メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬のレビュー・感想・評価
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素晴らしい カメラだ
映画用のカメラってのは普通の市販カメラよりもはるかにはるかに高性能。映画用フィルムカメラはだいたい数千万円したそうだ。 そういうカメラで撮ったこのフィルム写真は本当に美しい。この美しさがなかったら この映画は全く成り立たなかったであろう。 脚本があんまり優れてなくても写真が優れていればここまで人を引き付けることができる。
なんでちょっと知り合いなだけの男のことに、こんだけ入れ込むのか? 脚本では全くうまく描けていない。 それをカメラがカバーしている
この女たちの浮気感覚は何なのだ? 脚本ではうまく描けていない。 それをカメラがカバーしている
結局、彼はどこから来たのか?何者だったのか? 脚本では全然 表現できていない。 それをカメラがカバーしている
それもこれも全てフィルムの美しさのおかげだ 。映画監督よ映画はフィルムで撮れ。
この世はただただ風が吹くのみ
単純だが自然の摂理に触れるような奥深いテーマを、アメリカとメキシコの寂れた国境地帯を舞台にぶっきら棒に淡々と描いた作品。
生きるとは何か、責任とは何か…
寂れた国境地帯で人間社会に片足を突っ込みながらも、自然と共に生きる心を失わない老いたカウボウイ。
人間社会のルール以前の、もっと動物的な、もっと真理に近い「生きる機序」を淡々と若者に伝えてゆく。
社会のシステム(ルール)が、どんどん複雑化する一方の現代。
それに伴い、身近にある単純明快なモノがどんどん見え(捉え)にくくなっています。
浮世の全てをそぎ落として、生きるとは? 責任とは?(その他もろもろ)
を、この映画を観てもう一度考え直してみるのはいかがでしょうか♪
地球を調査する宇宙人
序盤に時系列をいじってあるのなら、前もって教えてほしかった。おかげであちこちに出てくるトミー・リー・ジョーンズが地球を調査する宇宙人じゃないかと疑ってしまった・・・
スペイン語も自由自在のトミー・リー・ジョーンズ。今作品での彼はメキシコ人メルとの篤き友情もさることながら、一つの約束を守るためにかなり強引な方法でわが道を突き進むカウボーイだ。自分よりもかなり若いメルキアデスを殺された悲しみと、不法入国者であるというだけで人権を無視するアメリカ人を憎んでいるかのような性格を表に出すのです。とりわけ品行方性でもないけど、メルを故郷のヒメネスで埋葬するんだという一途な想いが伝わってきました。
友人を殺された恨みで短絡的に復讐するというのも一つの道だったのかもしれないけど、目的を果たすために犯人を殺すわけにはいかなかったのだ。自分の財産なんてのもどうなろうと知ったことじゃない。ロバや馬を失い、細かな経費さえ目的のためならば惜しまない。さらに国境警備隊の包囲網も突破しなければならなかったのです。
ロードムービーとなる後半。馬とロバと犯人と死体という不思議な組み合わせによって、とんでもないコースを辿る。途中、孤独な盲目の老人のエピソードや、ガラガラヘビの毒で死にかかった犯人を助けるくだりも面白い。そしてメヒネスという町は存在しない!という意外な展開で最高潮に達しました。
その他、犯人の嫁さんとメルキアデスの関係や、二人と不倫しているウェートレスとか、暴力の因果応報などといった複雑に絡み合う人間の面白さが秀逸でした。それにしても、親切なメキシコ人からもらったクマの肉はいつ食べたのだろう。死体と一緒に食べたのかな。そして、盲目の老人の行く末も気になるところですね。
【2006年7月映画館にて】
心象風景を映像化したような作品
テキサスの殺風景が堪能できる。個人的には嫌いではない作風。
現実のようで夢をみているような、心象風景を映像化したような作品。なので、意味を求めると置いていかれる。ずっと意味がないことをしている。
舞台はアメリカだが、アメリカぽくない映画。開放的なロケーションだが非常に内向的な内容。フランスや日本の監督(もちろん一部の)の作品のほうに近い気がしなくもない。商業的な成功を狙っている感じがしない。おそらく、あの監督とあの監督の作品は観ているだろうな、そこは意識(或いは無意識に)したんじゃないか。勝手な印象だし、ぼかしとくが。
