ジェリー : 映画評論・批評
2004年9月15日更新
2004年9月18日よりライズエックスにてロードショー
行きはよいよい、帰りはこわい
ガス・バン・サントは、自分の作品の映像や音楽で、たびたび「オズの魔法使い」を引用してきた。彼が関心を持っているのは、魔法の国よりも、そこからの帰り道だ。彼は、現実や日常と隔たりのある生活を送ってきた人間が、どのように戻ろうとするのか、あるいは戻れなくなるのかを描きだしてきたのだ。
バン・サントがメジャーのスタジオを離れて作ったこの作品では、そんな彼の関心が何の装飾もドラマもなく提示されている。砂漠で道に迷った若者たちは、帰り道を求めて、ただひたすら彷徨いつづける。目の前に広がる幻想的な光景は、彼らには何の意味もない。
彼らに意味があるのは、題名でもある“ジェリー”という言葉だ。それは、道に迷うようなドジを踏むことを意味する仲間内の造語であり、しかも彼らはお互いにジェリーと呼び合う。彼らは、ジェリーを繰り返し、ジェリーを振り返り、ジェリーとして向き合う。ジェリーは彼らを泥沼に引き込む。だがそれは、彼らを繋ぎ、彼らと外部の世界を繋ぐ命綱でもある。だから、個人としての境界の揺らぎや幻覚、錯乱によってそれが崩壊してしまえば、砂漠を出られたとしても、もはや道に迷う以前の世界に戻ることはできないのだ。
(大場正明)