ザ・プレイヤーのレビュー・感想・評価
全5件を表示
堂々と描く映画プロデューサーの傲慢。
〇作品全体
物語の展開が、そのまま映画プロデューサーの役割を表現するような作品だった。
映画プロデューサーの役割が「シナリオライターの憎まれ役」という特殊なポジションであることが主人公・グリフィンを通して分かる。プロデューサー側からすれば毎月100件以上のライターの売り込みをさばかなければいけない事情があるが、ライター側からすれば自分の熱意を25語だけで語らなければならず、それが伝わらなければ切って捨てられてしまう。熱意をぶつける機会すらくれず、連絡もよこさないプロデューサーだと一方的に切り捨てられたような恰好だ。そんな力関係が、まずケヘインの殺害シーンで表現される。一方的にグリフィンに感情をぶつけ、そしてグリフィンの反撃によって息絶えるケヘインは、前述したプロデューサーとライターの関係性そのままだ。どれだけ熱量を伝えても返ってくる反応は少なく、ビジネスの上で推し量られてしまう。そしてその熱量が目障りであればドブ水に頭を叩きつけられるように切って捨てられる。物語のカギを握るショッキングなシーンだが、力関係から見れば当然の結末のように見えてしまう。「プロデューサーがライターを殺す」が比喩表現としても、実際の物語上での出来事としても存在しているわけだ。
ラストのハッピーエンドも、映画プロデューサーという役割が悪い意味で影響力のあることを表現する。グリフィンが作中でハッピーエンドを望むことを何度も口にするが、これは単なる好みではなくて「ハッピーエンドに捻じ曲げる力を持っている」ということの誇示だ。本作ラストのハッピーエンドはグリフィンにとって物凄く都合が良い。気に食わないライターを殺し、警察からは金の力でかいくぐって運良く逮捕されずに済み、ライターの女と幸せに暮らす。さらに自分の地位は守られ、もはや不審な手紙を送ってくるライターには余裕をもった返しをする。その「できすぎた気持ち悪いハッピーエンド」は、作中で制作が進む「強引にハッピーエンドに捻じ曲げられた作品」と重なって映る。どちらもプロデューサーの力を駆使して出来上がったハッピーエンドであり、そこには殺されたライターの真実も、物語を書いたライターの真意も存在しない。あるのは自己の利益を追求する欲望だけで、そのずるがしこさが鼻につく。
しかし、本作を見た後味はすごくすっきりとしたものだった。それは多分、グリフィンという登場人物の「プロデューサーとしてのブレなさ」が作品の中心を貫いているからだと思う。映画業界の中心に立つプロデューサーの存在を堂々と醜く描いた本作には、醜さだけでなく映像作品としての面白さも詰まっていた。
〇カメラワークとか
・8分ほどあった冒頭の長回し。映画関係者が忙しそうにせわしなく動き回る姿が印象的だが、グリフィンは優雅に車から降りて、そのあとは部屋からほとんど動かない。この誰が世界の中心として存在しているのかを知らしめるようなオープンニングだった。
〇その他
・アルトマン作品の主人公は傲慢なんだけれど、その傲慢さを派手に見せないところが好きだ。『MASH』のホークアイも終始好き勝手やってるけど、感情を派手に表に出さないからクールに見える。『ロンググッドバイ』は傲慢とは少し違うけど、自分の進みたい方向性を一貫して持っていて、それでいて強く主張しないのがかっこいい。本作のグリフィンも相当好き勝手やってるけど、「映画プロデューサーで居続けること」という軸をブレない範囲で維持し続けているのがかっこいい。やっていることは最低なんだけど。
皮肉混じりのサスペンス
長回しで始まり。『黒い罠』は未鑑賞。『ロープ』は見た。
そのほか様々な作品がセリフや壁のポスターに出てくるが、残念ながら見てないものの方が多く、きっとこれらの作品からの影響があるんだろうなあとは思いながら、やっぱりそこは分からず。これから見ていこうとモチベにするしかないですよねー。
『フリークス』は見たい。
ハリウッド的ヒット作の条件が途中で語られる。
サスペンス、スター、暴力、平和、愛情、ハッピーエンド、セックス、裸。たしかこんな感じ。
これらがことごとくこの映画にも散りばめられているのがうまい部分で、それでいてそれらの軽薄さを皮肉っている。
スターは馬鹿みたいにカメオ出演させまくり。取ってつけたようなセックス。彼女を乗り換え、罪も償わずに、なんちゃってハッピーエンド。
劇中劇も、結局は観客の反応に媚びに媚びて、ジュリアロバーツとブルースウィリスでハッピーエンドにしているのがクスッとさせる。ライターまでその気になってしまっている。
ロバートアルトマンはまだmashしか見ていないが、他の作品も見てみたくなった。じゃあ監督はどんな映画を作ってきたんですか、と確認したくなる。
時代を感じる
犯してしまった罪さえもエンタメに使えるとなれば、