悪くはないが
主人公の気持ちは分かる。
女優のキャスティングがよい。
クソなシーンはなかった。
ゆったりお酒でも飲みながら
見るのがおすすめ。
メキシコ越境がどういうことか分かった。
トランプさんが壁を作りたいというのは
人件費抑える目的もあるのね。
トミーリーだからこそ
これはトミーリー監督・主演だからこそ成立した映画だと思う。
他の監督さん、キャスティングはちょっと思いつかない。
泣きたくなるほど贖いの物語であり、決別の物語でもあり、それでいて素っトボケた味がある。何よりもトミーリーがふとした瞬間に見せる身体のキレはまだまだいける感じで、おじいちゃん感が消えてる所が素晴らしい。
同じくメキシコ国境を舞台にした贖いの物語『すべての美しい馬』もトミーリー監督・主演で作り直してくれんかのう。『美しい馬』の主人公は16歳位の設定だが、彼なら出来そうな気がする(すみません。さすがに無理か…)。
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その他、彼の監督・主演作に『The Sunset Limited』(コーマック・マッカーシー脚本、サミュエル・L・ジャクソン共演)がある。『メルキアデス〜』の負のテーマを更にシビアに突きつめたような会話劇。
これもまたトミーリー監督・主演だからこそ成立した映像だった。
形而上的な会話が続く哲学ドラマだが、トミーリーの顔があまりにも現実的でオッサンで変なので、哲学な事を忘れてしまう。寓話と現実のブレンド具合がまことに丁度いい顔だなあと思った。
It's a Man's Man's Man's World
男達は皆故郷を、帰る場所を失った。ピートは不法移民の友の「死んだら故郷のヒメネスに埋めてくれ」という約束のため法を犯してお尋ね者となり、メルキアデスを殺害したマイクも旅の途中、身勝手な大きい子供から大人の男に成長するものの、留守中に妻に愛想をつかされ帰る家を失っていた。そしてなにより約束の張本人たるメルキアデスに至っては、元々帰る故郷など存在しなかった。身寄りのない土地での孤独をやり過ごすため、偽りの美しい故郷・ヒメネスを胸に生き続ける流浪人、それがメルキアデスだったのだ。つまり皮肉なことに男達は、メルキアデスの存在しない故郷を探して、そして自分達の帰る場所を失うのである。文面にするとなんとも遣る瀬のない話であるが、そんな男が失う帰る場所もまた決してきらびやかなものではない。アメリカ人のメンタリティーを象徴するテキサスの国境沿い、だがT・L・ジョーンズが切り取った「アメリカ」は海外ドラマが映し出すような都市の華やかさなどとは程遠く、その乾燥地帯ではデブのババアが日光浴でその体を公衆に晒し、レクリエーションといえば白い肌のたるんだオッサンとオバハンの不倫のローテーションくらいしかなく、かつてプラムのクイーンだった女は昼ドラにハマリ、ダイエットと称して晩飯はズッキーニだとぬかす始末だった。その鬱屈したクソつまらなく、しかしリアリティのある「アメリカ」には多くの人が不快感を覚えることだろう。そしてまた、そこに残された女達も彼らの帰りを待ってなどはいなかった。ピートのセフレのメリッサ・レオは、あの愛が演技だったことをはぐらかし、マイクの女房は長距離バスに乗り、祖国にすら居場所がなかったメルキアデスは言わずもがなだ。そこには男女のロマンスによる癒しなどもやはり存在せず、ただ拠り所を失う男達の苦さばかりが漂い続ける。
しかし、それでも尚も、あらゆる崇高さや救いなど一切ない世界でありながらも、この物語の結末は絶望に落ちることはない。旅の末、荒野の廃墟に立ち尽くしたピートは言う。
「ここがヒメネスなんだ。そうあるべきなんだ……そうだろう?」
銃で脅され旅に無理やり同伴させられた、馬鹿な白人男の標本だったようなマイクは、一筋の涙で頬を濡らしながらそれに頷く。ピートの「should be(そうあるべきだ)」という言葉には、それほどに儚くも重くのしかかるものがあったからだ。それを人は愚かしい意地と呼ぶかもしれない、惨めな開き直りだと捉えるかもしれない、しかしマイクが涙を流さずにいられなかったのは、そしてその言葉が見る者の胸を穿つのは、それがあらゆるものを捨象した後、最後に残り浮き彫りになった純粋な男の矜持だからではないだろうか。
