「黒澤明の中では一番重苦しい展開の作品だが」静かなる決闘 KENZO一級建築士事務所さんの映画レビュー(感想・評価)
黒澤明の中では一番重苦しい展開の作品だが
今は無き銀座並木座で観て以来、
何十年ぶりかでDVD鑑賞。
黒澤明作品は「続 姿三四郎」以外は
全て観ているが、正直なところ、
この作品への評価は高くなく、と言うか、
他のかなりの作品が名作過ぎるからだが、
この時点まで再鑑賞することは無かった。
しかし、よくまぁこんなに重々しい題材を
映画化したものだな、との驚きが先に来る。
そしてまた何という重々しい展開の連続
だろうか。きっと黒澤明で無かったら、
鑑賞途中でさじを投げていたのではないか。
それを最後まで観客を引き付けるのは
黒澤監督の力量以外の
何ものでもないのだろう。
話は、梅毒に罹った医師が、許婚を捨て、
悪人をも治療しようとする等、まさに聖人
のような生き様を見せるが
「静かなる決闘」とは、
そんな聖人としての生き方を強いた
「“神との”静かなる決闘」と言うこと
なのだろうか。
いずれにしても、
観ているのは辛い重苦しい作品だ。
僅かに看護婦の成長と
それが主人公との距離を縮めつつある展開に
希望が見えなくもないが、
仮にそうだとしても、息も詰まるような
聖人としての生き方に、俗人の私には、
尊敬の念を抱きつつも同情は禁じ得ない
辛いヒューマニズムストーリーだ。
黒澤映画の素晴らしさは、
エンターテイメント性の中にも
ほとばしるヒューマニズムだ。
この映画はエンターテイメント性を
抑えた分だけ、黒澤作品の中ではワクワク感
を得られない作品ではある。
因みに私の黒澤作品ベスト3は、
・七人の侍
・蜘蛛巣城
・赤ひげ
です。
題名の「静かなる決闘」の意味を考えてみました
本作公開は1949年3月
敗戦からまだ3年半、荒廃した国土や社会、なにより人心を再建することが急務でした
国民みんなで力を合わせ、それに集中しなければなならない時期です
それなのに当時の日本の有様はどうであったか
本作公開前年の1948年は東宝争議がGHQの武力介入にまで達するほど、日本の世情はいまだ混乱状態にあったのです
敗戦の衝撃をいつまでも引きずっている、負け犬根性の心の弱さ
対決すべきは、当時の日本国民のその内なる弱さであるはずだ
つまり戦後の騒乱や混乱状態から早く脱するためには、国民それぞれが自己の弱さと対決し、打ち勝たねばならない
それが本作のテーマであり、黒澤監督からのメッセージだと思います
それが「静かなる決闘」の意味ではないでしょうか?