さらば、わが愛 覇王別姫

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劇場公開日:2023年7月28日

さらば、わが愛 覇王別姫

解説・あらすじ

2人の京劇俳優の波乱に満ちた生きざまを描き、中国語映画として初めてカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した一大叙事詩。京劇の古典「覇王別姫」を演じる2人の京劇役者の愛憎と人生を、国民党政権下の1925年から、文化大革命時代を経た70年代末までの50年にわたる中国の動乱の歴史とともに描いた。デビュー作「黄色い大地」で注目され、本作の成功によって中国第5世代を代表する監督となったチェン・カイコーがメガホンをとった。

1925年の北京。遊女である母に捨てられ、京劇の養成所に入れられた小豆子。いじめられる彼を弟のようにかばい、つらく厳しい修行の中で常に強い助けとなる石頭。やがて成長した2人は京劇界の大スターとなっていくが……。

時代に翻弄されながらも愛を貫こうとする女形の程蝶衣(チェン・ディエイー)をレスリー・チャンが演じ、恋敵の高級娼婦役でコン・リーが出演した。製作から30周年、レスリー・チャンの没後20年の節目となる2023年に、4K版が公開。

1993年製作/172分/中国・香港・台湾合作
原題または英題:覇王別姫 Farewell My Concubine
配給:KADOKAWA
劇場公開日:2023年7月28日

その他の公開日:1994年2月11日(日本初公開)

原則として東京で一週間以上の上映が行われた場合に掲載しています。
※映画祭での上映や一部の特集、上映・特別上映、配給会社が主体ではない上映企画等で公開されたものなど掲載されない場合もあります。

スタッフ・キャスト

全てのスタッフ・キャストを見る

受賞歴

第66回 アカデミー賞(1994年)

ノミネート

外国語映画賞  
撮影賞 クー・チャンウェイ

第51回 ゴールデングローブ賞(1994年)

受賞

最優秀外国語映画賞  

第46回 カンヌ国際映画祭(1993年)

受賞

コンペティション部門
パルムドール チェン・カイコー
国際映画批評家連盟(FIPRESCI)賞 チェン・カイコー

出品

コンペティション部門
出品作品 チェン・カイコー
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(C)1993 Tomson Films Co.,Ltd.(Hong Kong)

映画レビュー

4.5 レスリー・チャンの美しさと儚さが時代に蘇る

2025年7月22日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

激動の日中戦争前から文化大革命後の50年に及ぶ中国の歴史と共に、蝶衣(小豆)・小樓(石頭)・菊仙の3人の男女の愛憎劇が見事に絡み合って、あっという間の3時間だった。

文化大革命が終わった18年後に作られた作品とは思えないほど、中国の歴史を変に脚色せずに描いているところに驚いた。(あちらは色々と厳しいと思っていたので…)
日中戦争あたりでの日本の描き方も大袈裟に悪く描くこともなく、すごく平等な目線で描かれた作品だからこそ、変な作り手の思想や雑念が入らず、最後まで集中して見ることができたのはすごく良かった。

それにしても最初から最後まで、蝶衣のあの儚さといったらなんなのだろう。
幸薄いオーラが始終まとわりついていて、幸せになれる気が1ミリもしない。でも、だからこそ、彼の圧倒的な美しさが際立つ。何度も劇中でアップになる彼の表情に、眼差しに見惚れてしまう。魅了されてしまう。あー幸せなって欲しい!と思う。でも彼はきっと幸せになれないだろうなと思いながら見る。
彼そのものである蝶衣を取ったら何も残らないし、彼の信念や小樓を想う愛を無くさせてしまったら、きっとそれはもう彼じゃなくなるからだ。

だから、最後は正直ホッとしてしまった。
やっと彼は役から解放され、小豆になれたのかなと思うと幸せすら感じた。

権力者が変わるだけで、思想やモノの価値がコロコロと簡単に変わってしまう。そんな世の中では、蝶衣のように一貫して時代に沿わずに自分の生き方を貫く人は、とても生きづらく、時代によって浮いたり沈んだりと、苦しい人生だったと思う。
逆に小樓のような簡単に相手に合わせて主張を変えてしまう人の方が、世渡り上手で生き残るのかもしれないなと思った。人間としては全く尊敬できないし、何でこんな奴をそこまで蝶衣は愛するの?と不思議で仕方なかったけど…。

最後に、令和の時代にスクリーンで4K版で見ることができることに、現代の技術の進歩に感謝したい。
おかげで、京劇の煌びやかな美しさ色彩の衣装や化粧、レスリー・チャンの美しさと儚さが時代を超えて蘇るようだった。

