「東西と過去の二重の分断と鉄道とトラックの寓意」さすらい あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
東西と過去の二重の分断と鉄道とトラックの寓意
何故に白黒なのか?何故に冒頭でモノクロ作品だと見れば分かるのに断りをいれるのか?
しかし、音だけは何故に妙にハイファイなのか?
何故東ドイツ国境付近で撮影したと冒頭でわざわざ断りをいれるのか?
1976年製作、当時のドイツは東西に分断され冷戦の最前線だった
数万人以上もの米軍が国内に駐屯し、ソ連軍を中核とするワルシャワ軍事同盟軍の侵攻に備えて対峙していたのだ
原題はIm Lauf der Zeit、その意味は「時の経過」だ
「過去には興味がない、現在何をしてるかだけを知りたい」
この巡回映写技師の言葉は、冒頭の老映画館支配人の「昔はナチス党員だったから映画館ができなくなった」というシーンは対になっている
つまり、ドイツは東西だけでなく過去からも分断されているのだ
そして米国に無意識まで占領されてると自嘲するのだ
その中で主人公ともう一人の男との旅の物語が語られる
旅のトラックの横を走るのは鉄道だ
敷かれたレールを快調に走るその姿は普通の人生
トラックを走らせる自分は自由に生きる戦後のドイツ人の人生の象徴だ
もう一人の男は鉄道から降りた男だ
ドイツ国民を象徴する彼のフォルクスワーゲンは暴走し川に飛び込み沈んでしまう
つまり敗戦したドイツ人そのものを表しているのだ
二人の旅は、結局二人それぞれの過去を再確認する旅となる
しかし結局、その旅は東西ドイツの地雷源の野原で分断された国境で行き止まりとなる
そこで彼らは、無意識までも占領され、自由であるように思っていても過去も東西も分断されているドイツの現実を思い知しらされることになるのだ
ドロップアウトした男は、行き止まりの現実を理解し鉄道に戻ることを決意する
トラックの男は結局行き場もなく、宛どもない旅を続けるのだ
二人の人生は戦後ドイツの姿そのものであったのだ
だから音だけは現実感のあるハイファイなのに、映像はモノクロなのだ
分断を解かれたとき彼らの意識も色彩を感じることになるのだとのメッセージなのだ
トラックと鉄道は並走し、踏切で交差して遠ざかっていく
私達は東西冷戦下に分断されたドイツ人の心境風景を知るだけでなく、誰にも共有可能な人生の生き方の余韻を噛み締めて、この3時間近い映画を見終わっているのだ
21世紀の現在、ドイツの分断はすでに30年も昔の事になっている
ソ連は崩壊し、ワルシャワ軍事同盟も消え去った
しかし米軍の駐留は今も続いており、最盛期からすれば大きく削減されたとはいえ、今も数万の兵が駐留し続けている
ソ連の脅威はロシアのそれに変わったに過ぎないからだ
それでも東西分断は解消された
今ではドイツはEUの中核、心臓となり全ヨーロッパを牽引しているのだ
過去との分断は続いているがそれは既に終わった歴史なのだろうか?
果たして二人の今は色彩がついているのであろうか?
そして日本人は本作に対応するような映像作品を作り出せているのであろうかという疑問が去来するのだ