めぐりあう時間たちのレビュー・感想・評価
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【3人の世代を超えた『ダロウェイ婦人』の生と死の香り漂う一日を描いた作品。名匠スティーブン・ダルドリーによる見事な作品構成、且つ脚本が絶妙に上手い、格調高き哀しき作品でもある。】
ー ヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ婦人』を書架の奥から引っ張り出して来て、色々と確認しながら、観賞。-
■1941年、英国サセックス。作家のヴァージニア・ウルフ(特殊メイクをしたニコール・キッドマン)は、夫に感謝の言葉を綴った遺書を残しポケットに石を入れ、川に入って行く。
■1923年、英国リッチモンド。ヴァージニア・ウルフは浮かない顔で、『ダロウェイ婦人』の粗筋を考えている。精神を且つて病んでいた彼女は、少しその症状が出つつあるのか、憂鬱そうな顔をしているが、姉のヴァネッサ・ベル(ミランダ・リチャードソン)には秘めたる想いを持っていて、彼女がロンドンへ帰る際にキスをする。
■1951年、米国ロサンゼルス。ローラ・ブラウン(ジュリアン・ムーア)は、何処か満たされない思いを抱きながら、夫ダン・ブラウン(ジョン・C・ライリー)の誕生日ケーキを息子リチャードの手伝って貰いながら作るが、上手く行かずにそのケーキを捨ててしまう。
友人のキティ(トニ・コレット)が訪れるが、彼女は子宮筋腫である事を告げ、ローラは彼女に涙を流しながらキスをする。
そして、彼女はリチャードが”お母さん、行かないで‼”と叫ぶ中、車をあるホテルに向けて飛ばす。部屋に入ると彼女は愛読書『ダロウェイ婦人』をベッドの上に置き、更に数種類の薬の入った瓶を置き、横になるが水に呑み込まれる夢を見て我に返り、家に戻る。だが、この出来事はリチャードの心に傷を残してしまう。
■2001年、米国ニューヨーク。クラリッサ(メリル・ストリープ)は、HIVに犯された友人リチャード(エド・ハリス)の受賞パーティーの準備をしているが、リチャードは若き時にクラリッサと若き時に暮らした想い出に浸って、厭世観漂う表情をしている。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作は、ヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ婦人』の内容と、ヴァージニア・ウルフが終生苦しんだ精神病及びレズビアンの性癖を、1951年のローラ・ブラウン、2001年のクラリッサの一日と連関させて描いている。
・クラリッサと言う名は、『ダロウェイ婦人』の名前であり、ローラ・ブラウンの息子リチャードは2001年のクラリッサの若き時の恋人である。
又、リチャードと言う名は、ダロウェイ婦人の夫の名でもある。
そして、リチャードは母の行為から受けた心の傷などもあり、クラリッサに”感謝の言葉を述べて”窓から身を投げるのである。
そこに駆け付けた、老いたローラ・ブラウンは”誰も私を許さないでしょうが、私は死よりも生きる事を選んだの。”とクラリッサに告げるのである。
<今作は、3人の世代を超えたヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ婦人』の、生と死の香り漂う一日を描いた作品なのである。
名匠スティーブン・ダルドリーによる見事な作品構成、且つ脚本が絶妙に上手い、格調高き、哀しき作品でもある。>
時間の不思議
「長い一日」ってあるものだ。何気なくすごした一日はあっさり過ぎてしまうんだけど、自分にとってとても意味のあった日、大事なことがあった日っていうのは、とても長かったって、感じる。
この映画の中にでてくる時間は、3人それぞれの「長い1日」だ。
「運命のいたずら」という言葉がある。この作品では、ウルフに「あの人を殺さなかったから代わりにあの人に死んでもらう」といわせていたが、何かがこうでなければ・・・という可能性はいくらでもある。誰かの気がちょっと変わっただけで、他の誰かの運命が大きく変わることもある。信じられない奇跡的な時のめぐりあいを経て、私たちは今自分の周りにいる人たちと一緒にいるといえるかも。
それにしても~今回は3人の女優、配置が絶妙!
