珈琲時光 : 映画評論・批評
2004年9月1日更新
2004年9月11日よりテアトルタイムズスクエアほかにてロードショー
残酷な時のきらめきをとらえる穏やかな語り口
小津安二郎生誕100年記念映画を台湾人の監督が東京を舞台に、日本人の俳優たちを使って多くの台湾人のスタッフで撮る。これをグローバルと言っていいかどうかは分からないが、そこにはある種の混乱と歪みが意図的に持ち込まれていることは確かだろう。
たとえばこの映画で示される人間関係は、以下のようなものだ。主人公は最後まで画面には登場しない台湾人の男の子供を身ごもっている。彼はマザコンで、主人公は彼と結婚するつもりはない。彼女の両親は実父と継母という組み合わせ、そして東京で彼女を見守る兄のような恋人のような古本屋の男。そのどこにも安定した関係はない。
彼らの生きる一瞬は、そのひび割れを決定的なものにも繋ぎとめもする一瞬である。次の瞬間には全く違う局面に、彼らは立たされる。それは彼らが生きる時間軸さえ断片的なものにするだろう。父のない子として生まれる主人公の宿す命が、どこかで古本屋の男や主人公の父や母の人生に接続されていく、SF小説や映画のような時間のねじれをそこに見ることもできる。
一瞬ごとに質を変えるそんな残酷な時のきらめきを、この映画はとらえる。そしてその穏やかな語り口が、これこそ我々の人生のありふれた風景なのだと告げるのだ。
(樋口泰人)