ペイ・フォワード 可能の王国のレビュー・感想・評価
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コロナ禍で再び話題になった作品!
流行病によって会社や学校に行けない人が増え、飲食店やイベントなどの自粛が起こりました。
そして、社会的資本が失われていく中で、助け合いを望む声が溢れたそうです。
先生は「もし世界を変えたいと思ったら何をするか」という課題を生徒たちに与え、
子供らしいアイディアが飛び交う中でトレバーは、自分が受けた善意や思いやりをその相手ではなく、別の3人に返すという「ペイ・フォワード」を提案しました。
それを実践しますがなかなか結果にならず、失敗だったのではないかとトレバーは思い始めます。
しかし、トレバーの知らない所で「ペイ・フォワード」は続いていました。
というあらすじとなっています!
私は今までキャリアを上げていく中でいろな人と出会い、その出会いを大切にしてきました!
トレバー達が努力し続ければ結果になることを伝えてくれたように、私自身も努力を惜しまず、これからも人とのご縁を大事にしていこうと思いました!
自分の中での最高傑作です
この作品は、情けは人の為ならず!という考え方と似た作品です。
誰か3人に優しくすることで、その3人もまた誰か3人に優しくし、と繰り返されることで世界が良くなるのでは!?と考えた男の子の話です。
自分はこの作品を見ながら自分と重ねました、自分が同じ歳の時にこの考えで人に優しくできたら、みんながこの考えを持っていたらと思ってしまいました。
自分は学校では誰かに優しくしたり積極的にできた人間では無かったため、この映画にもっと早く出会っていれば!と無い物ねだりをしてしまうほどにです。
もちろん子供では無い今からでも誰かに優しくすることを心情に生きることはいい事です、でも大人は子供ほどに純粋に善意で物事をすることが出来ないのも事実です。
名作と言われる映画は沢山あります。でも自分はこの作品を最高と言い続けます、ラストで死んでしまう必要は無かったとみなさんが言います。ですが自分はペイ・フォワードとは初めの1人(この作品では主人公)は世界の自分以外の全員が幸せになるまでは幸せになれないのです(誰も主人公に返せないから)。
この言い方が正しいかは分かりませんが主人公は神と同じ行いをしたのです。100%の善行。
だからこそ主人公は死でその代償を払ったのだと思います
出来るなら子供に見て欲しい作品です。大人と一緒に見ることで語り合って新しい考え方をしてほしいです。
これを見て見てくれる人がいたらペイ・フォワードを初めて見てください。
長くなりましたが読んでくれてありがとうございます少しでもこの作品の魅力を伝えられたらよかったです
一粒の麦が地に落ちて死ねば、多くの実を結ぶ。
「シックスセンス」のオスメント君とケビン・スペイシー共演の話題作だと聞いていて結局今まで見れずじまい。やっと見れた。ただ、主演のオスメント君は今や見るも無残な中年のおっさんに、そしてスペイシーの方もえらいことになっちゃってます。
でも私は作品と俳優個人とは別物だとして割り切る方なので気にしません。ただ、撮影中スペイシーがオスメント君をどういう目で見ていたんだろうという思いが脳裏に浮かぶたびに鑑賞中気持ちが作品から離れそうになってしまった。やっぱりもっと早く見とくべきだったな。
欧米では日本のような知識の詰め込みではなく、思考力を養うためにソフトスキル習得を重視した教育がなされており、その一環として社会科の教師シモネットは生徒たちに課題を出す。世界を変えるために何ができるかと。正しい答えを出すのが目的ではなくあくまで思考力を養うのが目的で。
しかし、トレバーが考えたアイディアにみなが驚かされる。それはいわゆることわざの「情けは人の為にあらず」にも通ずるアイディアだった。
自分が親切にしてあげた人がさらにほかの人に親切にしてあげる、これが延々と世界中に波及していけば皆が幸せになれるだろうと。彼がそのように考えたのにはその複雑な家庭環境に理由があった。
そのアイディアをトレバーが実行したことからやがて周りの人たちにその影響が及んでいく。心を閉ざしていたシモネットやアルコール依存症の母、そして同じく依存症の祖母にも良い影響が。そしてその影響はトレバー自身思わぬところにまで。
とてもいいお話で、温かい気持ちになれる作品。と思っていたら衝撃的な結末が。正直この悲劇的な結末には戸惑った。でもラストシーンを見て納得してしまった。
そうか、キリスト教圏の国の作品だもんな。トレバーをキリストと見立ててるんだ。ヨハネ福音書には「一粒の麦が地に落ちて死ねば、多くの実を結ぶ」の一節がある。これはキリストの死と復活を意味している。
キリストが死ぬことでその志を継いだ多くの人が生まれる、それはつまりキリストの生まれ変わり、復活だということ。トレバーの家の前には延々と続く人の列が遥か彼方まで連なっている。まるで聖地巡礼に訪れた人々のように。
本作、さすが演技派ぞろいだけあって要所要所で泣かされた。ただやはり最後は宗教色が強く出てしまった感はある。
少年の切なる思いが世界に伝播して奇跡のような出来事が起きた、みたいな話で終わっておけばよかったのかも。話題作のわりに意外に評価が低いのも納得。
あらすじに騙されないで
まず「ペイ・フォワード」という言葉の意味を知らなかった事から知人にこの作品を薦められました。良い話だからぜひ、と。
確かにラスト直前までは感動できる部分もあります。
しかし、最後の最後に主人公の少年トレバーが死んでしまうという結末に驚愕し、ひどく落胆しました。最悪です。
後味が悪過ぎて、時間の無駄・大損をした・こんな事なら見なければよかったと激しく後悔しました。
なぜこの話の流れで彼が命を落とさなければいけなかったのか、必然性も全くなく、どうしても納得がいきません。あまりにも酷過ぎます。
大勢の人々が彼に祈りを捧げる様子で感動させようとしているのか何か知りませんが、その意図も不可解で、終盤は一体何を考えて作られたものなのかさっぱり理解不能です。
人の為になら自己犠牲もいとわない?それは「ペイ・フォワード」とは何の関係もありません。人の力になるのは、命あってこそ意味をなすものです。助けられた相手が死んで喜べる人がどこにいるでしょう?
