さらば、わが愛 覇王別姫のレビュー・感想・評価
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大作で名作
映画好きな方や海外では有名なのかもしれないけど、私は全然知らなかった作品。
壮大な歴史物で、恋愛映画でもあり、
今でいうLGBTもじっくり描かれた内容。
普遍性のある大作で名作です。
映画を漁り始めて少し経つと、
好きなジャンルで知らない大作なんて
まだあるんだろうかとか思い始めるけど、
まだまだあったなあ。
霸王别姬胶片版东京重映,去看了。我买的位置不好,第一排中间偏右,两...
霸王别姬胶片版东京重映,去看了。我买的位置不好,第一排中间偏右,两小时40分钟感觉脖子要断。但是正因如此才如此近距离的欣赏到这部影片,胶片的每一处划痕,镜头的每一次抖动,每一处光影交错都看得清清楚楚。电影本身看过很多次,已经很难再有新的想法,唯有小赖子自杀时,扑面而来的尘土,让我揪心。另外我旁边坐了两个日本辣妹,剧终鼓掌的时候,她俩都惊了,不知道看懂了没。
切なくてやり切れない
ずっとずっと昔に見たけど、見た時の切なさとやり切れなさは今でも記憶の隅に残っている。
信頼していた人の裏切りとそれによる絶望感。
レスリーチャンがとにかく可哀想で仕方がない。
見たらまた胸が潰されそうになりそうだけど、何十年ぶりかにまた見てみようと思う。
レスリー・チャン
「男として生まれ」なのか、「女として生まれ」なのかわからなくなってきた(笑)。しかし、これだけ長時間の映画なのに時間を感じさせないくらいに京劇に魅入ってしまうという一大叙事詩なのだ。日本の占領、国民党、共産党と時代が変わる中で、芝居の中で生き続ける二人。中国近代史の勉強にもなる。
文化大革命の後は、台詞さえも変えられてしまったのかな?よくわからないが。
レスリー・チャンその人と重なって
京劇の花形役者二人の人生を軸に、日中戦争前後から50年間の激動の中国社会を描いた大作。
公開当時のレスリーは俳優活動がめざましかったけれど、その後突然に亡くなったこともあって、彼自身の運命にも重なるような気がした。
そして第二次文革とも言われる事態が進行する昨今、この映画のようなことがまた起きていそうなのも悲しい。
舞台の上の彼はこの上なく美しく、3時間近くある長さもあまり気にならなかった。
中国の近代史に疎かったけれど
この映画を観て、ネットで色々読んでみた。今だって選べないことの多い人生だけど、沢山の先人のお陰で、幸せな時代に生きてると思う。ただただ舞台に全人生をかけているだけなのに、時代が変わるだけでこんなに翻弄されるなんて。しかし京劇のシーンは美しい。皇なつきさんの漫画を思い出した。
レスリーチャンにつきる
レスリーチャン、、、。天才か!
彼はもうこの世にいないけど、こうやって作品の中で生きている。
鳥肌ものの演技。
正直、周りが霞むほどに。
香港は今、あの頃とだいぶ様変わりしたけど、今の香港を見てレスリーチャンは何を思うんだろうと考えてしまう。
男として生を受け・・・
見にいってよかった。昨年、映画館で見たのより映像も音もクリアで、昨年も配信でも見た記憶がないシーンがあったのでやっと全部を見ることができたように思う。戦争、内乱、芸術、貧しさ、美、天地のひっくり返しをもたらす革命と権力と思想。蝶衣と菊仙の嫉妬と憎しみと駆け引きの激しさと苦しさをレスリー・チャンとコン・リーが命を輝かせて演じた。何度見ても涙する。(2023.08.04.)
映画館で見ることができるとは夢にも思っていなかった。鏡の使い方が素晴らしいことに気がついた。レスリー・チャンとコン・リーの演技に心打たれた。演劇「M.バタフライ」を見る心の準備もできた。レスリー・チャンの不在が悲しい。(2022.6.3.)
