「上京のやわらかい頃」四月物語 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
上京のやわらかい頃
進学を契機に上京したときの、そこはかとない万能感を孕んだ始まりの予感。自転車を買う気持ちってすごいわかる。なんか簡単に征服できそうな気がするんだよなあ。東京って。狭いし。起伏ないし。でも実際はそんなこと全然なくて、武蔵野からだったらせいぜい八王子くらいが限界だと思う。東京は普通に広い。
大学に入って一番最初の自己紹介、嫌だったな。自分は高校では◯◯をしてて◯◯が趣味で受験方式は◯◯で…みたいな。こっちは◯◯にとりあえず代入する何かを考えるので精一杯なのに、東京慣れしてる人たちは歌でも歌うみたいに朗々と。そいつらだけでアレは良いとかコレは悪いとか独自の世界ができあがってて、こっちには北海道って寒いの?みたいな定型的な質問がたまにお情けで向けられるだけ。
東京って怖いな、みたいな素朴な恐怖がこのへんで生まれる。一人暮らしなんかしてるとこの恐怖が際限なく大きくなってくから、読書とか電話とか隣人とか、そういうノイズで誤魔化すしかない。万能感なんかとっくに消えてる。
宙ぶらりんのままフラフラしてテキトーなサークルに無理やり入れられるのもわかる。釣りサークルって絶妙ですよね。公園でルアーの素振りって何の意味があるんだろ。ていうかたいていの大学のサークルには何の意味もない。でもその意味のなさが居心地の良さの正体だったりする。少なくともそこにいる間は何者にもならなくていいから。
1ヶ月もすると自分の周りに起きる良いことと悪いことが同じくらいの比率になってきて、東京の特別さも薄れていく。自分が特別だと感じていた出来事が、実は東京においては普通の出来事に過ぎなかったことを知っていく。東京が生活になっていく。
何も起きない映画、という指摘はとても正しい。本当にその通りだし。この映画が捉えていたのは主人公の心の変化だ。主人公のやわらかい心が、多種多様の些細な出来事を通じて、平坦な生活の重力に耐えられるよう錬磨されていく様子が描かれている。
描き方が少しあざとすぎるんじゃないかという箇所も多いけど、むしろ巧いレトリックだと思う。本当にそのくらいやわらかいんですよ、上京者の四月っていうのは。