エクソシスト ビギニングのレビュー・感想・評価
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えっ?
今なお鑑賞しても恐ろしい元祖エクソシスト。
どうしてもこのインパクトに勝てない…
強力なパズズを前に惜しくも殉教したメリン神父の過去。
それはとても悲惨なものではあるが、いきなり神父に返り咲くのはいかがかなと。
一度捨てた信仰を再び取り戻す事はできても、即悪魔祓いとか荷が重いし、そもそも悪魔祓いは許可がないとできないのではなかったか…
元祖では、1人のパズズに憑かれた少女と戦う2人の神父、そして母親。それを一つの部屋の中で行っていたので、きちんとエクソシストが主軸となり悪魔と神父の戦いをとても丁寧に恐ろしく描いていた。
それを広い舞台でさまざまな登場人物が出てきては死にを繰り返すのであまり悪魔の呪いのインパクトがない。
しかしナチスでの悲惨な過去や、物言わず現地の人に発撃する少佐は怖い。
いきなり倒れる現地の人、いきなりハイエナ、いきなり始まるラブロマンス、ウジの湧いた赤子爆誕、エロオヤジのグロい皮ふ、現地の人による悪魔祓い。イギリス兵との壮絶な戦い。結局取り憑かれたのは誰?
え?って間に前触れもなくことが起こってくるので頭が追いつかない。
情報が多いのでパズズの力がわからない…
そしてそのサラに取り憑いたパズズがなんだか弱いのよ…
おぉ!ってなったのが上から海老反りぐりんくらいで後は幻覚見せるとかうっちゃりくらいしかしていない。
あと、人質をとるのはいかんよ〜。人質は取り憑いた本人の身体であって、更に人質をとるのは貧弱〜貧弱〜なのよ。
広い荒野にたくさんの死骸。1人の神父が歩く。その背後には逆十字が…このOPはとても見応えがあり良かった。
メリンとジョセフが出てきた光景も戦いの跡。
砂嵐により邪悪な神殿は隠れる。
パズズにより信仰を取り戻しパズズにより殉教する。
メリン神父の過去からの立ち直りとして観ればまた違うのだけど、悪魔祓いをしっかり観たかったわたしには少し物足りない。
ごめんなさい。
すごく普通
面白い物語
夜にお酒を片手に見るにはもってこいだと思った。
エクソシストは初代のあの恐ろしさが根幹となっていて、悪魔という得体の知れない者に対する恐怖がホラー作品の新境地を作った。
そしてこの第4作にして初回の前の物語を描いている。
この物語は特に信仰というものに焦点を当てている。
悪魔祓いの根幹でもある。
主人公メリン神父の過去と悪魔との対峙と彼の新しい目覚めが、物語性を非常によく表現していた。
また、神父を捨てた男の現在の姿が考古学博士という設定はぶっ飛んでいるものの、そこをスタートとしていることで違和感がないのもよかった。
そして悪魔との対峙だが、メリン神父の信仰という概念を表に出さず、何故信仰を捨てたのかという点を強調しつつ、彼の過去と葛藤を描き出し、一見悪魔と対峙しつつも実は自分の過去と対峙しているという点もまた素晴らしかった。
ホラーではあるが、物語として十分に楽しむことができる。
さて、
私たちはいったい何が怖いのだろう?
この作品における怖さは悪魔というものであるが、実際メリンが対峙していたのがあのナチスのしたことだった。
「今日は神はいないぞ、神父」
そう言って一人の少女を引っ張り出して頭を打ちぬいた将校。
この人間性
結論的だが、やはり一番の怖さは非人間性なのだろう。
メリン神父は子供たちに銃が向けられまいと必死になった年老いた者たちを「指名」した。
これはまさに恐怖そのものだったに違いないと、誰もが思うだろう。
彼にとってこの出来事に勝る恐怖などすでになかったのかもしれない。
あの時メリン神父にできることなど何もなかった。
しかし今、悪魔との対峙によってメリン神父には憑りつかれたサラを救いたいという愛のようなものが自分自身の中にあることを感じることができた。
恐ろしい顔つきになり、目をむいて襲い掛かってくるサラ。
しかしその場面を見ていても、あの時の神父の恐怖に比べると襲い掛かってくるサラを抱きしめることができるように感じた。
非人間性に比べれば、悪魔の所業など取るに足らないのだろう。
メリン神父に見えたのは、サラはどんな時もサラだった。
悪魔に憑りつかれても、サラの人間性が失われることなどないのだ。
さて、、
悪魔の存在を信じるのは神が存在していることの裏返しで、この二元論がこの世界の理だからだろう。
思い出すのがナショナルジオグラフィックから出ているDVD「ユダの福音書」
これはエジプトの砂漠で発見された古代のパピルス文書「ユダの福音書」に焦点を当てたドキュメンタリー。
ユダの福音書は、イエスを裏切ったとされるユダの知られざる物語を描いている。
この文書は、従来のキリスト教の教えとは異なり、ユダをイエスの最も忠実な弟子として描いているのが特徴だ。
つまり聖書はそもそも都合のいいように書き換えられていたことになる。
誰の都合?