レスリー・チャンの演技があまりに素晴らしくて胸が痛い。子どもの時、少し大きくなって、そして大人になって、きっかけは色々で、涙が一筋(または沢山)こぼれる場面が美しい。それから血。手の指から流れでる血、その血で判を押す、台詞を間違えた小豆を滂沱の涙を流して石頭がわざと折檻する、口から血を流して今度は完璧に演じる小豆、手の平の血で唇を拭う蝶衣、法廷で指で判をおし赤くなった手で唇を拭う。蝶衣にはいつも赤がつきまとう。赤い金魚もそう。蝶衣の部屋の金魚柄の薄布、金魚鉢の中を泳ぐ金魚。全部、蝶衣みたい。金魚は中国だなと思った。でも、文化大革命の赤色は蝶衣の色じゃない。荻原浩の小説『金魚姫』を思い出した。
習慣なんだろうか。背中から長衣をかけてあげるシーンが沢山ある。親愛の情を示す行為なのかな。久しぶりに見て、菊仙の孤独と絶望がわかってきた。蝶衣の母親も菊仙も同じ境遇、自分が京劇の役者になったのも石頭と出会ったのもそもそもは母親ゆえ。運命から人は逃れられないのか。(2020.11.23)
大柄で背の高い石頭の横に立つ小柄な蝶衣。その佇まいが映画の最初と最後におかれている。そのシーンがすべてを語っていた。蝶衣が愛らしくて涙が出る。
蝶衣は男性の装いの時も、足さばき、立ち止まる、振り返る、寄り添う、発声と話し方、笑顔、眼差し、師匠の前にひざまずいた時の足が正座重なりをしているなどすべての身のこなしが(一昔前の)歌舞伎の女形の役者さんと同じ。こんなこと稽古無しに一朝一夕にできる訳がない。衣装と鬘をつけて顔を作って照明を浴びた舞台の上の姿は美しく、嫋々とした、という言葉は蝶衣の為にあるとしか思えない。レスリー、天才だと思う。
あまりに蝶衣に感情移入してしまったので、菊仙憎し!になってしまった。前の方の席に座っておいて芝居が終わらないのに途中で帰る菊仙ダメ!お行儀も悪い!海千山千の菊仙は計算づくの芝居じみた言動をして嘘をつき、何度も石頭を蝶衣を、沢山の人を騙した(コン・リーが上手い役者だからこそ)。でもそんなこと、最初から蝶衣にはお見通しだった。苦界から抜けたい彼女の思いはわかる。けれど母からやむなく捨てられ折檻に耐えながら居場所がそこしかない所で歯を食いしばってきた男の子が、体をはって涙を流して守ってくれた石頭と離れられる訳がない。蝶衣が阿片中毒から立ち直るために苦しんでいた時に抱きしめてくれた菊仙は、でもその時だけは蝶衣の母だったかも知れない。
蝶衣は芯が通っている。法廷で嘘をつかなかった。日本軍は自分の体に指一本触れなかった、青木が生きていれば京劇を必ずや日本に持って行ったはずだと述べた。日本人は京劇の素晴らしさと美しさをわかっていると、歌い踊りなから蝶衣は感じたからだ。それに、大嫌いな菊仙の入れ知恵を諾々と受け入れたら菊仙に借りができる。蝶衣はいつも筋が通っている。
宦官であった爺さんの目にとまってしまった小豆が、布にくるまれて担がれて運ばれる場面。小説で読んだような気がする。若く美しい女性が殿様(?)みたいな人の所に運ばれた時もそんな風だった。そういう運搬方式が中国の習慣だったのかな?
スターになった石頭と蝶衣がスーツ姿で写真館で撮影。その後それぞれが人力車に乗っている場面で、蝶衣には赤い日傘をさしかける人がついていた。乳母日傘!歌舞伎では男も女形も顔は全部自分で作るけれど、京劇では男の隈取りは女形が描いてあげるのか。通常の演出では7歩の所が君は5歩だったねと、京劇の大御所が石頭に言う場面。歌舞伎好きもそういう話をよくする。京劇にはカーテンコールがあるんだ!
