ショコラのレビュー・感想・評価
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『全て同一の神』で、『偶像崇拝をしない』
大枠で表現されているのは
ユダヤ教徒
カトリック教徒
ロマ系の人々
の関係をチョコレート店で♥何だけど。
あくまでもファンタジーでデフォルメされている。
では、
なぜチョコレートなのか?
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に限らず、この一神教は『全て同一の神』で、『偶像崇拝をしない』と言う事。
伯爵の行動にそう言う場面があった。伯爵が女神を壊して食べる場面があった。
チョコレートは溶ける。形もなくなり、液体と化す。そして、人間の体の中に誘惑として入っていく。それは毒にもなるし、活力にもなる。つまり、その人の『心=資質』の問題だと言う事。つまり、ここで実存主義が姿を表す。
神と向き合う人間について語る神父は
『実際に経験せず、神を知る事は出来ない。そして、相手を受け入れる事だ。神は寛容なんだから。』
実存主義的な西洋諸国の文化だネッ。
さて、ロマ系の人々はユダヤ教、キリスト教、イスラム教でもない。
ユダヤ系の人々よりも寛容に何でも受け入れる民族。だから、最後にロマ系の音楽で締めくくられる。
傑作だ。けれども、演出家の本国スウェーデンは移民を受け入れすぎて、
NATOにまで入る事になってしまったようで、残念な事だ。
心の鍵を開ける
あのお祖母さんの遺灰?に何かもっと秘密があるように思っていましたが。
ヴィアンヌが定住せずに娘アヌークを連れて赤いマントを翻し渡り歩かねばならないのは、
この村人たちのように自分の主張を持たず悪習であっても見ない聞かないようにして過ごすことができないからでしょう。
自分の考えを主張すれば居辛くなってしまったのでしょう。
裸の王様ならず伯爵家の生まれで代々村長の家柄のレノ伯爵、自分の裁量で物事の判断をし、周りの人たちを苦しめてでも意思を貫き通す。
しまいには、あれ、犯罪だと思いますが、
ルーたちが寛大?だから何も無く。
ヴィアンヌは誰に対しても優しく親しみ込めて接していました。作るチョコも同じく人々の心を甘く溶かしていきます。家主のアルマンドに少々嫌味を言われても気にせず、事実とは違うあらぬ噂を流されDV夫に酷い目に遭わされていたジョセフィーヌを救い匿い一緒にチョコレート作りをして親しさを深めて行きます。
また、ジョセフィーヌ自身安心して気持ちを通すことができ徐々に強く変わっていきます。 元夫が、花を持って仲直りしに来た時、どうするのか不安な気持ちで観ていました。
アイツ、変わってない!騙されるな!中に入れるな!って。
見事ジョセフィーヌは私の心配をよそに騙されず花だけ受け取りきちんとドアを閉めました。
ブラボー‼️
ジョセフィーヌの変貌はこれにおさまりません。
チョコを摂取してはいけない病気のアルマンドのことを知らなかったヴィアンヌ。
孫とのやりとりを応援していた為、亡くなったアルマンドに罪の意識を感じてまた旅立とうとした時も、「あなたのせいじゃない。」と言葉で引き留めるだけではありませんでした。 翌朝、キッチンには、ジョセフィーヌはじめヴィアンヌへの感謝の気持ちでいっぱいの人たちが集まって色々なチョコ作りをしていました。
ヴィアンヌのおかげで本来の道に戻れたり、正直に自分の気持ちを伝えられた人たちでした。
優しいヴィアンヌは、行儀の悪いレノをも許してあげます。
やはり、こんな素敵なヴィアンヌですから、
放浪大好きなルーも帰って来ました。
せっかくできた友達とも別れずにすむアヌークは、にこにこ笑顔でルーに抱きつきました。
お祖母さんの遺灰は娘ヴィアンヌを見守り、やっとヴィアンヌを認めてくれる人々に出会い場所を見つけたので散っていったのでしょう。
娘思いのお母さんでした❤️
教条主義のチョコまみれ
「午前十時の映画祭」で鑑賞。
こういう村社会的な問題は日本にもありそうだな。
排除するより受け入れること――。
さいごのアンリ神父の説教に、この映画のメッセージが込められているのですね。
理性(思想や信条)が非理性(身体感覚)に負けて、レノ伯爵がチョコまみれになる場面では、モームの『雨』を思い浮かべたり。
『バベットの晩餐会』とカップリングさせた「午前十時の映画祭」実行委員の方々のチョイスに納得。
しかしヴィアンヌも、もうちょっと「郷に入っては郷に従う」という謙虚な姿勢を見せたほうがいいんじゃないのとも思いました。
追記
本作はいい映画なのに、日本ではそれほど知られていないのでは?