本来の「恩送り」の意味とは逆に、まるで「所詮人の善意なんて無意味、何にもならないんだよ!」という強い悪意が込められているかのような印象を受けるほどです。一刻も早く忘れてしまいたいのに、トラウマになり記憶から消えてくれないのが恨めしいです。
印象の選択肢に該当するものがありません。
怒りが湧く・失望する・最低といったところでしょうか。
キャッチコピーやあらすじに騙されて観てはならない、絶対におすすめできない作品です。
だって『男はつらいよ』って平然と言える男社会だもの。
気持ちは分かるが、やっぱり、偽善だな。
救う相手が良い人で無いと、『ペイ・フォワード』は成立しない。
例えば、この映画の『暴力を振るう男』は改心をしていない。
その現実を表したかったのだろうが、では、解決方法は?
多分、無いと思う。つまり『暴力を振るう男は暴力をふるい続ける』という事。つまり、鎖のように善意は繋がって行かない。
そして、この先生もDNAの中にトラウマが潜んでいることは否定できない。勿論、主人公の少年や母親にもそのDNAは引き継いでしまっている。
従って、この方法では、諸悪を淘汰出来ないという事。
但し、過渡的な改善策として、共感はする。
暴力を振るう男は絶対に改心することは無い。だって、『男はつらいよ』って平然と言える男社会だもの。男が『つらい』と言っている間に、『つらい』ままで、『50のつらさ』から男だけが逃避するパターンを紡いだ。そして、女性はそれに気づかないでいる。
勿論、暴力は女性も振るうもの。
タイトルなし
ラストが糞。
現実世界でも同じような事が起これば自分も悲しむだろうし映画の様にキャンドルを持った人達が彼の家に集まってくる事だと思う。ただ、このシーンを見せたいと思って製作された映画だと思うと気持ち悪くなる。公開当時のアメリカ情勢とか分かってくると納得できるのかな?
悲しい結末
人に受けた恩を3人に返す
非常に大切な考えだと改めて感じさせてくれる作品。
最後、悲しい終わり方をしてしまう必要性があったのか疑問が残るが、全体として良い作品。
エピソードの枝葉を広げていく展開でも面白かった気がするが、これはこれで良いのかも知れない。
私も恩を3人に渡せるような活動、行動を取っていきたい。
世界が変わるのを見たい
トレバーの考え、行動、非常に魅力的で芯のあるものだった。それがこの映画の芯だった。
それだけに何故ラストにストーリーを強くも補完もあまりされていない突然の死をぶち込み、泣かせるような展開にしたかったのか、不明すぎる。もったいない。
ボンジョビのクズっぷりは良かった
つかラストあんなんで死ぬんかいって。泣かせようとしてるんかしらんけど不意の事故とかやないし、あれは要らないかったかなぁ。以上!
またいい作品を見ました。 「日々に慣れきった人たちは変えられない ...