ニコールは’20年代の英国、J・ムーア、フィフティーズのLA、そして現代のNYはやはりM・ストリープ。ぴったりでしたね~
時間と記憶を巡る複雑にして稀有な作品
とても複雑な構成。冒頭で描かれるのはダロウェイ夫人を書いた作家のヴァージニア・ウルフが死を選ぶシーン、そして彼女の遺書。そして詩人のリチャードが父母と過ごす場面、母のローラはダロウェイ夫人を読んでいる。そしてリチャードと以前つきあっていたクラリッサは、その名からダロウェイ夫人とからかわれ、彼女は編集者としてリチャードとつながりを持っている。リチャードは病み、希死念慮を抱きつつ生きている状態…。時間も場所もさまざまな彼らは、希死念慮という共通点をもつといってもいいだろう、クラリッサはそれを抱くリチャードと向き合いつつ、その状況にもう耐えられないと感じている。
ローラは、夫にこの暮らしが幸せの理想形だと強調されますます苦しみに囚われる。違う、これじゃないと感じつつそこに居続けるもどかしさ、自由がないと感じる息苦しさ、そして本当に欲しい愛はこれじゃないという疑念、そこから彼女が何を選択するか。詩人リチャードは母やクラリッサを自分の本にどう描いたか、また彼には何が見えていたのか、何が彼を苦しめ、そして支え、どの瞬間が彼にとっての最愛の貴重な時間だったのか。現代を生きるクラリッサにとっても同様に。時間と記憶を巡るストーリーはかなりぶっ刺さるので、思い入れが強くなる。
現代を生きるメリル・ストリープが演じるクラリッサの周囲の人物は、恋人のサリーに元恋人のリチャードと、ダロウェイ夫人をなぞらえているかのよう。でもリチャードというよりピーターでは?と思うので、あえてなのかな、なぞらえすぎないように。彼はピーターでもありセプティマスでもあるわけだし。
ヴァージニア・ウルフの遺書は世界一美しい遺書と言われているけど、彼女の遺書には愛の言葉はない。幸せだったことと優しさへの感謝とはあるけれど。クラリッサはサリーと暮らすがそこに愛はあるのだろうか、傷を舐め合い時間を共有しても、愛は過去にしかないのかもしれない。そこを突き詰めナーバスに捉えることには苦しみもあるけれど、鈍感が正しいとも思わない。
観客を選ぶ映画だ。好きな人にはたまらないだろう。
METで上演された同名オペラの口(目?)直しに、DVDを借りてきて鑑賞した。やはり、名作だ。
作家ヴァージニア・ウルフやその代表作「ダロウェイ夫人」が好きな方にとってはたまらない作品だろう。また、予備知識なしにこの映画を鑑賞しても何を言おうとしているか分からないと思う。私も元ネタの「ダロウェイ夫人」を読んでいるとき、よくわからなかった。人間の心の動き(メンタル疾患を含む)を味わう映画で、根底には死への誘惑と生の渇望がある。おまけにバイセクシュアルも絡んでくるからややこしい。改めてみて、挿入される音楽が素晴らしい。現代音楽作曲家のフィリップ・グラスが担当している。R・シュトラウス辞世の歌が使われ効果的だった。やはり、原作者の原作本「めぐり合う時間たち」を読んでみなければと感じた。
自分で解釈したい人向き
大正のLON、終戦後のLA、現代のNY、三つの時代の無関係な三人の女性の生活が同時進行で進みます。
三人にどういうつながりがあるのか、関係がありそうにもなさそうにも思えますし、様々な設定が何故必要なのか?どこにどう話としてつながるのか?知恵袋に質問多く、回答も様々です。
つまり、それぞれ独立した三つの話の関係性や、何のためかよくわからない設定なんかに、理屈つければ説明できるかも?というタイプの作品なので、「自分で想像するのが好き派」の人は自分なりに解釈して面白いと感じるんでしょう。一方、「はっきりしてくれよ派」の人は、「その解釈こじつけじゃねえ?」ってなります。
換言すれば、よくも悪くも普通の人には「何いいたいのかよくわからないの」作品なので、好き嫌いがハッキリ別れます。評論家なんかにはウケるんでしょうが、一般受けはしません。