チョコレート業界とタイアップして宣伝していれば、もっと映画も話題になっただろうし、チョコレートの売り上げにも貢献できたんじゃないでしょうか。
今回の「午前十時の映画祭」の上映期間は、いちおうヴァレンタインの時期に合わせているんだろうな(もう少し後ろにずらしたほうがよかったような気もしますが)。
「北風と共にやって来た母娘がチョコの甘くほろ苦い癒しの魔法で村人の心を優しく解きほぐしていく心暖まる物語」な~んて思ったら大間違い。かなり苦いビター味。だけど最後は南風が吹いてきて心暖まる。
◆まず、1番感動して思わず「ヨシ」ってコブシ握っちゃったところ。
後半、ヴィアンヌとアヌークが村を去るのを思いとどまり店に戻る。ドアを開けると、そこには店を切り盛りしてチョコ作りをテキパキ指示するジョセフィーヌの姿があった。
少し前に、2人が村を出ていくのを知ったジョセフィーヌが絶望してしまう場面があって、ジョセフィーヌはこのあと一体どうするんだろうと思ってた。だからこの場面を見て、ジョセフィーヌは自分の足で歩いて行こうって決めたんだって思った。
突然だったんで、ジョセフィーヌが踏み出した1歩に、「よっしゃー、ジョセフィーヌやったね」と嬉しくてコブシを握ってしまったのだよ。
◆あと、「あっ、ヴィアンヌも古い因習にとらわれていたんだ」と思って印象に残ったところ。
ヴィアンヌが村を出ようと決め、嫌がるアヌークと階段を降りてる途中で鞄が開いてしまって母親から譲り受けた鍋(?)が割れてしまった場面。割れた鍋を見てヴィアンヌは村にとどまる決心をする。割れた鍋を見てヴィアンヌが「お前はわたしと同じ放浪の旅をする必要はないんだよ」という母親からのメッセージと思ったかどうかは分からないが、とにかく村をとどまる決心をする。
鍋に入っていた母親の遺灰らしきものを窓から風に吹き流して母親からの呪縛とオサラバする場面と合わせて印象に残った。
因習にとらわれていたのは村長や村人だけじゃなかったんだ、ヴィアンヌもそうだったんだと思ったしだいであるよ。
◆イケメンヤローのジョニー・デップのヤローのことだ。
僕は「パイレーツ」で元の顔が分からないジョニー・デップしか知らないから、何でこんなに人気があるんだろうと思っていたが、この映画で人気の理由が分かった。
今さらここでボクが言うまでもないだろうが、何じゃこりゃってぐらいスゴいぞ。ジョニ~。
中盤ぐらい迄なかなか出てこなくてジョニー・デップを見に行ったファンはヤキモキしたことだろう。まあ僕的にはイケメンは人類の(正確には僕の)敵なのでずぅ~っと出てこなくても良かったのだがそうもいかない。
最後に南風として戻ってきてメデタシメデタシ、ハッピーエンドである。ヤロォ~。
◆牧師(神父かも)が優しさや寛容を言うとこも良かった。禁欲と自戒も大事であるが、どうも苦手なので自堕落な生活が続く。
◆(映画にほぼ無関係な余談)
この映画を見たのは初めてだが話題に出ると思い出すセリフがある。マルスミゼルのアルバムの中のセリフだが、フランス語なので分からない。アルバムをダビングしてくれた人はマルスのガックン(Gackt)のファンで、その人に訳してもらった。
Je m'en souviens comme si c'était hier.
