「幸せのねずみ講」ペイ・フォワード 可能の王国 機動戦士・チャングムさんの映画レビュー(感想・評価)
幸せのねずみ講
情けは人の為ならず。巡り巡って自分の元に…。
でも、それまで待てないヒトは言う。情けをかけると、かけられた人の為にならないから、情けは不要。自己責任で完結すべし。…本来の意味が失われて、久しいですね。
ヒトには、将来のことを考えて今を我慢しようと思う抑制サイクルと、今だけを考えて我慢しない刹那サイクルが、あるそうです。これを偽善と露悪のサイクルと云うらしいです。
偽善と露悪。天使と悪魔。悟りと煩悩。いずれもヒトを構成する要素ですし、ヒトは逆立ちしても、神様にはならないので、あって然るべきですけど、どこにウェイトを置くかで、ヒトの生き様は変えられるような…
露悪の巨塊が合衆国を牛耳るこのタイミングで、某国営局がこの映画を放送するのは、どんな意図があるのかしらと、勘繰りたくなる今日この頃です。そしてこの映画は、他ならぬ、その合衆国で、かつて創られたものです。
この映画のラストを、どう受け止めるかは、かなり割れるでしょう。昔、刹那さを殺せないって、唄ってた方もいましたけど、やらぬ善よりする偽善に、ヒトの可能性を見出だしたい私です。
最近、他人様にいいことしました?。
何もしてない私ですけど。
嗚呼、刹那さを殺せないなぁ。
皆様なら、何に先払いします?。
皆様の情けは、誰が為にあります?。
以上、四半世紀前に観た記憶で、レビューしてみました。地味な映画ですが、未だに印象が残っているのは、この映画に何かがあるからでしょう。その何かに、多くの方が触れることを願います。
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