おそらくイエスから「この岩の上に私の教会を建てる」と言われたとされた12弟子のひとりペテロ、初代教皇。
勝手極まりないことだが、私は裏切り者こそこのペテロだったのではないかと思っている。
彼こそ「神」というものが第三者的なものであることを伝播した犯人だろう。
その神の声を一番よく聞くことができるという特権を自分が持ち、人々を支配するのが構造だ。
これはエジプトにある洞窟内で盗掘者によって発見された。
盗掘者は古美術商に大金を吹っ掛けるが、ことごとく商談がまとまらず悪条件下で写本がボロボロになる。
ようやくイェール大学がこのことを知り復元作業となった。
その一部始終をナショジオがドキュメンタリーにした。
「ユダの福音書」は、イエスとユダ、他の弟子たちとの対話形式で構成されている。
物語は、イエスがイスカリオテのユダと語る場面から始まる。
イエスの宣教と十二弟子の召命: 物語の導入部として、イエスの活動と弟子たちの召命。
弟子たちの無知とユダの知識: 他の弟子たちの無知に対し、ユダがより深い知識を持っていることが強調される。
上なる世代の告知: グノーシス主義的な思想に基づき、天上の世界に関する情報が語られる。
ユダの幻と説明: ユダが見た幻の内容とその解釈が語られる。
世界と人間の生成神話: 世界の起源と人間の存在についての神話的な説明が展開される。
人間と世界の運命に関する議論: 人間とその運命、世界の終末についての考察が含まれる。
ユダの役割: ユダがイエスの計画において重要な役割を担っていたことが示される。
イエスに対する陰謀: 物語の結びとして、イエスに対する陰謀が描かれている。
この最後の部分は、イエスがユダに銘じて「裏切ろ」と言ったとされている。
しかし個人的には、その部分の発表は書き換えられていると思っている。
死海文書の内容と同じように、肝心な部分が発表されていないように思う。
妄想でしかないが、大いなる陰謀を感じてしまう。
神父から考古学者へ そして再び神父へ
『エクソシスト』シリーズの第4作。
あの一世を風靡した『エクソシスト』の前日譚で25年間の話になるので、時系列的には一番最初になります。
主人公は メリン神父。
『エクソシスト』では、悪魔が憑いたリーガンの悪さやカラス神父の葛藤などは印象に残っているのですが、メリン神父は高齢なのもあってか、自分としては、影が薄かったです(失礼!)。そのメリン神父が、この作品では主人公で、時代は25年前。メリンが考古学者から神父になるまでの葛藤やら周辺事件が描かれています。
メリンは以前は神父だったが、ナチスの残虐行為を目にしたことから信仰心を失い考古学者となっていたのです。で、ある収集家から、東アフリカの教会跡(遺跡)に出向いて、「偶像」のサンプルを見せられて、それと同じものを見つけてくれという依頼を受けます。そして、あのパズズと遭遇することになる、という感じです。
『エクソシスト』では、確か、冒頭、遺跡の発掘現場だったので、遺跡現場が舞台となる本作は正統派の続編(前日譚)という感じがします。
1作目に比べると、派手さやオカルト的な要素は少ないもののエクソシストの謎に向き合える1作です。
ハイエナに襲われたり、顔に虫がたかったり、女医のサラが悪魔に取り憑かれて這いずり回ったり、と見どころはあります。
メリンがナチスの現場での幻影を見て苦しむ姿など、見ていて辛いですが、心の傷を乗り越えて、最後は'Father Merrin'と名乗ります。
それにしても、遺跡発掘に同行したフランシス神父。絵に描いたような若くて潔癖な神父で、現場で砂やら泥がついてしまうのが気の毒でした。(どうでもいい話です)
退屈でした。
