絞死刑のレビュー・感想・評価
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国家を超越した存在“R”
しかし、大島渚(監督・脚本)が作り出す世界は、自分の常識のはるか彼方をいくので、初見時には驚くしかない。本作もそうだが、久しぶりに観ると「大島渚という映画作家は、いくつものテーマを盛り込んで映画づくりをする」のが伝わってくる。
本作の場合は、最初は「絞死刑するには心神喪失ではダメで…」などが頭に残ってしまったが、今回は「国家が人殺しを正当と認めているのは“死刑”と“戦争”である。そうした国家に抗議するには、国家を超越する思想の高みから論じる必要があるため、一度は死刑執行されたRという男が死にきれず『Rという身体を持っている人間だが、Rの思想は天に召された』という人間を超越した存在」を生み出した大島渚。
これは凄すぎる。
本作は、「小松川女子高校生殺人事件」という実際の事件を題材にしたそうだが、事件は1958年に起こったとのこと。(自分の生まれる前)
そして、この映画の冒頭では、「あなたは死刑場を見たことがあるか?」というテロップが出て、死刑制度問題や在日朝鮮人問題などを描いている。
そうした社会問題を描いていると思っていると、ブラックユーモアたっぷりの寸劇(のような場面)も描かれる。
ちょっと朝鮮人を小馬鹿にしたような表現が多々あるのは、この映画製作の時代によるものであろうか?
それにしても、大島渚監督は凄すぎる。
<映倫No.15220>
大島渚の映画で一番好きかもしれない
今「戦場のメリークリスマス」をやっているから、大島渚に思いを馳せて。
大島渚の映画を全部見た訳ではありません。見た中で、この映画はとても強烈でした。まず、絞首刑の前、場面、その後が描かれること。そして刑を受けるのが在日朝鮮人であること。重苦しいテーマなのに、刑が失敗することで、いきなりブラックでもあるようなユーモアの世界に入り、てんてこ舞い状態になります。
大島渚映画の常連俳優はこの映画にも勢揃いで皆さん芸達者です。そして監督の妻でやはり常連の小山明子。真っ白なチマチョゴリを着た、この上なく美しい小山明子は語ります。内容は難しい。小山明子もわかってなかったと思います。でも、悪い意味ではありません。それが大島渚の映画の特徴の一つだからです。他の映画でも、とにかく語る。芸達者な男女の役者が、室内で、屋外で、海岸で、複数で、一人で、具体的に抽象的に語る、語る。
すごく不思議な映画だけれど、脳裏に焼き付けられました。他にもありますが、テーマのこともあって、この映画が一番記憶に残っています。1990年代後半あたり、自転車で通ってたミニシアターの大島渚特集で見ました。その映画館もなくなってしまいました。
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