「老いらくの恋?見たいか?ぜんぜん」恋愛適齢期 うそつきかもめさんの映画レビュー(感想・評価)
老いらくの恋?見たいか?ぜんぜん
特殊な階級の人々には、こんなねじれた経験が当てはまる人も居るのかもしれません。少なくとも私にはひとさじも当てはまらぬ恋愛ドラマで、まあ、最後まで退屈せずに見終えたのが奇跡と言っていいかもしれないほど、残念な出来でした。
キートンとニコルソンのキャリアと演技力、顔ぶれの意外性、それから脇役の豪華さ、今でも主役級のセレブが揃っている見ごたえたっぷりの芝居、しかも恋愛に特化した内容。これは、ラブロマンス好きにはたまらない要素満載で、素敵な音楽と、海辺のコテージ、ムーディーなリストランテ、豪華な朝食バイキングでなぜかコーヒーとトーストで満腹になって店を出たくなる気分。
これだけ贅沢なのに!
仮にふたりがもっと若くて(40代そこそこ)文字通りの恋愛適齢期でキャスティングされていたとしたら、というか、当時のブラピとアンジーだったら?もしくはジェニファー?メグ?ま、誰でもいいけど「老い」の要素を感じさせないキャスティングなら、こんな気持ちの悪さは生まれなかった。たぶん。お話としても成立しないけど…
問題は、ニコルソンが加齢臭漂うバタ臭さを消せてないこと。キートンが母親を卒業しかけているのに心にプリンセスを飼っていること。その娘のアマンダにしろ主治医のキアヌにしろ、おとぎ話過ぎる現実離れキャラすぎること。それなのに、バイアグラだの心臓発作だの、キューバ産の葉巻だの、小道具だけ理論武装しても、本当の愛に気づくお話にはほど遠い演出だということ。
脚本も監督もナンシー・マイヤーズ。彼女の作品は『マイ・インターン』がお気に入りで、何度も見返しては穏やかな気分で眠りつく。思うに、この時期『ハート・オブ・ウーマン』で興行記録を塗り替え、映画作家として絶好調、年齢的にも主人公を同年代に設定し、自分史のような映画を撮りたかったのではないだろうか。それにしては、ダイアン・キートンという分身を得たことで随分とエイジレスなキャラクターになってしまったものだが。
今の時代、(白人じゃなくとも)女優がこれだけ活躍できるって時代になって、こんな金持ちの独身男に価値なんか小さじ一杯分も残ってないだろう。セクハラ裁判で負けて、身ぐるみはがされ孤独死するのがオチだ。だって、キアヌはストイックな純愛の殺し屋キャラとして生き残れているのだから。(もちろん金持ちで独身だけど…)
あ、そうそう。エンドロールの「ラ・ヴィエン・ローズ」歌っているのは、なんとジャック・ニコルソン本人のようです。素晴らしい芸達者!才能の無駄遣いだね。
