劇場公開日 2001年8月11日

テルミン : 特集

2001年8月17日更新

テルミンの仲間たちとその発明家

■■■■■テルミン博士だけじゃない!

■■■初期の電子楽器発明家はみんな奇人変人ぞろい■■■■■     編集部

テルミンは、世界初の実用化された電子楽器として歴史にその名を刻んだが、実はそれ以前にも電子楽器の開発・発明は盛んに行われていた。そして、その楽器はもちろん、発明家の方々もとてもユニークな御仁ばかり。

1835年 ─ミュージカル・テレグラフ─

電話の発明者になりそこねた男、エリシャ・グレイ(アメリカ)

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電子楽器の祖と言われるこの楽器を発明したグレイは、あと1時間早く特許庁に到着していれば、電話の発明者になっていた男。1時間だけベルに先を越されてしまった彼はその件で何年にも渡る訴訟を起こしたこだわりの人。直訳すれば「音楽電信」となるこの楽器の、電磁気の回路の振動音を楽器化するというコンセプトは幸いなことに先を越されることもなく、めでたく電子楽器の祖に。その後、電気機器製造会社を設立するが、2年後にあっさり辞職、大学で教鞭をとりつつ発明に励んだ。やはり一種のマッド・サイエンティストな生涯ですな。

1906年 ─テルハーモニウム─

音楽のネット送信まで夢想したタディウス・ケイヒル(アメリカ)

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発明家ケイヒルは、多分、大きなものが好きだった。1906年にニューヨークで公開演奏されたときのこの楽器は、長さ18メートル、重さ200トンという巨大なもの。電気によるパイプオルガンを目指した楽器で、バッハやショパンが演奏された。電気機器製造会社を経営する彼は、1911年に3つ目の改良バージョンを作ったが、この改良がクセモノ。何とサイズは1号機よりでかかった。さらに彼は、この楽器で演奏された音楽を電話線で劇場や個人宅に送信する研究に着手。彼の研究により近隣の送電に支障が生じ、怒った市民が研究所に侵入して機械類をハドソン川に捨てたという、マッド・サイエンティスト冥利に尽きる事件も記録に残っている。ちなみに、レイノルド・ウェイドナー監督による「Magic Music of The Telharmonium」がビデオで発売中だ。

1915年 ─オーディオン・ピアノ─

300以上の特許を取った発明王リー・ド・フォレスト(アメリカ)

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真空管の原型(写真)とフィードバック回路の発明によって、現在の電子楽器の基礎を築いたのがフォレスト。オーディオン・ピアノは、キーボードでピッチや音色をコントロールできた。彼は大臣の息子に生まれながら政界には進まず、イエール大で物理学の博士号を得て、電気会社を設立。ほとんど儲けには結びつかなかった300以上の特許をとり、訴訟も山ほど体験。結婚も4回(ちなみにテルミンは3回)と過激な人生を過ごしつつ、自伝「Father of Radio」を1950年に出版、そしてラジオと映画の歴史に残る発明を遺した。この楽器で使った真空管をラジオに使用し、1910年に世界初のラジオ生中継を実現、1921年に映画に音声を記録する技術「トーキー」を発明したのだ。ここで詳細な伝記が見られる。

1920年 ─テルミン─

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この映画の主人公、レフ・セルゲイビッチ・テルミン(ソビエト)

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1896年、ロシア、サンクト・ペテルブルグに生まれる。父は法律家だったが、彼は科学と音楽を愛し、ペテルブルグ物理工科大学電子振動研究室の主任として研究、その一方で音楽院でチェロを学ぶ。1920年に新楽器テルミンを発明、1927年から政府の命を受け、欧州やアメリカで演奏活動を展開、大成功を収めニューヨークに拠点を定めるが、1938年、謎の失踪を遂げる──。

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