中国はこれからどこに行くんだろう?あれだけ芳醇な文化と芸術と歴史をもった国。
コン・リーとレスリー・チャン
1994年劇場公開時鑑賞。
当時、コン・リーが好きでその流れで観たのですが、こういう強さと弱さ、したたかさと純粋さを併せ持つ役どころが、ほんとうにピッタリはまっていて、単なる敵役にとどまらない印象深い人物を作り上げていました。
そしてレスリー・チャンの辛く苦しい恋慕がにじみ出る美しく繊細な演技も素晴らしいです。
二人は後年『花の影』でまた違う役どころでチェン・カイコー監督と組んでいるので、比べてみるのも面白いです。
ただこの二人があまりにも素晴らしすぎたために、もう一人の主役であるはずのチャン・フォンイーは、あまり深みを感じられない演技で見劣りしてしまうのが残念です。
文革時の苛烈な粛清や劇中劇『覇王別姫』などを上手にストーリーに組み込んでいるのもポイントです。
この映画に出会った当時、京劇の煌びやかさにすっかり魅せられ本物の観...
この映画に出会った当時、京劇の煌びやかさにすっかり魅せられ本物の観劇にも出かけたりした。
今観ると、歴史的な背景であったり、京劇という文化がどのようにして時代を経てきたかということなどの違った側面に目を向けることができて、この作品に対する理解がより深まった気がする。
登場人物の心の機微についても以前より気づくことが多かった。政治によって価値観がくるくる変わる世の中に翻弄されながらも、変わらぬ信念と思いを貫こうとする主人公に心打たれたのはもちろんだけど、時代の潮流に押し流されて自分の価値観や誇りを捨てるしかなかった人間の悲哀も胸に迫るものがあった。
京劇「霸王别姬」と表裏一体の物語、中国近現代史のうねりに翻弄される三人の男女の運命。叙情劇と叙事劇とが見事な合体を見せる映画。
①2回目の鑑賞で初めての映画館にての鑑賞。映画館で観れたお陰でラスト・シーンの意味がよくわかった。
②一方、前に観た時に印象深かったシーンが2つ無かったぞ?記憶違いか、4K版にする時にカットされたか?(そんなことはないだろう…)お陰でレスリー・チャンが前に観たとき程は美しく見えなかった…
③チャン・フォン・イーは男という生き物を、コン・リーは(いつもの様に)女という生き物を体現している。そしてレスリー・チャンは…蝶衣という人間を体現する。
④この映画は前半と後半とで演出方法が微妙に違う。
前半は群衆劇のよう。子役を主役として前面に出すよりも当時の中国の時代背景と京劇の伝統的な世界とを克明に描き出す。
大人になりコン・リーが登場する後半は、その時々の時代相を点描するのは代わりないが、セットが簡素化し、中心人物三人による舞台劇のような様相を呈するようになる。
⑤
かくも怖ろしきかな、中国。 中国少年残酷物語。捨てられ、そして折檻...
