体こそが人間の本質だと。
黒木瞳の旦那(一般男性)が羨ましい
黒木瞳の旦那(一般男性)が.う.ら.や.ま.し.い(。’’。)
あくまでもカレーパンについて、その魅力を考えてみたが、結末はこうだ。「カレーパンは月に1度食べたくなるもんな。あれ?でもカレーライスは週1で食べたくなるな。」
50を超えてからわかるもの
公開当時、彼女にただのエロ映画と言われ、見てませんでした。当時、30歳位。
50歳を超え、恋愛について思うところがあり鑑賞。
エロについては、確かにエロい。
現代のエロと比べると、露出は少ないが、確かにエロい。
絵の撮り方と俳優の表情がエロいのだ。
さすが、森田監督だと思わされた。
恋愛とセックスが、違う次元で考えられていて、そこが両方とも最高に良いから運命の人であるという感覚がよくわかる。
肌を重ねて、どちらかわからなくなる感覚もよくわかる。
観てみたかったのは、50歳過ぎの大人の割り切った恋愛だったが、ここには、若い情熱があった。
渡辺淳一は、自分の体験を作品に反映させているらしいが、この情熱は若い。今の自分には出来ない。30半ばで同じような感覚の経験があるが、若気の至りで結末は苦い思い出。
性欲と恋愛は奥が深い。
50歳過ぎの仕事の下り坂と恋愛の付き合い方は共感できました。
永遠に溺れる大人の恋
『局所迄結合したまま抱擁した2人は死後硬直で容易に剥し得ず…』とんでもない結末ですが相手が黒木瞳なら憧れてしまいます。アラフォーの黒木瞳は美しく妖艶な熱演でした。永久保存版ものだなと思いました。たまりませんでした。
渡辺淳一の原作の日本映画ということで安心して見られる作品。それにし...
渡辺淳一の原作の日本映画ということで安心して見られる作品。それにしても2021年に見直したが、黒木瞳はなぜほとんど変化がないのか不思議だ。脂の乗りはじめた色気ある役所広司もいい。ストーリーそのものはW不倫話で他愛無いものだが、当時の社会風俗も垣間見れて飽きない。
頂点で時間(とき)を止める
最高のように見える愛も、すべてはいつか移ろふ・・・
それくらいならば、愛の頂点で時間を止めたい。
凛子が辿り着いた結論である。
非常にエキセントリックな考え方であるが、九木は愛する女の希望を叶える道を選ぶ・・・
九木自身には心中願望は無い。という点は非常に重要である。クライマックス、窒息症状の恐ろしい苦しみの中で、男性サイドが凄まじい精神力にて女性を抱きしめ続けていない限り、あの結末は実現しない旨が小説内では述べられている。
九木の行動理由はあくまでも「愛する女の希望を叶える」事なのだ。
(しかし、その選択が出来るのは家庭や社会的地位などが壊れたからである。それらの柵(しがらみ)が残っていれば、歯止めは効いただろう)
凛子にとっては「現時点が愛の至高」と感じられる「九木との愛」が、いつかまた脆く崩壊していくかもしれない事こそが「最大の恐怖」なのだ。
未来は誰にもわからないが「究極の愛」のままで時を止める選択は一種の「美」そのものでもあるだろう。
本作のテーマは不倫でもなければ、性愛でもない。
「いつかは必ず移ろふ、愛という幻想の虚しさに対する抵抗の形」だと見た。
不倫という設定や性愛描写を用いる方が本作のテーマを描き易い事と、性愛を描かないのはリアリズムに欠ける事から、その部分も精緻に描かれてはいるが、不倫と性愛抜きでもこのテーマに迫る事は可能だと思う。
(だから、徒らに性愛部分を強調しているように思われる川島なお美主演のTVドラマは敢えて一切見なかった。)
論理で割り切れない人間の感情の揺れ。
渡辺淳一先生は
「人間の生命力の根源はエロスであり欲望。そこにいやらしさではなく、いとおしさを感じるんだ」
と語る。
論理的に分析しようとすればフロイトに近いのであろうが、渡辺淳一は論理ではなく「美学」でアプローチする。
元来、論理の具現化である「数学」と、
一見正反対の感性からスタートする「美術」は表裏一体だと個人的には考えている。
ギリシア哲学の賢人達は2000年以上も前からそこに気付いていた。
留める事の出来ない「人間の生」
春夏の後には必ず秋冬が来るように。
若さの頂点を過ぎれば必ず老いと衰えがくるように。
繁栄のあとには衰退が来るように。
形あるものは、いずれ必ず失われていく・・・
「留めよう」と足掻くか?