(それを)まるで、きのうのことのように覚えている。 あるいは
(それは)まるで、きのうのことのように思い出される。 ← こっちの日本語のほうカッケーと思って好きである。
ガックンといえば、今年(2024)の芸能人格付けでGacktと組んだDAIGOのGNK(Gacktさん殴ってください)が笑えた。
いい話
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主人公のオバさんは子持ちの独身。先祖代々ジプシー生活を送っている。
このオバさんがある町に流れ着き、チョコレート屋を始めるが、
無神論者でミサには出ないわ、断食の時期に開店するわで、
土地の有力者の伯爵に目をつけられる事になってしまう。
しかしチョコレート作りの上手さや人柄から、仲間は増えて行く。
ダンナのDVから意を決して逃れて転がり込んで来たジョセフィーヌ。
孫と仲良くしたいのに、不仲な娘から遠ざけられている婆さん。
さらに船を持ち海賊のような生活をするジョニー。
特にジョニーは伯爵から完全に異端者という扱いを受けていた。
老い先短いこの婆さんの強い願いで、主人公はパーティーを開く。
そこにはジョニーも参加し、とても楽しいものとなった。
しかしこれが伯爵にバレ、伯爵は「どげんかせんといかん」とつぶやく。
それを聞いたジョセフィーヌの元ダンナが意味を勝手に解釈し、
ジョニーの船に放火し、船は駄目になってしまう。
決して悪人ではない伯爵は罪の意識を感じ、半狂乱で主人公の家へ。
何をするつもりやったか、夜中にナイフを持って忍び込んだ。
そこで見つけたチョコレートを見つけ、食ってしまう。
断食を自ら破ってしまったわけだが、主人公は優しく許す。
こうしてこの町は古すぎるカトリック思想から脱することに成功し、
新しい物や異なる思想の者も受け入れられる町へと成長した。
主人公とジョニーも結婚したみたい。
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いやー、いい話やったわ。
権力者って既得権益を守るために保守的になりがちやが、
この伯爵もまさしくそういう性格であった。
しかしズルい事をするような人間ではなく、
また人間らしい欲望や弱さも心根に普通に持っている人間で、
その心の氷を主人公ら新しい発想の人達が溶かしたのだった。
全体に感情移入できるような内容であったし、
主人公のオバさんらがなかなかいい演技をしていたように思う。
みんなチョコ好き
町を転々とする女性とその娘。
チョコ屋さんを開く。
古い考えの村人。
ジョニーデップが出てるのを知ってたから、いつ出てくるんだってかんじるくらい後から登場。出てこなくても十分楽しいけど、どう出てくるんだろうと思ってた。
伯爵はみんなの模範で規律に厳しい人だが人格者ではなく、決められた枠から出ないように村人を矯正しようとする。
チョコを敵対視し過ぎてた。
教会に通ってる人が多く、説教の添削をしてる伯爵の考えは説教を通して村人に浸透する。
懺悔室で罪を告白すれば救われると考えてて、都合いいと思ってたけど映画でネタにされてるってことは、海外でもそう思ってる人は多いのか。
味方になってくれる優しいおばあちゃんと絵の上手い男の子のシーンが良かった。
村人の価値観を変える主人公。
そのきっかけになる美味しいチョコ。
チョコの美味しさに誘惑に、抗えずつい食べてしまう。村人はチョコを食べずにはいられない。
これ、チョコ屋さんだったから説得力あるなと思った。私もチョコ大好き。
古い価値観を外から来た人たちが変える話だけど、ジョニーデップと恋するのはなくてもいいような。ロマンスがあった方が客は楽しめると思うしそこまでメッセージ性強くしたくなかったのか。
この作品の頃の価値観で恋も仕事もうまくいって幸せにその後も暮らしたのを示したかったのか。
伯爵役の俳優はスパイダーマンに出てたあの人だった。好き。
疲れた心にショコラを
1950年代、教会にこそ救いがあり、洗礼を受けていない人は救われないという考えが支配している時代。
フランスの外れの小さな村で、伝統と規律を守り教会の掟を厳守し、今当に「四旬節の断食の時期」を迎えるレノ伯爵と村人達
VS
南米から受け継がれるチョコレートの効能を広めるため放浪し、吹き荒ぶ北風と共に村へとやってきた色鮮やかな赤色のフード付コートを羽織る母ヴィアンヌと娘アヌーク
あの手この手の攻防戦の中、お互いが疲れ果てる頃に
実はお互いカタチばかりに拘っていたことに気付く…。
決め事のように神の為に祈らなくても、自分達の幸せの為に神に祈ってもいい、伝統と規律の中に自由があってもいい
娘や自分の幸せを削ずってまでチョコレートの効能を広めずとも、幸せを掴んだ村でチョコレートを作りみんなを笑顔にかえれば北風は自然に吹き去って行く
見事、魔女の作ったショコラは全ての人を笑顔にしましたとさ。
因みに、
ヴィアンヌは『寛大な•有能な•陽気な•幸運な』等と言う意味があるそうです。
アヌークは『恵み•チャーミング』
CHOCOLATERIE Maya
ショコラ専門店マヤの闊達な女性店主ヴィアンヌを、ジュリエット・ビノシュが魅力的に演じる。
彼女と親交を深める2人の女性をジュディ・デンチとレナ・オリン、娘をヴィクトワール・ティヴィソル、神父をヒュー・オコナー、伯爵をアルフレッド・モリーナ、ジブシーをジョニー・デップ、絵の巧い心優しき少年をオーレリアン・ベアレント・ケーニング…全てのキャストが絶妙 ✨
美しい色彩に溢れ、他者に寄り添う心の温かさを描いた余韻の残る作品。
-カンガルーのパントゥ-フル 🦘
NHK-BSを録画して鑑賞 (字幕版)
古いヨーロッパ文化
日本人好きそうじゃないかな? こういう古いヨーロッパの文化が、最後に残っているような村でのハプニング。ちょうど現代に向かう途中、価値観の変化が起こる。
ジョニーデップかっこいい。いい味出てた。
昔物語って感じなので、かんたんでわかりやすい。
女主人公は新進的に見えて、ありえないくらい親切でいい人。あれで人に好かれないなんて、最終的にありえないよね。むしろ媚びてるくらいいい人。
多分、鑑賞2回目。以前見てるの忘れて、また見てしまいました。
おとぎ話?