かくも怖ろしきかな、中国。
中国少年残酷物語。捨てられ、そして折檻の嵐、果ては男色の餌食。途中登場の中国版山口百恵、こいつも勝気でいかにもです。ラストは…人間不信になりそうです。かの国の強烈さを知るのに最適な一作、衝撃です。
日本人の扱いは相変わらずだが、結構当たってるところも。観劇にて決して暴力はふるわなかったと。当たり前か(笑)
評価は高いようですが、私は正直あまり好きになれませんでした。長い、そして重い。
京劇から見た中国現代史
主人公(レスリー・チャン)は淫売の子、京劇の養成所に預けられるが、苛烈な訓練を仲良くなった兄弟子と耐え抜く。
大きくなって二人は大スターとなり、兄弟子は淫売の女(コン・リー)と一緒になる。
日本軍の侵攻、降伏、国民党から共産党へ、そして文化大革命と中国現代史を生き抜く。
京劇の美しさと歴史に翻弄される人々の生きざまが強烈で、とても印象深い。
今は言葉がありません
今は言葉がありません
・・・・・・・・・・・・
追記:やっとレビューを書けそうです。心が落ち着きました。
小学生のころ、広辞苑の【京劇】の項目に夢中になりました。
自由研究でその化粧を模写もしたし、関連で正倉院の妓楽面も調べたっけ。
この映画で、50年ぶりの京劇との邂逅だったんです。
胸を撃たれたし、本物が観たい。
それにしても芸を仕込まれる日々の辛さ・・・涙も涸れるだろう。
人は変わり、時代は変わり、政治も性別も変わり・・
すべてに翻弄される小豆子の運命というものが痛ましかったです。
中国は、大河小説の宝庫ですね。
蝶衣の子供時代の小豆、二代目の子役が一番美しかった。
(女の子かもね、名前からは性別は判らないな)。
自己実現なんて言葉が浮いてしまうほどの人生
自分から選び取った生き方ではない。望む・望まざるも関係なく、そうならざるを得なかった人生。
なのに、この愛、この仕事。それを失くしては、自分が自分であり得ないくらいにすべてを注ぎ込む生き方。
こんな生き方ができた程蝶衣をうらやましくもあり、切なすぎて、むせび泣いてしまう。
様々な思惑が、時代とともに、蝶衣、段小楼、菊仙の生きざまに絡み、翻弄されていく様を中心に、変わっていく時代を描き出した大作。
なんだろうけれど、正直、小楼の存在感がありきたりの演技なので、人間の業を演技で滲み出させた、蝶衣(レスリー・チャン氏)と菊仙(コン・リーさん)の二人の対比を際立たせるだけの狂言回しのように小楼が見えてしまう。
蝶衣は、小楼の弟弟子で、劇の上での女房役。けれど蝶衣にとっては、そう育てられた経緯も影響して、小楼は唯一無二の”愛しい人”。
だが、小楼はその思いを知ってか知らずか、菊仙と結婚する。
菊仙にとって、蝶衣の想いは邪魔でしかない。
幼少期~少年期にかけては、地獄のような生活を強いられ、花形女形になった今でも、パトロンから呪縛されているとはいえ、芸を極める以外に自ら”幸せ”をつかみに行くでもなく受け身な蝶衣と違い、娼婦であった菊仙は”幸せを”つかみに行く。
そんな二人が、時々の権力者や民衆に翻弄されて、その時々のありようが変わっていく。その様が、人間の業をにじませ、時にいやらしく、時にせつなく、時に悲劇で、時に幸せそう。そんな二人の姿が、時に合わせ鏡で、時につながり、時に不協和音を醸し出す。見事。
とにかく、レスリー氏が美しい。その思いを称えたまなざし。唇。所作。すべてに目を離せない。受け身で、なよなよしているようで、確固たる意志がある。大人(たいじん)としての風格がありながらも、ガラス細工のようなもろさも抱える。「男でなく、女」という舞台上の台詞を幼いころは「女でなく男」と何度も間違えるが、女のような身振りをしていても、男として生きたのだ、男として小楼を愛したのだと思わせてくれ、小楼と舞台を失っては生きていけぬほどの想いを体現してくれる。
小豆子を演じたマー・ミンウェイ君も見事。日本に出回っている映画ではその後を聞かないが、中国では映画か京劇で活躍していてほしい。
リーさんはたくましい。そのたくましさが美しい。”幸せ”を自らつかみに行くが、その”幸せ”は自分が良ければというものではない。愛した人の幸せをまず考えて動く。だからこそ、ラストがやるせない。