「流れる先にある」未来を見るか?
人間に課された普遍のテーマだ。
アンチエイジングやら美白やらで一喜一憂する手合いには、本作をただの低俗な不倫映画と貶める資格は無いように思う。(低俗三文小説ならば森田芳光が指揮を執るだろうか?日経が掲載するだろうか?)
今回「るろうに剣心 最終章beginning」を観て「失楽園」が重なった。
「若くて無垢な純愛」と「人生遍歴の末に辿り着いた生々しい恋愛」というまったく正反対のシチュエーションだが
「愛のもたらす、美しい哀しみと苦しみ」を描いている点で非常にオーバーラップして見えた。
(るろうにファンには激怒されそうだが、事実だから仕方がない)
失楽園をクローネンバーグの「クラッシュ」に例えるならば、るろうに剣心はフランス映画の名作「禁じられた遊び」なのである。
う〜む。これだから映画って最っ高に面白い!
平成枯れすすき。
平成枯れすすき。
1997。
バブル崩壊、1995震災、金融危機で楽しかったサラリーマン職に静かに絶望した50男。
その男が安楽に破滅する性愛ファンタジー。
当時の混迷日本を破滅性愛側から見る森田芳光と、そうさせた親父大衆の慧眼。
このエロ原作が堂々と日経連載だったあの時代。
本当のテーマはバブル崩壊に翻弄される団塊世代への挽歌だったと思います
不倫映画?
もちろんそうです
しかしその不倫の物語の下に別の重いテーマが隠されているように思います
原作はご存知の通り日経新聞連載の新聞小説です
経済紙にこのような内容の小説が掲載されるのは異例のことでした
しかし、それから25年も経ち本作を観てみると、成る程、この小説は日経新聞に掲載されて当然であると、むしろ日経新聞にこそ掲載されなければならないと思いました
掲載は1995年の9月から始まり1年ほど連載されました
1995年とは阪神大震災、オウム事件があった年
そしてバブル崩壊が目に見える形で現れて来た年でもあったのです
本作の本当のテーマはバブル崩壊に翻弄される団塊世代の挽歌だったと思います
主人公の久木は劇中で1946年生まれの50歳だと分かります
正に団塊世代です
不良債権問題が大きな社会問題として取り上げられ始めていました
バブルのような好景気は過去になり、同じように頑張っていても、それ以上に頑張っても業績はどんどん降下していったのです
エース級の人達も業績不振で左遷されていき、仕事ができる奴のリストの上から順にどんどんすり潰されていったのです
左遷されなくても、身体を壊すか、心を病むかして行ったのです
リストラが始まろうとしていました
久木の部署は正にそれです
余剰人員と見なされた社員が集められ、どうでも良い仕事にやりがいをなくし自然に退職してくれるのを待つ
それでも辞めないなら順に子会社へ出向させて人減らししていた
そのような頃です
この後、肩たたきという退職強要になっていくのです
部門ごと、事業所ごと廃止や閉鎖されていくのはその次になります
それでも追いつかず事業部門丸ごと廃止という事態になり、それでも駄目で遂には合併という身売りに至る企業も続出しました
倒産、民事再生という会社もでました
それも歴史ある誰もが知るような大企業、一流企業がそうなって行ったのです
1995年はそういう予感が漂い始めていた頃です
50歳
脂が乗り切って、経験も知識も度胸もついていくらでも仕事ができる年代です
人によっては仕事だけでなく遊びの方も経験値が積み上がっています
良いレストラン、旨いワイン、素敵なシティホテル、リゾートホテル
今までに仕事を通じて交際費で沢山利用してもいたでしょう