話の展開が早いのでそこそこ面白いですけどね。
女も死にたい。女たちの紡ぐ物語。
男性です。
男はみんな死にたいと思っています。
「死にたいと思ったことは一度もない」と言った男には、僕は今まで1人にしか会ったことがない。
この映画を観て初めて知ったのは
「女も死にたいと思っている」ということ。
知らなかった。
女はそんなことは考えないんだと思っていた。
世界が180度回転した、記念碑的な映画体験となりました。
・・・・・・・・・・・・
3大女優が、3時代の3つエピソードを担当するのが良い。
成功している。
3人を同時に登場させてお互いに絡ませる等の無駄遣いをしないシナリオは良く考えられている。
1941年の女流作家ニコール・キッドマンは姪に魂を引き継ぐ
(一緒に小鳥を弔った姪子)
姪は
1951年にこの小説にはまり生死を行き来する。そして
姪が産んだ娘が
2001年エピソードのメリル・ストリープその人だ。
メリルは同性のパートナーと暮らし、また娘を生んでいる。
命を生み出す女たちが、こんなに身近に死を想い、生死分け目の尾根に生きていたとは、僕にとって驚きの体験でした。
男においては命は単発。継承はされない。
ところが本作品、女たちは時代を隔ててばらばらなようで、こんなに有機的に死と命と、そして一冊の「女の生涯」で繋がっている。
本当に僕にとっては初めて覗いた新しい世界だったのですよ。
原作を読んでいませんが、原著をググるとその筋書きが、3人それぞれ、その日1日のプロットになっていることが判明します。
このレビューも鑑賞してから1年かかりました。
僕の母親の死生観について、あれこれ彼女の生きざまのエピソードを、いま大切に思い出しているところです。
オスカー俳優の競演
映画館ではリピート割引という企画があった。そのくらい何度も観なきゃこの映画の良さがわからないよ!と挑戦状を叩きつけられているような気がしてムカついた。ニコール・キッドマン演ずる作家ヴァージニア・ウルフが入水自殺を図るシーンからスタートするが、自殺を中心とした「死」をテーマにするのなら、自殺が美しいという結論に達するものと受け止められる。ジュリアン・ムーアのストーリーもエイズ患者と向き合ったメリル・ストリープのストーリーも素晴らしいものであるから、このサンドイッチの構成には疑問を抱いてしまいます。
3つのストーリーがラストで有機的に結びつくのだと予想していたのだが、そうしたファンタジーの要素が全くない硬派の映画という印象でした。役者の演技は素晴らしいが、オスカーを獲得したのがキッドマンだけというのも納得いかない。エド・ハリスやジョン・C・ライリーの影で支える演技が好きだった。
【映画館にて】
理想の女性像を追い求め
最高に好きな作品
266-58
大きく浮上するために、大きく沈みたいときに。
どうしようもなく不幸な気分で、寄り添ってくれる何かを求めている時に観たくなるような映画。
冒頭から、鈍い痛みをずっと与え続けられるような、底無しに少しずつ沈んでいくような気分になる。
人生に望むことをわかっていない、もしくはぼんやりと解っていたとしても上手にそれを求めて生きる術を持っていない。
だから人の期待に流されるままに生きてしまった。
そんな女性達のお話。
でも、少し視点を変えると、不幸に依存して安心を得ている。
実は幸せな生き方、と、見ることも出来そう。
登場シーンは少しだけれど、キュートなクレア・ディーンズのちょっとした優しさにとても癒される。
全体的にネガティブな雰囲気の内容だからこそなのか、子供達の笑顔や思い遣りがとても光って見えて印象的。
病んだ女性たちの映画。登場人物のほぼほぼ全員が病んでいるので、こっ...
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