金と引替えに利用する。
良心の呵責が生まれる時もあるものの、
1度難を逃れてしまうとあとは
喉元過ぎればなんとやら。
まさに生き馬の目を抜くような
恐ろしい世界だハリウッド。
もちろんフィクションだが
こういうこともありかねないと思わせる。
という流れをさらに最後になって、
観客へむかって舌を出してる作り手の顔が見えるかのようだ。
いっぱい食わされる・・・まあ
タイトルがタイトルなだけに
途中からうすうす予測はついてくるんだけど。
昨今男女差別や人種差別などを
是正しようとする動きの活発な
状況をみると時代を感じるものだ。
あくどい事をしてたものは
昔は良かったとうそぶくのだろう。
他に類を見ない完璧なハッピー・エンドに、涙が止まらない…😭
ハリウッドにある映画スタジオの重役、グリフィン・ミルが引き起こしたとある事件と、その顛末を描いたブラック・コメディ。
主人公グリフィン・ミルを演じるのは『トップガン』『ジェイコブス・ラダー』の、後のオスカー俳優ティム・ロビンス。
殺人事件の調査を担当する刑事スーザンを演じるのは『カラーパープル』『ゴースト/ニューヨークの幻』の、後にショービジネス界のグランドスラム「EGOT」を達成することになるレジェンド、ウーピー・ゴールドバーグ。
👑受賞歴👑
第50回 ゴールデングローブ賞…作品賞(ミュージカル・コメディ部門)、主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)❗️
第45回 カンヌ国際映画祭…男優賞、監督賞❗️
第46回 英国アカデミー賞…脚色賞、監督賞❗️
第58回 ニューヨーク映画批評家協会賞…作品賞!
第8回 インディペンデント・スピリット賞…作品賞!
叛逆の巨匠ロバート・アルトマンが、商業主義に走る映画界への不満をぶちまける問題作!
ハリウッドを舞台にした現代劇ということで、65人ものスターが実名でカメオ出演を果たしている。
豪華カメオ出演らしいのだが、自分のような映画リテラシーの低い観客では、登場するスターに全然ピンと来ない😅
ピンと来たのはシェール姉さんとジェフ・ゴールドブラムくらい。あと刑事コロンボね。
『ダイヤルMを廻せ!』のポスターやヒッチコックの顔写真が大写しになるなど、おそらくヒッチコック作品のオマージュ要素も多いのだろうと思われるが、これも映画リテラシーの低い自分には伝わらないところだった。
メタネタもおそらくは多く仕込まれているのだと思う。
自分が気付いたところでは、ウーピー・ゴールドバーグ演じる刑事のスーザンが、オスカー像を持ってスピーチの真似事をやるシーン。
ここは本作が公開される前年のアカデミー賞において、『ゴースト/ニューヨークの幻』への出演により実際にオスカーを受賞したウーピーだからこそのネタなのだと思われる。
このように、本作は映画に詳しい人ほどニヤッと出来る要素が多く含まれている映画である。
『黒い罠』『卒業』『ロープ』『自転車泥棒』など、過去の名画についての言及も多く、特に『自転車泥棒』は物語のキーワードになっている。
これも『自転車泥棒』を観ていれば「なるほど!」となっていた可能性はあるが、自分は観ていないのでなんとも言えません…。
この映画、はっきり言って1時間50分は全然面白くない!
自分の映画リテラシーが低いから面白くないのか、とも思ったが、クライマックスの展開で全て腑に落ちた。
110分間の、長い長ーいフリ…からの、あのクライマックス!
まさにイピカイエー!な展開は、これが『キング・オブ・コント』なら優勝間違いなし🏆✨
爆笑してしまいました!🤣🤣🤣
ラスト15分を観るために、長い長い110分間を耐えなくてはならないが、その価値は大いにある。こんな映画観たことないもん。
大物プロデューサーのグリフィン。
彼の考える「良き映画」の条件は①サスペンス②笑い③バイオレンス④希望⑤ハート⑥裸⑦セックス。
そして彼がなによりも重視するのは「ハッピー・エンド」であること。
ハッピー・エンドこそが最重要ポイントであり、その前には「リアリティ」なんて不要だと考えている。
彼はまぁ言ってしまえば現代ハリウッドの権化。
表向きは「映画は芸術」という態度をとってはいるが、一番の感心事はその映画がヒットするかどうか。
試写会での観客の反応次第で、その映画のエンディングを変えることもある。
彼の仕事は1日125本もの脚本の持ち込みから、映画化するものを選ぶこと。選べるのは年間でたった12本。
12本/45,000本なのだから、とんでもない倍率である。
そんな仕事なので、当然ながら敵も多い。
そんな彼が、何者かから脅迫状を送られる。彼は疑心暗鬼から、罪のない脚本家を殺してしまう。そして、偶々出会ったその脚本家の恋人と恋に落ちてしまう。
そんな彼の罪がバレるのかバレないのか!?彼女との恋の行方は!?