久木が買って来たシャトーマルゴーは一本ウン万円もするワインです
それなのに突然いきなり仕事を取り上げられ、部屋に閉じ込められてどうでもいい仕事をあてがわれる
締め切りの無い仕事は仕事とは言えません
猛烈に走り回っていた男が突然時間を持て余すようになるのです
金はそこそこある
久木は子会社が幾つもある大手の出版社のようです
40 代で編集長として鳴らしていたというのだから、閑職に追いやられても人事等級も同期よりかなり上のはず
大手企業の部長級の給与水準で随分高いままのようです
子供はもう嫁に行って家をでています
奥さんは仕事を持っています
家は都内の一戸建てでローンは完済しているようです
金の心配は全然ない
不倫するのに必要なものはまずお金
時間もある
次に体力と部署の女性社員が言います
その体力も50歳になると、突然病気に倒れる人が出だす頃です
明日は我が身
やりたいことは今すぐやらないといつ自分がどうなるか分からない
焦燥感があるのです
やりたいことをやる時間はもう残り少ない
今度やろう、いつかやろうという、今度とかいつかは若い時に言える言葉です
それは10年後なら自分は一体何歳になっているのだ?
それに気づくのです
燃え尽くるほどの恋無き枯野かな
このまま枯れ果ててしまうことへの恐怖
そうはなりたくないという足掻きです
彼には条件が全て揃っていました
だから不倫をした?
でも条件が揃っても不倫をしない男だっています
なぜ彼は不倫を求めたのか?
そこに本作のテーマの核心があると思います
黒木瞳は美しい
こんな女性が身近にいれば間違いを起こすのも当然かも知れません
Calvin Kleinの無彩色のスーツがとても彼女に似合っています
上品ででしゃばらず彼女の性格を端的に表現されています
167センチですから結構背が高い女性なのにすごく小柄にみえます
155センチもないくらいに
役所広司との対比でそのようにみえるのです
どうしても彼女を救い出してあげたい
輝かせてあげたい
そんな気にさせる女性そのものでした
それでもなお久木が凛子を求めたのは何故なのでしょうか?
もう一つの自分の人生を彼女に見たのだと思います
会社では果たせなかった自己実現
それが成された満足感を得られたのだと思います
それは途轍もなく甘美な体験で、一度でもその匂いをかいだなら、もう踏みとどまれないほどのものだと思います
だから不倫に走ったのだと思います
つまりバブル崩壊でわりをくった代償行為だったのです
本人は至って本気で愛であると錯覚していると思います
凛子はファンタジーです
男の夢です
こんな女性は実際にはいません
女性はもっと、もっと、リアリストだと思います
でももし、いたら?
たちまち不倫に堕ちてしまうに違いありません
彼女と一体となって心中したいと考えるのは、会社といつまでも一体でいたかった、しがみついていたかった!との叫びだったのだと思います
リストラされたくないとの叫びなのです
こんな夢を見て、バブル崩壊とリストラの恐怖から現実逃避したい
団塊世代の共通の思いかあったからこそ
本作は大ヒットしたのだと思います
当時は、日経新聞の連載を読む気にもならず、何故このような不倫のエロ小説を経済紙に掲載するのか全く理解出来ませんでした
しかし自分も年を重ねてようやく何故だったのか分かるようになりました
そして、この久木の心理がよくわかるようにもなってしまいました
役所広司が退職届けを出すシーンのあの魚の腐ったような目が脳裏にこびりついて忘れられません
自分もあのような目をしていないだろうか?
