こわれゆく女 : 映画評論・批評
2023年6月27日更新
2023年6月24日よりシアター・イメージフォーラムほかにてロードショー
人間の内面に潜む“孤独”や“狂気”に心を寄せた愛ある眼差しが感情を揺さぶる
世界の映画監督から敬愛され、現代の映画に大きな影響を与え続けている“孤高の映画作家”ジョン・カサベテス(1929~1989)。ハリウッドのスタジオ製作=商業主義(大作映画)に対抗し、パートナーである女優のジーナ・ローランズや仲間たちと「自分の撮りたいものを撮る」という信念と、自身の俳優活動で得た収入を注ぎ込んで映画を自主製作し、インディペンデント映画の可能性を知らしめた。その功績によって“インディペンデント映画の父”と称されている。
「こわれゆく女」はそんなカサベテスの代表作の一本となった傑作。原題は「A Woman Under the Influence」で、直訳すれば「影響下にある女性」である。精神のバランスを崩した妻と、土木工事の現場監督を務める夫。まだ幼い愛する3人の子供たちがいるが、今にも壊れそうな家庭をつなぎとめようとする夫婦の葛藤を描き、第32回ゴールデングローブ賞最優秀主演女優賞(ドラマ)を受賞。第47回アカデミー賞では主演女優賞と監督賞にノミネートされた。
精神を病んでいく妻メイベルをローランズ、その夫ニックを「刑事コロンボ」のピーター・フォークが演じる。美しく陽気で、まわりを明るくするメイベルだが、あることを発端に、異常な行動をみせるようになっていく。その姿に見る者は心をかき乱されずにはいられない。瞳の奥に宿る感情、顔の表情や身体の動きひとつで、リアルを超えた生々しさをローランズが表現。カサベテスの実験的な演出とカメラワークにより、心の揺れが見ていて痛いほど伝わってくる。メイベルはなぜ精神のバランスを崩してしまったのか。彼女の言動はまるで強迫性障害(強迫神経症)のようであり、時には穏やかに夢の中にいたかと思うと、次の瞬間には悪魔に憑りつかれたようにヒステリー(解離性障害)を起こす。
神経質なところは実父の影響もあるように示唆されるが、メイベルが精神を病んでしまったのは、ニックの影響も要因のひとつではないかと次第に思えてくる。ニックは妻を愛する夫であり、家族を守ろうとする強く優しい父親で、仕事仲間からの信頼も厚い男であるが、思い通りにならないとすぐカッとなって大声で怒鳴り出す癇癪もちであり、メイベルの異常な行動を止めようと暴力をふるうことさえある。メイベルは「自分はおかしくない」と何度もニックや自分自身に言い聞かせるが、ニックは自分がメイベルの精神に影響を与えてしまっているかもしれないことに気づいていない。妻の異常な言動を理解できないニックに苛立ちを覚えながらも、演じるそんなフォークに感情を大きく揺さぶられる。こわれゆくのは誰なのか。
カサベテスは生前、「他の人がおかしいと思うような人に心を寄せていた」と語っており、夫婦や家族といえども、他者からはうかがい知れない人間の内面に潜む“孤独”や“狂気”を描き、人間の真の姿を追求し続けた。他者とはちょっと違う、はみ出してしまうような不器用な人間をカサベテスは独自の眼差しで見つめ、映画に刻み込んでいる。そして、作品の根底のテーマは“愛”である。本作の終盤、壊れてしまいそうだった家族がこの愛によってギリギリのところでバランスを保ったように見える。だが、メイベルの問いに、ニックは応えられない。約50年の時を経てもカサベテスの精神は今なお鮮烈であり、むしろ新しく、衝撃的だ。映画に対する見方が変わるだろう。
(和田隆)