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AZU

5.0 比類なき誠実さと残酷さで、人を描いた作品。

2024年11月7日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

泣ける

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すっかん

4.0 流転の只中で、変わらぬ愛を

2024年4月19日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

1920年代から1970年代の中国を舞台に、京劇の古典「覇王別姫」を演じる程蝶衣(チョン・ティエイー)と段小樓(トァン・シャオロウ)の愛憎を描いた作品。

彼らの愛憎は、必然的に当時の政治状況とも絡み合い、何度も流転する様は諸行無常の響きあり。

程は遊郭で働く母に身売りされ、幼年期/幼少期は京劇の芸を習得するために過酷な修行をする。段も似た境遇だと思うが、二人の修行は師匠らの体罰を含む虐待でしかない。しかし彼らは必死に芸に励むことで「覇王別姫」の大役をつかむのである。彼らが演じる「覇王別姫」は凄い。いや京劇自体が凄い。絢爛な衣装とメイクで浮世離れしているが、セリフとしぐさと音楽と舞台装置で確かな世界観を築いている。まさに「唱・念・做・打」の表現。カットのテンポのよさもあって、スクリーンに釘付けにされる。

1920年代から1970年代の中国を舞台にすることは、パンフレットに記載される藤井省三のコラムに則れば、「軍閥政府期」「統治期」「盧溝橋事件後の日中戦争期」「戦後の国民党統治期」「中華人民共和国・建国」「文化大革命」の時代を描くことでもある。時代によって統治権力は変わり、戦争や紛争が起き、彼らの人生や京劇のあり方も変わる。

段は日中戦争期、日本軍の軍人の命令で彼らの目の前で演舞をする。それは彼が生き延びるための苦渋の選択であるが、戦争が終わり国民党統治期になると、逮捕の対象となり裁判で糾弾されることになる。このように時代の変遷によって、統治権力が変わると称賛から糾弾の対象になるのはあまりにも不条理だ。それは京劇にも言える。京劇は中国の古典芸能であるはずなのに、「文化大革命」では労働者のための芸術ではないと迫害の対象となる。さらに彼らが保身のために、彼ら同士が非難を言い合うことに転じるのだから尚更、理不尽だ。

彼らが悲劇的な結末に向かうまでを辿ってみる。
程と段は舞台上でのパートナーである。しかし段は遊郭の女・菊仙(チューシェン)を妻にすることで、綺麗な三角関係になっていく。程と段に関係は儚い。彼らは舞台の関係でしかないと言えばそうではあるが、幼年期や幼少期は生活を共にしたほど私的な関係
であった。だから程は舞台の延長として生活でも親密な関係を求めるが、段は大人になって舞台と生活を切り離す。さらに菊仙の関係の介入は、舞台上でしか男女の関係を演じられない程とは対称に、法的にも身体的にも男女の関係になれる「女」の優位を際立たせる。
三人の関係は、師匠や袁世凱、軍人、大衆との関係とも絡み合っていく。それにより、各人の思惑や誰が権力を把持しているかによって愛憎が流転することも見事に描くのである。

印象的なのは程と段の弟子の存在だ。彼は程や段と1世代ぐらい年が違うが、同様に幼年期は厳しい修行に励む。しかし大人になって程や段の端役で演じていると反発していく。程や段は自分を主役にするつもりはないと言ったり、厳しい修行は時代遅れと言ったり。両者の言い分は理解できるのだが、実際に彼が程の役を奪うことは驚きだった。彼に能力がないとは言わないが、それ以上に時代の政治状況が運命を分けることを痛感した。さらに彼は「文化大革命」の時、共産党に加担し程や段を糾弾するのである。権力への迎合。世代間で意志を引き継ぐのは困難なのである。

彼らは「覇王別姫」と同様に悲劇的な結末を迎える。それを回避する手立てはなかったのか。時代をひとりの個人が変えるのは難しい。しかし時代をつくるのもひとりの個人たちであるのだから、京劇としての「覇王別姫」にある古典的な本質を見据えて懸命に生きていくしかないのではないだろうか。愛憎は流転してしまう。政治もまた流転してしまう。しかしその流転の只中で、変わらない「愛」を私は迎えたい。

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共感した! 4件)
まぬままおま

5.0 レスリー・チャンの全ての仕草に魅了される172分

2023年7月30日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

泣ける

悲しい

興奮

今回の4K版には、公開30周年、レスリー・チャン没後20年という副題が付いている。それは実に理に適っていて、時代に翻弄されても、演じることへの情熱と、最愛の相方に対する変わらぬ思いを体全体、目線、仕草、台詞、笑顔、憂い、涙で表現するチャンには、改めて魅了される。30年前の公開時、自分はいったい何を見ていたのか?という気持ちになるほどだ。それだけ、中国の激動期を生き抜き、散っていく京劇俳優の蝶衣を演じるチャンの、魂を投入したのような熱演には、独特の美しさと儚さと、凄みがあるのだ。

蝶衣と相方、小楼を通して描く、日中戦争から文化革命へと流れていく中国のリアルな現代史には、文化革命当時に多感な少年時代を過ごした監督、チェン・カイコー自身の体験が投影されているとか。そんな監督の創作意欲を全て映像に結実させるには、172分の上映時間は短いという意見もある。しかし、改めて見てみると、展開はスピーディで、かと言って短すぎるとも、端折っているとも感じさせない。これは、演出と演技に加えて、編集のペイ・シャオナンが的確な仕事をしているからだと思う。

中国でアートシネマが自由に作れていた時代を代表するチェン・カイコー渾身の歴史絵巻は、映画の尺についても改めて考えさせられる傑作だ。

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清藤秀人