海を飛ぶ夢のレビュー・感想・評価
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難しいテーマ
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主人公は子供の時の海難事故で首から下が動かなくなった。
親や兄の愛を受け生きてはいるが、死を願うようになった。
そして尊厳死を賭けて裁判を起こす。
が、結局敗訴し、尊厳死は認められなかった。
その関係で女性弁護士を雇う。
この女性は実は痴呆症にかかっており、いずれ植物状態になる。
なのでそうなる前に自ら命を絶とうと思っていた。
主人公と一緒に死ぬ約束をしたが心変わりしてしまった。
が、ラジオのDJをしている女性が主人公と親しくなり、
結局主人公の意志の強さに負けて青酸性の毒を用意する。
そしてそれを飲んでオッサン死亡。
一方女性弁護士は病が進行し、このオッサンの事すら覚えてなかった。
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尊厳死という難しいテーマを扱った作品。
主人公は絶望の中で悟りに似た心境になっており、
冷静に自分は死ぬべきであると判断する。
それは家族をこれ以上苦しめまいという気持ちからだった。
そして最後、自分を愛しているDJの女性を説得する台詞が深い。
本当に愛しているなら死なせてくれるはずだ。
確かに女性側の視点で見ると、愛する人間に死んで欲しくはない。
だが、死を望む者を無理に生かしておくのは愛ではないかも知れない。
いや、それにしても難しい・・・・
死にたい、死なせたくない、叶えたい、共に居たい
怒らないで欲しいのだが、この映画は驚く程に爽やかな映像と高揚をもってクライマックスに加速したと僕の目に映った。
この映画を観た理由は単純で……直接的な事情は書けないが……いま僕はまさに「死」について考えなければいけないからだ。
さて「死にたい」のに「死なない、または死ねない」事情は色々あるとは思うが、多くは身近な人への罪悪感が大きいと僕は考える。例え極限まで今が辛くとも、愛されてるもしくは迷惑をかける人の存在を自覚すると、その人たちへの気持ちが生へと自分を縛る。真性の孤独に近いほど気兼ねなく死にやすいとも言い換えられる。その気持ちは当人たちへ打ち明けられないし、多くの人は愛する誰へも迷惑をかけずに煙のように消えるような死を理想とするのではないだろうか。
しかしラモン・サンペドロの事情は大きく違う。一人では死ねない、というかほとんどの事がままならない身体のまま28年をベッドで過ごしたのだ。映画の中で、彼は包み隠さず、真っ直ぐに死を選択したがっている事を訴える。彼の兄は彼を怒り、生きる事を乞う。彼の父は多くは語らず悲嘆にくれる。彼の甥は感情を表に出せず、何処か整理できない戸惑いの様にも見受ける。彼の義姉は彼に理解を示し、なかば失望的ながら彼の望みに耳を貸す。この全てが家族として血の通った反応だと僕は思う。この噛み合わない筈の、しかしどこか通じあってもいる感情同士がひとつの着地点に向かって動いていくのだ。
家族の食事の様子は言葉も重く、映像も暗い。ただ、この映画の多くのカットが、やや人物から距離をとった綺麗な風景ごと切りとったものであるのが意外だった。
誤解を恐れずに言うとこの映画、身構えていたより遥かに見易い。それは「死」について一概に悲劇と捉える「生者の目線」だけではなく、死に心を決めたからこそ感じるポジティブ?な瞬間、そして目標としての死が近づく「死という希望」をも活写しているからに他ならない。ラモンの心情を努めて想像した造り手の真摯さから来るものに違いない。
しかし本人が言葉にするとおり、これはあくまで「ラモン・サンペドロの場合」であり、死の賛美であってもならないのがこの主題を受け止めるにあたり難しいところ。
この映画、まさかのトライアングルラブストーリーの側面もあるのだが、暖かさと残酷さが表裏一体の、歪、美しい、愚か、高潔、何と結論つけたものか…とにかくそういった愛をまざまざと紡ぐ。えぐいのだが(そもそも一人は人妻である)これまたある種の爽やかさを演出されているというか…。エゴがアガペーとなり手を染める窓の夕焼けは尊い。でも尊いと大声で言っちゃいけない気もする。ただそこに結果があり、当人と当人を愛した女性が納得のうちにある事実は「救い」である筈だ。