そして、小楼。幼いころの小石頭は周りを助けるリーダーシップを持っていたのに、大人になってなぜこんなになってしまったのか?単なるチャン・フォンイー氏の演じ方の問題なのだろうか?小石頭はとても魅力的で、蝶衣の幼いころ:小豆子が慕うのも理解できるけれど、小楼はちっとも魅力的でない。容貌ではない。大人(たいじん)としての風格がない。こんな男だからこそ、ラストのあの様につながるのかもしれないが。
小楼は蝶衣の想いを知っていて、気が付かぬふりをしたのだろうか?だから結婚を急いだのだろうか?だが、フォンイー氏の演技からはそんな様子は感じ取れない。
反対に小楼は、まったく気が付いていない天然バカなのだろうか?小石頭を演じた子の演技ならそんな風にも読み取れるが、フォンイー氏の演技では、そうも思えない。
だから、蝶衣と菊仙が小楼をなぜ愛するのか理解できない。菊仙は娼館に戻りたくない意地?蝶衣は舞台での一対の地位をとられたくないがための意地?に見えてしまって、残念。
三人の歯車が微妙にずれたところにあの文化革命が重なっての展開となれば、これ以上ない人間ドラマになったと思うのだが、小楼の演技が弱いので、たんに、歴史に翻弄された三人のあり様を描いた映画のように見えてしまう。惜しい。(なので、0.5マイナス)
とはいえ、たんなる三人の愛憎悲劇としてだけでなく、
蝶衣の一代記としてだけでなく、
時代を描いた作品としても見ごたえある。
しかし、戦中、中国にひどいことをした日本ではなく、かっての蒙古・満州民族とかの異文化民ではなく、中国・自国の民が、自分たちのあれほどの文化遺産を意図的に壊すなんて、なんて国なんだろう。
京劇役者養成制度はとてもひどい。バレエダンサーも人間業ではないようなポーズをとれるようになるための訓練をするけれど、今のバレエダンサーは、自ら志願した人ばかり。この映画のあの子どもたちは、好むと好まざる関係なく、それをしなければ生活できない。そんな奴隷のような制度はなくした方がいいに決まっている。
とはいえ、他人が強要する共産主義の自己批判なんて、たんなるやっかみにしか見えない。一見華やかな地位にいつつも、蝶衣がその中でどんな思いで生きてきたのか、どんな努力をしたのかは無視される。それでいて、京劇が復活すれば、また持ち上げる。そんな民衆の身勝手さが怖い。
蝶衣と菊仙は、そんな時代に翻弄されたのか、こんな時代に巻き込まれたからこその人の気持ちの変容に翻弄されたのか、それでも、京劇・小楼への想いを自分なりに貫いたのか?それが幸せだったのか、不幸せだったのか。私の中の答えは、その時々で違ってくる。
重厚!
歴史に翻弄される文化の悲哀、性別、身分、立場を超えた無償の愛情を求め続けて得られなかった者たちへの鎮魂、権力と尊厳の間で誤った選択をせざるを得ない人間の愚かさなど、テーマを挙げたら数限りなく出てくる、懐の深い、重厚な大作であった。
十数年前にお世話になっていた上司から観ることを勧められていたが、なかなかその気になれなかった作品だった。当時観ていたら理解できなかっただろうとも思う。年齢と学びを積み重ねた今、観てよかったとつくづく感じた。
奔走される京劇
冒頭の指の切断シーンから心をつかまれる。
レスリー・チャンの同性愛者は演技に見えない。
日本軍→国民党軍→共産党軍→文化大革命と奔走される京劇。
幻覚のような映像とどこまでが映画内の芝居なのか?
コミュニストによる地獄を残酷なほど見事に描く傑作。
カンヌ国際映画祭でパルム・ドール受賞は伊達じゃない。
97点。
長い長い
夢を見ているみたいな作品ですよね。
何もないところから、これを
作り上げるって凄い。
と、何度見ても思います。
レスリーチャン、チェンカイコー監督、
その他、素晴らしい香港、中国のスター、
監督たちを知るきっかけをくれた作品。
やっと、今月、映画館(早稲田松竹)で
観れるチャンスが。
とても大事な作品です。
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