不安に駆られました
この後、久木達の団塊世代の多くはリストラされ、出向するか退職を強要させられて会社を去っていったことでしょう
給与水準は格段に切り下げられ、まともな再就職口も無かったかも知れません
そして25年の年月が過ぎ去りました
彼らは子会社からも再就職先からもリタイアしたことでしょう
久木が生きていたなら75歳です
久木のように堕ちるところまで堕ちた人もいるでょう
失楽園
それはアダムとイブが楽園から神に追放されたこと
しかし本作では、団塊世代が高度成長とバブル景気のからバブル崩壊の荒野に放り出されたこと
リストラによって会社から放り出されたこと
それを指しているのだと思います
不倫で家庭が崩壊したことではないと思います
久木を演じた役所広司は、いつもコートを着ています
本心を明かさないでいるという衣装による演出でした
コートを脱いでいる少ないシーンは、彼が無防備である時のシーンです
冒頭とラストシーンの滝は、三途の川です
冒頭でリストラされるという予感
最後にリストラされたという暗喩です
だから三途の川が滝になって音をたてて流れ落ちているのです
さすが家族ゲームを撮った森田芳光監督です
もしかしたら本作は家族ゲーム2.0 だったかも知れません
団塊世代の親は遂には家族を捨てたのです
50歳
その年齢に団塊ジュニア世代が差し掛かろうとしています
コロナウイルス禍の中で不倫にもブレーキはかかるでしょうか?
コロナ禍による大不況の予感に震えている
それは本作の時代と似ているのではないでしょうか?
いつコロナで倒れるかも知れない不安が更にそれを増幅させています
令和の時代に、平成史をまとめている閑職の男が不倫をする映画は一体どのような物語になるのでしょうか?
リメイクしたとして、果たして成立するものなのでしょうか?
男性向けなのかしら?
ストーリー展開がロマンチックというよりも、黒木瞳が綺麗で濡れ場重視の作品だったので、メインターゲットは中年男性なのではないでしょうか?森田芳光監督だったのと上映当時かなり話題になっていたので鑑賞しましたが、女性受けはしないと思いました。
楽園はない
結末までを矛盾なく描こうとする余りか、耽美的と言うよりは、愛は冷めてしまう、愛する人とは運命を共にしなければならないという理屈や前提に縛られている様に見える。結末を知っているせいか、耽美的な愛の世界ではなく、社会派サスペンスに近い。薪能も耽美ではなく、理屈の周囲を漂う幻想の暗喩に思える。耽美的楽園は、そもそも幻想か、失ったのか。
頭の悪い中年男女が肉欲に溺れる物語
若い頃はこの映画に興味が持てず、結婚して今になり興味が湧いたわけではなく他に観るものが無く観てみた。この映画昔はかなり話題になってたはずだったけど、一体どこがいいのか理解できない。なまじ私が霊感体質だから昔から不倫をする人達に嫌悪感を抱いていたからか。不倫してる人達は恐らく気付いてないのだろうけど相手側の子供の生霊や先祖霊が飛んできて死ぬこともありますから、どうしても不倫したい人はこの映画の2人みたいに覚悟を持ってするべきでしょう。人生に失敗する人は想像力が足りない人達であるといういい例。結婚する前に相手との結婚生活を十二分にイメージしないまま結婚し、肉欲と快楽を優先し不倫したらその先に何が起きるか想像力が足りなかったんだろうなあ。映画の最後には阿呆らしくなりました。
幼い大人
20年前は大人の話と思って興味無かったけど、ようやく興味が持てる年になった。お見合い結婚で夫に愛情が持てない女と、50歳で初めて女に溺れた男。
率直に、大人のくせにお互いがはまりすぎ。死を目前に遊んどけば良かったと後悔する同僚や、恋がしたいと嘆く同僚、バツイチになって自由な恋愛を謳歌している友達、冴えない職場、自分の世界に閉じ籠ってる配偶者、周りの全てが二人の恋をバックアップしてるようなもの。
でも、遊びと割り切る必要はないけど、一番大切なものは、ここまで支えてくれた人達であることは忘れてはいけない。
愛すること愛されること
久しぶりに観ました
当時はブームになった失楽園
20年経った今も不倫ブーム⁈
当時は独身、旦那になる人と付き合っていました
今は既婚3人の子持ち。
結婚をしたら旦那以外の人を好きになってはならない事はさみしいですが、育児に追われる日々、まず相手がいなーいので、うらやましい。健康でないとできないなと、いち主婦の感想。私は死を選ぶことはしません。
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