そしてもう一つ、生命の上での死とはまた違う尊厳の壁を最後に映し映画が終わる。決して悲愴的でない音楽と映像、余韻に乗せて。
これはこういう教訓が正しいなんて無責任な結論を僕の口からは言えない。或いは言葉にするにはまだ整理がついてないのかも。が、☆は5つでも足りない。絶対に、現代を生きる上で多くの人に(非にしろ是にしろ)知る必要がある視点だから。
人生は本当に素晴らしいのか
ものすごく考えさせられる作品でした。
実話をもとに作られた物語。
ハビエル・バルデムが、自分の年齢よりも20歳以上も上のラモンという主人公を演じていて、素晴らしい。
首から上しか動かせない役なのに、目で、顔で、言葉で、すべてで演じてた。
ラモンに惹かれていく二人の女性。なぜか人を引き寄せる不思議な魅力をもっている男性をみごとに演じてた。
そして、ロサっていう女性がなんていうか、女子から見てて腹立つ女で。
すごく甘えてて、感情的で自分勝手で。自分の気持ちを人に押し付ける。
でも、人間てそんなもんなのかもしれないけど。彼女も自分のいる場所とかそういうことに満足をしていなくて、ラモンという「かわいそうな」人に尽くす自分に満足したかったのかもしれない。
結局人生なんて自己満足だ。
なんか、人生ってなんなんだろうと思った。
わたしの友達に、「人生は素晴らしい」っていう言葉が好きだっていう友達がいて、
その人が好きな「人生は素晴らしい」って言葉は、「Life is beautiful」とは少し違うらしい。
その人が言わんとするところはものすごくよく分かる。
なんやかんや人生は素晴らしいってことなんだと思う。
人生は輝いてるとか生きてること自体が愛おしいとかそういうたぐいのニュアンスなんだろうと思う。
だけど、どんな人の人生も本当に素晴らしいのかな。
彼の人生は素晴らしかったのかな。
私の人生は素晴らしいのかな。
そんな思いが、止まらなくなる、苦しい映画だった。
今回はものすごく印象的なシーンが多かった。
しかしながら人生を特に考えさせられることになったところから2つ。
1.なぜ皆のように自分の人生に満足できない
フリアとともに死ぬ約束をしたラモン。
本が出版される日と決め、彼はその日を夢見ていた。
しかしその日、彼女は来なかった。
その夜に、取り乱したラモンが発した言葉。
なぜ皆のように自分の人生に満足できない
彼が尊厳死を口にするようになってから、たくさんの人が彼に生を説いた。
同じように体が不自由な牧師が、彼に説教もした。
そして分かり合ったはずの女性も、死ぬことを選んではくれなかった。
すごく、つらかった。
私も思う。世の中の人はみな、人生に満足しているように見える。
そりゃ、見えないところでいろんな苦労があったりするんだと思う。
だけど、自分の人生が何か違うと思い、自らの手でその人生を断つことを思うほどに、
自分の人生に満足できないひとは果たしてどれくらいいるんだろう。
わたしという人間の人生を他の人が生きたらそこそこ満足するのかもしれない。
だけどわたしはいつも思ってしまう、なんか違う、なんか違うと。
人間は、生きる意味を探してしまう。だから人生は素晴らしくもなるし、素晴らしいと思えない自分を苦しめることにもなる。
2.甥のハビが、死へと向かうラモンの車をただただ追いかけるシーン
ラモンは結構甥のハビにつらくあたったり、横柄な態度をとったりする。
だけど、ラモンがロサと共に行くことを決めたとき、彼が乗った車をハビがただただ追いかける。
映像が美しくて、切なくて、
理由なんかない。ただ、悲しい。追いかけたい。
そんな思いがあふれているシーン。
どんなに本人が死を望んでも、人は、人が死ぬのは好きじゃない。
いさかいがあったとしても、本人が生きていることを拒んでいたとしても、
でも悲しい。行かないでほしい。
涙が止まらなくて止まらなくて。
他にも胸に突き刺さるセリフがたくさん出てくる。
お兄さんとか世話をしてるマヌエラさんの想いとか、たまらない。
色んな人の言葉をかみしめてみて頂きたい作品です。
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