…という、ベタといえばベタな内容。
本作はグリフィンの思う良い映画の条件が全て備わっている。
それにも拘らず映画は退屈極まりない。
サスペンスはだらっとしているし、ラブ・ロマンスも薄っぺらい上に飲み込みづらい。
もうこれは意図的に「ハリウッド的な良い映画」をおちょくっているとしか思えない。
「お前らの考えている映画論なんて、退屈極まりないんだよ!見せてやるぜオラっ!」
って感じで、とにかく定石を踏みながらもどこかズレているということが積み重なってゆく。
そして最後の「ハッピー・エンド」!
「一年後」から後の展開は全人類に見てほしい、正に完璧なコント🤪🎉こんなもん絶対笑うやろー!
こんなに悪意に満ちた「幸せな2人」からのTHE ENDは誰も見たことがなかっただろう。
作中でグリフィンが、ヒロインであるジューンに「君は真のアナーキストだ」と言い放つ。彼女は映画を全く観ないし本も読まない。
「真のアナーキスト」とはこの映画の精神そのものであり、また商業主義に塗れた現代において、映画も本も観る価値はない、という監督の強烈なメッセージであるとも受け取ることが出来る。
さらに、現代の映画界への批判に加え、懐古主義的な観客への批判も忘れない反骨精神が素晴らしい。
「オーソン・ウェルズとかヒッチコックとか昔の映画は良かった。今の映画?観てないけど。」
こういうスノビズムへの嫌悪感こそが本作の根底であり、だからこそ引用やカメオ出演、メタネタを多用しているのかもしれない。
「わかる人にはわかる。分からないやつはバカ。」みたいな姿勢をおちょくっているようにも感じられた。
21世紀に入り、商業主義の産物である安易な続編商法は、映画のユニバース化という新しいゾーンに突入している。
一長一短のある映画のユニバース化だが、間違いなく言えるのは、長く続けば続くほど新規参入が難しくなっていくということ。
「MCU」なんてドラマも始まってしまって、もはや新規参入不可能だろ、なレベル。
そして、過剰とも思える近年のポリコレ化。
観客の目を気にするあまり、逆に映画の持つ可能性を閉じていくことに繋がってはいないだろうか?
本作が作られてから30年経ち、映画業界の良くなったところ、逆に悪くなったところはどこなのだろう?などと考えさせられた一作。本質はあんまり変わっていないように思うけど。
つまらないことに意味がある、という映画界のパンク・ロック。
やっぱりジュリア・ロバーツとブルース・ウィリスは最高だぜ💥💥💥
毒気満載、くたばれハリウッド!
冒頭からスタジオを闊歩するソニー一行や実際の「卒業」の脚本家バックヘンリーが続・卒業の脚本を売り込むシーンなど面倒臭くなる予感がプンプンです。
ロバート・アルトマン監督自身もハリウッドの商業主義には嫌悪むき出しのお方でしたし、原作・脚本のマイケル・トルキンも家族ともども映画に失望していたらしく監督と思いが一致したのでしょう、劇中でも「自転車泥棒(伊1948)」のラストシーンが映されますが、それだけで胸が締め付けられますね、映画が弱者に寄り添っていたころの名作ですので失われた映画の象徴、メタファーなのでしょう。
それにしてもご両人は酷いブラック・ハリウッド物語を創ってしまいました。
アルトマン監督は脚本より役者の自発性を尊重する演出家でしたから脚本家と揉めることは日常茶飯事、反面、役者連中には熱烈なファンも多く劇中劇のジュリア・ロバーツはノーギャラ出演だったようです。ご本人のカメオ出演の多さも監督の人望の賜物でしょう。
一応サスペンス風ではありますが伏線の様で紛らわしい仕掛けばかりで困惑します、警備主任のウォルターがまるで目撃していたかのように主人公を問い詰めるのでてっきり黒幕と刷り込まれました、また頻繁に謎の尾行者が出てきたりで思わせぶりな演出が鼻につきます。皮肉にばかり力を入れず少しは娯楽性にも技の冴えを見せて欲しかったのですが刑事がウーピー・ゴールドバーグでタンポン振り回して大笑いでは端からサスペンスや社会正義など監督の眼中にはないと思ったら、案の定、無罪放免です。
脅迫者も別の作家と分かりますがいわば業界内輪のドロドロ感しか残りませんし、殺人者が社長にまで昇進し、捨てられた元彼女や間違って殺された作家、こともあろうにその彼女と結ばれハッピーエンド風で終わる酷さは後味の悪さ抜群です。
ジュリア・ロバートの劇中劇でも悲劇で終わるはずがモニター試写で不評、ハッピーエンドに一変、確かに観客はハッピーエンドが好物ですが興業優先で口を挟む上層部に辟易していたのでしょう、それなら見掛けだけハッピーエンドにしてやろうとのこのひねり、さすがアルトマン監督、毒気の処方に掛けては長けていますね、やられました。
全5件を表示