「タイトルは『異星人襲来』でいいじゃん。」宇宙戦争 とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
タイトルは『異星人襲来』でいいじゃん。
かの有名な、聴衆が本当にパニックを起こしたといういわくつきの、オーソンウェルズ氏のラジオ放送の原作の映画化。
トム様(レイ)と体験するパニック。
『ダンケルク』で体験する映画を経験したと思っていたら、それよりはるか前にこんな映画があったなんて。
評判が悪かったから、あえて観ていなかったけれど、もっと早くに観ればよかった。
さすがは『ジョーズ』の監督。音と映像でハラハラドキドキさせる。
ご都合主義もあるけれど、臨場感は半端ない。
ロビー(チャットウィン氏)の行動には唖然としたが、『未知との遭遇』の監督ならでは?
”世界”のことも気になるけれど、家族を守りたい中年に対して、”世界”を守りたい・知りたい思春期。
フェリーの場面で、乗り遅れた人を助けに行くロビーを見守るレイの表情。
”人”を丁寧に描き出す。
ダコダさん(レイチェル)はさすがの演技力。
確かにギャアギャアうるさくって、すぐにパニクって、父への態度もなんだと、目も当てられないけれど、本当にあんな場に放り込まれたらこんな子もいるだろう。
そのパニックぶりといけすかなさと、終盤の茫然自失としたさまが、ここまでできるかと、うまい。
そしてオギルビー(ロビンズ氏)の狂気。初めは思慮深い恩人かと思いきや…。徐々にすごみを出してきて、レイが心理的に追い詰められて、視野狭窄になっていく様を、静かにあぶりだす。
そして何よりレイ(トム様)の、それまでの生き方・親子関係を総括する場面。無力感、絶望感。そしてそれでもの頑張り。それなのにの虚無感。
やっぱり最高。
いつものヒーロー然とした姿はなく、そこで低評価をつけている方も多い。
けれど、父親として認めてもらえてなくったって、子どもに振り回されて持て余していたって、何の知識も仲間も武器もなくとも、子どもを守り生き延びようとする姿・一人の等身大の男の姿に魅入ってしまう。
ラスト。
収束の仕方が、教育番組?みたくて唖然としたけれど、原作通りらしい。
それよりも虚しかったのは、〇〇だけ無傷って何?どんな状態でも「帰る家がある」という幸せの象徴なのか。そこに、入れる人、入れない人。認めてくれる人が一人でもいればいいか。努力が叶ったともいえるのだが、なぜか、私の心に風が吹く。
原作未読。
原題『WAR OF THE WORLDS』の THE WORLDSは、単に行政上・地理上の”世界”のことではないらしい。
地球生態系 VS 火星生態系。
地球には人間だけでなく、様々な生物・微生物が生きていて、そのすべてが地球”WORLDS”であるということ。それを思い出させてくれる。
このあたりをもう少し丁寧に描いてくれたら、私の好みとして、もっと鑑賞後感が豊かなものになっただろうと残念な気もする。
でも、監督が描きたかったのは、パニックに陥った”人”らしい。
2001年9月11日に起こったテロ事件が、映画化のきっかけらしい。
1994年1月17日には、ロサンゼルスのノースリッジで大規模な地震も起こっている。
毎年のように届く、ハリケーンと竜巻のニュース。
そして、何より、この当時はイラク戦争…。今は各地で起こるテロ。
突然さらされる命の危険。その時、人はどうするのか。
レイが逃げ惑う先で、様々な人が点描される。
他人を蹴落としてでもという人もいれば、情け(余計なお世話だったりもする)をかけてくれる人…。助かったとほっとする気持ち、助かったと思う人を羨む気持ちを感じたすぐそのあとに襲い来る絶望。
どこか、ナチス侵攻を前に逃げ惑う人をイメージしてしまう。スピルバーグ監督ならではか。
このパニックを群集劇として描いていたら、ドキュメンタリーかニュースを見ているように客観化してみているだけだろう。
レイという個人を追うことによって、いつの間にか疑似体験しているような気がしてくる。レイにたっぷりと感情移入しているからこそ、ラストの場面に、達成感とともに徒労感・虚しさを感じてしまうのだろう。
なんて、映画だ。
監督の罠にはまってしまったようだ。