ナチの非人道的所業を目の前にし、かつそれに加担差ざるを得なかった事で神を信じられなくなり信仰心を捨てた過去を持つ元神父の考古学者が、悪魔退治をきっかけに信仰心を取り戻すまでの話。
本筋は主人公の内面の変化を表現したいため、悪魔との心理的、直接的な戦いは主人公が立ち直るためのただのキッカケに過ぎず、それを期待して観るとスカされた感じ受けてしまう。
「タクシードライバー」に代表されるように、心を病み大きなトラウマを持ってしまった男がもがきながら克服し、残りの人生を少しだけ前を向いて進もうとする話が大好きなポール・シュレイダー監督の「Dominion:Prequel to the Exorcist」の即時撮り直しとして引き継いだレニー・ハーリンの苦悩と葛藤がヒシヒシと伝わって来て観ていて辛くなる。
延々と助走が続き最後に大きな見せ場を持ってくるという手法を取るにはこの監督では役不足だし、テーマ的にも無理があったと思う。
ドキュメントや文芸作品ではないので、やはり所々にイベントを配置するなど鑑賞者を飽きさせないための映画的演出は不可欠だったのではなかろうか。
作品と監督がラジー賞にノミネートされた事は非常に残念だったが、アクションに定評があるはずのレニー・ハーリンが脚本を書き直し、自分の土俵で戦う事を条件に引き受けるべきだったのではと他人事ながら思ってしまった。
『エクソシスト ビギニング』と『ドミニオン』の比較と内部事情
1)同じ脚本の違う映画が出来た内幕
Netflixでたまたま『エクソシスト ビギニング』(2004年/レニー・ハーリン監督)と『ドミニオン』(2005年/ポール・シュレイダー監督)が2本とも配信されていたので、連続して観た。
ともに『エクソシスト』のメリン神父がエクソシズムに取り組む契機となった事件を描いたもので、舞台は1940年代のアフリカ東部。脚本は細かいところでいくつか相違点があるものの、大枠は同じ。出演俳優はメリン役ステラン・スカルスガルドと英国軍少佐ジュリアン・ワダム以外、ほとんど異なっているようだ。
いったい何故、同じ脚本の違う映画が連続で作られたのだろうか。
当初、『エクソシスト4』として企画された作品は、『タクシー・ドライバー』『レイジング・ブル』の脚本家シュレイダーが監督となり撮影された(『ドミニオン』)。
しかし、モーガンクリークとワーナーブラザースは、シュレイダーの作った映画がまったく気に入らなかった。wikiには「恐怖と流血の欠如のために広く嘲笑された」とある。
結局、シュレイダーはクビになり、新たに『ダイ・ハード2』のハーリン監督が映画のほぼ全体を再撮影するために雇われて、出来上ったのが『エクソシスト ビギニング』である。
しかし、いざ両作品とも公開されてみたら、揃って批評家からも映画ファンからも見放されるという悲惨な運命をたどるのであったw
2)2作品揃って芳しくない評価・興行収入
さて、公開された『ビギニング』の評価はどうなったか。
「映画は新たに雇われたレニー・ハーリンによって全面的に作り直されたものの、悲惨なほど否定的なレビューと恥ずかしい興行収入をもたらし、第25回ゴールデンラズベリー賞の最低監督賞と最低リメイク及び続編賞にノミネートされた」(wiki要約)
この不評を受けて、製作者サイドは出資分を取り返すべく『ドミニオン』を完成させ、公開する。
「ワーナーブラザースはシュレイダー・バージョンの映画を限定劇場公開することにした。批評家はハーリン・バージョンよりもはるかにシュレイダー・バージョンに好意的だったが、一般的には不評だった」(同じくwiki要約)
映画評の一つには「欠けているのは血や殺傷ではなく組合せである。『ドミニオン』は怖がらせるにはあまりに礼儀正しく都会的すぎるのだ」とある。
3)2作品のどちらがいいか?