若い頃のジョニー・デップが出ていると聞いて観た。
が、なかなか出てこなくて、あれ?間違った?と思っていたら…いや〜カッコいい!
村長とか神父とかではなく、流れ者みたいな役。
そうだよね、そうこなくてはっ!
ギターを持つ姿はしびれた〜!←古っ
村全体がおとぎ話に出てきそうな雰囲気。
赤いマントの母と娘。
埃だらけのテナントを借りる。
もちろんピカピカに磨いて、素敵なチョコレート屋さん(チョコレート工場ではない笑)になるわけだが。
その昔?カカオは薬だった?
占い師のようにその人に合ったチョコレートを食べさせる。
さすがに糖尿病には効かなかったらしい。
カカオは72パー以上にすれば良かったね。
ふんだんにチョコレートを溶かすシーンが出てきて、画面からチョコの香りがプンプン。たまらん。
でももう少しチョコレートの効能とか教えて欲しかったな。
しかし村長だけが許され、命令に従って船に放火した男は人殺しになるところだったんだぞ!と、追い出された?ひどい。
そして村長は再婚?何だかなぁ。
ストーリー的には腑に落ちないところもあるが、ジョニー・デップに免じて星は多めで。
おとぎ話風世界の王道
娯楽映画としては最高の映画だった。題材も面白い。中世風の現代都市にチョコレート屋を開いて、村人の心を溶かすという筋書き。「かもめ食堂」はここからも相当インスピレーションを受けたようだ。足が悪いカンガルーと同居しているというのも気に入った。ジョニーデップがすごく上手にギターを弾いているのを見られてよかった。彼は、なんにでも化けられる俳優である。
酒飲みの亭主だけが村から追い出されて、後は村長さんが改心して楽しく暮らしたみたいだけれど、亭主はかわいそうだった。村のがんみたいな扱いをされて、無念だっただろう。
チョコレートで人の心を開く伝道師
中学生の時に初めて観て、そこから3度目?4度目?くらい。
チョコレートは美味しいだけでなく、心身ともに効果があると古くからホットチョコレートが飲まれてきた。
そのチョコレートによって凍りついた町の人々を解放していく“チョコレートの伝道師”のように町を渡り歩く親子。
不仲だった夫婦の仲を良くしたり、女性にアプローチしたいけど勇気が出せなかった老人を手助けしたり、DVに合っていた夫人の目を覚まさせたり、会えなかった祖母と孫が会えるようチャンスを与えたり…
最後には町で一番の堅物だった、町長さんの心まで解放してしまう。
ジョニデは船で放浪する商売人で、主人公(ジュリエット・ビノシュ)と恋に落ちる。
こんなにも優しい人の心の動かし方があるんだな、と観ている方もなんだか優しい気持ちになる作品。
ジュリエット・ビノシュが美しすぎる♡
彼女の作品を他にも観てみたい。
チョコレートの魅力
甘いものは好きではないけど、村人たちの幸せそうなリアクションをみたら食べたくなりました…。
人の心を溶かす、というツールとしてチョコレートというのはベストな気がします。
子供の頃から引っ越しが多く、今も引っ越し直前。
そして旅も好きな自分は、北風に誘われてしまう気持ちはよくわかるのです。
だけど、そう、落ち着きたい気持ちもあるのです。
彼女らと同じく、ここだなと思うところをいつか見つけられればいいな。
もしくはジョニー・デップほどに拘らない、達観した放浪者になりたい。
登場人物がどれも個性的なため、 物語に引き込まれていきました
素晴らしい映画でした。 けいけんで質素なキリスト教徒のむらに、 派手で堕落したよそ者がきて騒動を起こすはなしです。 どこにでもある異文化対立ですが、 登場人物がどれも個性的なため、 物語に引き込まれていきました。 中世ヨーロッパのような街の雰囲気もすてきでした。 映像美にもこだわり抜いていると感心させられました。
物語の中核は [キリスト教徒とは何か] です。 [教えを忠実に守り、 従わないものを排除する宗教] なのか、 [別の宗教や価値観を受け入れ、 愛する宗教] なのか。 この映画では最後に [異文化を受け入れ愛すること] が勝利します。 しかし、 断食している最中に、 すぐとなりでチョコレートの強烈な匂いを充満させていたら、 不満を抱くのは誰でも同じだとおもいますが。 それらの問題点をむししていることに疑問を感じました。 といっても、 そういうことを考えさせられる映画ということは、 それだけ優秀な映画という意味でもあります。