男が男であるために必要なのは、財産を守る強い腕っぷしでも女を喜ばせる太い男根でもない、朽ち果てていく友に寄り添うため眉間にほんの一筋の皺を寄せる力、それさえあれば、男は荒野に立ち、ひび割れた大地に水を撒くことができるのだ。劇中一度も激情を顕さなかった男の、その顔に刻み込まれた深い陰影が雄弁にそれを物語っていた。
切なく、哀しすぎる友情の物語
トミー・リー・ジョーンズが監督した映画が有る事を知らなかった私なのだが、やはり彼程のベテラン俳優と言われる人達の中には、確かに助監督経験が全く無くても、良い脚本にさえ出会えれば、映画監督経験初作品でも、映画を巧く完成させる技があるようだ。
ここで、想い付くままに監督で有ると同時に立派な俳優でもある人物の名前を挙げるなら、チャップリンが一番先に思い出されるが、俳優兼その後に映画監督となった人物で、秀作を監督し続けている人と言えば、クリント・イーストウッドの右に出る人物は現在のところいないだろう。
ロバート・レッドフォードも私はとても大好きな映画作家であるし、そして俳優としての芝居と言う面では必ずしも名優とはいかないが、ウディ・アレンも素晴らしい監督であると同時に俳優でも有る。
日本でも、竹中直人は個性派俳優であると同時に、立派な映画監督と言う事が出来ると思うのだが、みなさんはどうお考えになられるだろうか?
あそうそう、来月公開予定の「カルテット」はダスティン・ホフマンの初監督作品と言うからこの作品も楽しみである。
それから、ショーン・ペンも監督しても素晴らしい才を発揮している人だし、フランソワ・トリフォーも忘れてはならないね。
改めてこう考えてみると、後から後から未だ未だ大勢の素晴らしい名優兼監督の名前は出て来そうだが、この「エストラーダの3度の埋葬」から話しが脱線しているのでここで話しを戻すが、トミー・リー・ョーンズの手に因る本作品も、決して悪い作品では無い。と言うより、彼がこの様な純な物語を映画に撮りたいと望んでいたのか?とスクリーンから受ける今迄に彼が演じ重ねて来たキャリアからはイメージが出来ないような意外性の有る素晴らしい友情物語を彼は世に送り出してくれたのだ。
物語の舞台となるのは、アメリカの片田舎の町、そこはまるで時間が止まったままで動く事など無い様な世界の果てと言っても申し分のない辺境の地、そこへ国境警備員になったマイクとその妻は都会から引っ越して来た.が、都会での刺激的な生活に馴染んでいる為に、2人は中々この田舎での平凡過ぎる事件性の無い退屈な生活に溶け込めないでいるが、ある些細な事故をきっかけにこの2人は事件に巻き込まれて行くと言うお話だ。
そして主演の田舎の冴えないカウボーイのピートをトミー・リー・ジョーンズが演じているのだが、彼が今時のアメリカには、絶対にこんな純な人がいるのか?と呆れかえるほどの生真面目な一面を持っている男を好演しているのだ。
そして、このピートと言う年老いたカウボーイと彼の親友である、不法滞在者としてメキシコから国境を越えてやって来たこのメルキアデス・エストラーダとの間に生れた堅い友情の絆の物語で、素朴に生きる人間の尊さと、友情で結ばれた2人の間に交わされた約束を守り抜こうとする、不器用なピート。そしてエストラーダを事故死させたマイクとピートの不思議な旅物語は静かな感動を私に運んでくれた秀作であった。
友の死と長い旅路の果て
俺が死んだら故郷の村に連れて行ってくれ。親友のメルキアデス・エストラーダは云っていた。そんな彼が国境警備隊のマイクに誤って射殺される。
彼はメキシコからの密入国者で農場で働いていた。州警察は面倒はゴメンだとばかり犯人には手を出さない。親友のビートは彼との約束を果たすためマイクを捕まえて、埋められていたメルキアデスを掘り起こして馬に乗せる。
そして嫌がるマイクを引きつれて彼が云っていた村を目指して旅に出る。
馬での長い旅。頑固な初老のカウボーイのビート。
人間的に情愛に欠け自己中心的なマイク。
二人の激しくぶつかり合いながらの旅は続く。
やがて、見えてきた村。
だが、そこには思いもしなかった結果が待っていた。
トミー・リー・ジョーンズの監督・主演作でいやいや、かなりの見応えがある作品で悪くない出来だった。
彼の監督としての力量も捨てたものじゃないと感じた。
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