まず、『ビギニング』は恐ろしげなシーンが頻出するものの、それらが徐々に悪魔に収斂されて恐怖を深めていくのではないから、何だか当てが外れた感じ、コケ脅しに見えてしまう。最後にはアフリカの部族vs.英国軍の戦闘と悪魔vs.メリンの対決を二重写しに描くことで、限りなくアクション映画と化してしまう。ただ、落ち着いて深みのある映像は捨てがたい。
次に、『ドミニオン』は前半部分ではホラー風味を抑制しながら、ナチスにより自分が悪の手先とされ、信仰を失ったメリンの人格形成をきちんと描いた後、後半には人間性の悪と悪魔のもたらす悪の重なる怖さが打ち出されていて、こちらの方が正統派wに近いだろう。しかしながら映像が薄っぺらで、TVドラマのようなチープさを感じてしまう。
どちらかを選べというなら、抑制された恐怖の効果的な『ドミニオン』の辛勝といったところか。『ビギニング』の映像で『ドミニオン』を撮っていたら傑作になっていたかもしれない。
『エクソシスト』シリーズが好きな人は話のタネに両方ともご覧ください。
エクソシストの前日譚
ビギニングとドミニオン
オカルトブームの火付け役、金字塔である名作#エクソシスト の前日譚。
私はエクソシストより面白かった♫
エクソシストは、私が観る頃にはパロディとして消費されつくし、リーガンのシーンはギャグでしかなかった💦
今作は前情報がないので、映画に集中できて良かった。
悪魔が周りを侵食していく恐怖。
しっかし、かなり強力な悪魔で砂嵐まで起こすからすごい。
舞台はルシファーが堕天した地。
悪魔は、サタンを名乗るのかと思いきや、違うんかーい🤚
ネトフリで同じ頃に「ドミニオン」というオカルト映画も配信され、
(あらすじがよく似てるなー)
不思議に思い、そちらも観たら、主人公が同じ役者!同じメリン神父役‼️
(???)
なんと、最初にドミニオンを撮ったが、駄作だったため、監督を変えて撮り直したらしい。な、なんと、、、ボツにされた監督、役者達の気持ちを思うと切ない🥲
でも、ドミニオンをちゃんと観た方曰く、駄作だそうです😂😂😂
どちらを観るか迷ったら、エクソシストビギニングをオススメします(笑)
リンダ・ブレアの首が1回転したり、緑色の液体を吐き出したりするシ...
リンダ・ブレアの首が1回転したり、緑色の液体を吐き出したりするシーンは今でも覚えているのだが、メリン神父に関しては覚えていない。この映画はその彼が初めてエクソシストとなるエピソードであり、暗く悲しい過去を暴いていくストーリー展開なのだ。1のように観客を怯えさせるような映像ではなく、2のようにアフリカにおける悪魔の抽象的なプロット作りが近いのかもしれない。と、ほとんど記憶がないのに書いてもよいのだろうか・・・2における発掘場面やイナゴの来襲のようなそんなイメージがあるのです。
悪魔が憑りついた!とかいう怖さはそれほど無く、それよりもメリン神父のトラウマとなったナチスの残忍さの方がよっぽど怖く描かれている。キリスト教のとらえ方も面白い。ローマ帝国時代や20世紀のイギリスによる侵略・植民地化と布教が同レベルの扱いがなされていて、帝国主義批判の側面も見せているのだ。イギリス軍とケニア人のケンカ(戦争?)は圧巻で、虚しさだけが残る作り方は、まさしく反戦映画を感じさせるものがあった。
「神はいないぜ!今日は」という台詞が最期まで響く。悪魔だけがいるんだなと虚しくなってくるのだが、現代社会にもこの言葉を投げかけて、真に悪い奴は誰なんだというテーマを残してくれた。
「エクソシスト」の前日談
1973年に公開されたオカルト映画「エクソシスト」。
その25年前の話を描いた作品です。
第二次世界大戦が終結して数年後。
かつて神父だった主人公メリンは、考古学者として
ケニアでの発掘作業に加わります。
そこには、1600年代に建てられたと思われる教会が、
当時のままの姿で埋まっていました。
メリンは奇妙な事に気付きます。
その教会は、ケニアにキリスト教が伝わる何年も前に
建てられた物だったのです。
一体、誰が何の為に建てたのか?
そして、遺跡の近くの村で恐ろしい事件が起きます。
オリジナルの「エクソシスト」の世界を踏襲しつつ、
本当に怖い作品に仕上がっていると思います。
「神と悪魔の戦い」を描いた映画なので、
無宗教の多い日本人には判りづらい所もありますが、
得体の知れない怖さがありますね。
監督は「クリフハンガー」や「ダイハード2」を撮った人なんですけど、
アクションは抑えて、オカルト的な演出に徹しています。
クライマックスの展開はなかなかドラマチックです。
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