ただし、 登場人物の顔がどれもにているため、 途中でだれなのかがわからなくなる場面も有りました。 もう少し識別しやすい特徴付けをするべきです。 また、 最後にキリスト教徒側のボスが勝手に自滅したのは納得できませんでした。 もっと現実的な終わりかたがあっても良かったとおもいます。
当然ですが、 エロ・グロ・バイオレンス、 爆発、 殺人、 ミステリー、 などは一切存在しません。 そういうものを映画に期待している人は絶対にみないでください。
チョコレートは悪魔の誘惑…でも幸せの一粒
ヴィアンヌがアヌークを連れて、フランスの古いしきたりの残る村へ…。正直、その古い村の景色のファンタジーな感じですでにノックアウトされました。ヴィアンヌに扮するジュリエット・ヴィノシュの美しい笑顔、アヌークの屈託のない笑顔、それを包み込む赤いマント…いかにも壮厳そうな村の冬景色にやってきた2人の天使…か?
古くいかめしい村にやってきた異端は、その村になじめないながらもその嘘のない笑顔とチョコレートで徐々にではあるけど、村の氷を溶かしていき、そのことで旧態依然とした村はさらに警戒を強めながら…
という途中までの内容はすごくファンタジーでした。
が、
ジョニーデップが現れてからの違和感!!
いや、ジョニーデップは大好きなのですが、ここまで変わるか!!というくらいデップの違和感が半端ない。嫌いではないですが、あまりの変化にびっくりしました笑
かたくなにヴィアンヌを拒む村長とそれに従う集団心理は、アルマンドの最後のパーティーを期に爆発。彼女の最良の死を、死して謹むべきといわんばかりの神父の説教に吐き気がしましたが、それはヴィアンヌも同じ。村を出る決意をしてしまいます。
嫌がるアヌークを連れて無理に連れて行こうとする最中、おそらく代々伝わる大事な陶器を割ってしまい、アヌークが「ごめんなさい、次のところではいじめられないよね。私、行くよ」と泣きながら母に従うシーンのヴィアンヌの表情が何とも言えず、ヴィアンヌが村になじめないことで、アヌークを犠牲にしてしまっていることがまた繰り返されるということを母子ともに知っている…その悲しさが少し涙腺を緩ませつつ、次のシーンで、明りのついた厨房でみたものは…。涙腺が完全に爆発しました。
神父の最後の説教で、「神の神性について語るのではなく、人間性について語りましょう。何かを拒むことではなく、何を受け入れるか」というくだりが、この物語のすべてで、すべてを受け入れてきたヴィアンヌと何も受け入れなかった村…その対決は子供の犠牲とチョコレートによって決着!!
最後のシーンでパントゥーフルが旅立つシーンは、この物語の本質を語っている気がします。人間はだれでも自由で、縛られるものではなく、人生は謳歌するべき。封建的な村との対比で改めてそれが鮮明になる感じは、社会のどこにでもある風景を見せられている気がしつつ、最後は完全なハッピーエンドへ!
なんだかここまで用意されて幸せな気持ちになるのは悔しいですが、やはりチョコレートのせいでしょうか。
そして、完全にわき役のはずのジョニーデップは、完全に出ている瞬間は映画を支配しているのには少し笑いました。
デップすごいです。
人間性とは、何を受け入れるかで決まる
☆人間性とは、何を排除するか・我慢するかではなく、
何を受け入れるかで決まる。
ビアンヌとチョコレートが村人たちから受け入れられたのは
まさにビアンヌに受け入れる姿勢があったから。
逃げ込んできたジョゼフィーヌを受け入れ、
村人から嫌われる海賊を受け入れ、
そして嫌がらせをしてきたレノ伯爵をも受け入れる。
ビアンヌの人柄の素晴らしさが見える数々のシーンは感動的です。
☆映画に出てくるチョコレートはどれも見た目がかわいく、
おいしそうで、ハッピーな気分になります♪
☆海賊役といえばジョニー・デップ!
ジョニー・デップの色っぽさが感じられて胸キュン♪
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