またいい作品を見ました。
「日々に慣れきった人たちは変えられない
でも諦めたら終わりなんだ」
という主人公の言葉ですが、私は人を思いやるということは
決して自分のためではなく100%相手のためであり
見返りを求めたりしてはならないですし、また
相手の為に愛を持って行うことは、実はそんなに簡単なことではないと、主人公を見ていても思いました。
必ずしもそれが相手にとって良いわけではありません。
愛の押し付けになってはならないですし
見返りを求めることではない。
ただそこに困ってる人がいたら助ける。
そしてそれを受けたら、今度は同じく困ってる人がいたら
自分が手を差し伸べるという
純粋な心をまた、思い出させてくれたように思います。
必ずしもうまく行くことばかりではなく、
善意を行っても悪運が降りかかることももちろんある
ということを主人公の死をもって伝えてもらえた気がします。
物語の本質は人として大切な事
全体を通せば良い話に思えるけど、少年の願いのひとつ、母親の幸せに物語をフォーカスし過ぎた事で感動がぼやけた感じがする。原作ありきのフィクションだろうが、最後は救いようのない残念さが残る。
キャストのハーレイ・ジョエル・オスメントの演技は素晴らしいの一言だけど、現在は大きく活躍していない事がこの業界あるある。ケビン・スペイシーも申し分ない演技だけど、プライベートが残念すぎるニュースになっている…
日本人の宗教観では理解できない。
2001年。監督:ミミ・レダー
《ペイ・フォワード=善意を他人へ回す》
新任の社会科教師シモネット先生(ケヴィン・スペイシー)は
「世界を変える&自分を変える」
この2つを今学期通しての課題とすると、言い、板書した。
影響を受けたトレバー(ハーレイ・ジョエル・オスメント)は、さっそくヤク中のホームレス(ジェームズ・カヴィーゼル)を家に入れて食事とシャワーを使わせる。
トレバーは母子家庭で、母親アーリーン(ヘレン・ハント)は、夫は行方不明で本人はアルコール依存症だ。しかし仕事を2つ掛け持ちして頑張って息子を育てている。
このトレバーに旋風を起こしたシモネット先生。
この人も、父親から虐待され火を付けられ大火傷をしたことで、心と身体に深い傷を負っている。
シモネット先生の方こそ、助けの必要な人だ。
ペイ・フォワードの運動はマスコミも知る所となる。
多分この映画は心暖まる話なのだろう?
と期待して観ていた。
その予想は大きく外れた!!
むやみに他人には優しくするな!!
善意を悪意に取る腐った人間が多い。
シモネット先生は性格が破綻している。
「世界を変える」そんな課題を出す資格はない人間である。
この映画のテーマはあまりに偽善に満ちている。
ラストまでみて、トレバーの死を教訓にする・・・みんなが!?
そんな戯けたことは聞きたくない。
なぜトレバーがこの映画で犠牲になるのか?
ラストが酷すぎる。
ネバダ州の荒野!
人の感情や思想はその風土を抜きにしては語れない、とこの映画を観てつくづく思う。ラスベガスの町はあまりに人工的で嘘臭く、その周りに広がるのは果てしない荒野。映画のストーリー自体よりもその風景にばかり心が捕らわれていた。このような場所でまともに生活していくのは、想像する以上に難しい気がする。明日への不安を酒で紛らわすか、自分の立てた予定通りにきっちりと一日を過ごすか、人を虐めて自分を慰めるか…(異常な宗教に没入して現実を忘れるという方法もあるかもしれない)。
生活の参照とすべき伝統もなければ助け合う共同体もない世の中で、それでも正常を保とうとするならば、自分が変わり周りを変えるしか方法がないと考えるのは当然といえる。ゲンコツを与えるか慰撫を与えるか。その実践の困難さを描くのがこの映画。フォレスト・ガンプのように無心の行為が世界を変えるのとは違い、実践は誠に難しい。世界はクソだから。そんなクソの世の中でも、続ければ一輪くらいの花は咲くんじゃないかというのが主題。みんなクソまみれになりますけど。
カタルシスはない。大成功、万々歳な終わりかたではない。しかし、主役の男の子がメディアの注目を浴びた後クズ人間になる可能性もないので、そこは安心できたかなと思う。
気になっていた映画なので、消化できてよかったというのが正直な感想。可もなく不可もない。
人はまっすぐな良心に共感し、集う
NetFlixのおすすめに出てきて、引き込まれるように観た。
先生の板書からストーリーは始まる。「幸せを連鎖せよ」と。
少年は真正直な心でそれに答えようとする。
そしてその感動の波が広がって、お母さんとおばあさん、そして先生とお母さんが結ばれた直後。。悲劇が訪れる。
しかし皮肉にも「Pay Forward」のストーリーは感動の波を呼び、その悲劇を弔う人でラスベガスの片田舎の家の前は一杯になる。
正直言って感動のストーリー展開から、「あのラストは無いだろう」と私も思った。脚本家や監督に直接聞いてみたいと思ったぐらいだ。
でも最後のシーンで、まるで「フィールドオブドリームズ」のように「良心」というハートランドに集まる人々の姿を見て、「人は自分の捨ててでも人の役に立ちたい人に心を寄せる」ということが素直に心に入ってきて、「なぜだ」と思いながら、何とか受け入れることができた。
「パラサイト 半地下の家族」を観た後のような、複雑な感情が入り混じった気持ちだ。しかし。。理解したい、きっと意味があると。
あのラストは必要だったか?
3人に良い行いをし、連鎖させることがテーマ。
期待しすぎた。
思ったよりもストーリーの起伏がなく、
中盤で繋がりがわかっても大きな感動もなかった。
・読める大筋
・惹かれ合う描写のない急な恋愛
・不自然なほどに大人びて、大人の仲を取り持つ子ども
・不要なラスト展開
始まりは主題の規模の大きさを感じさせる展開だったので
わらしべ長者的に小さなことが大きくなっていく、
広がっていくことを期待していたが
終始主人公の周りの小さなことがメイン。
離れた場所での広がりは本当に前段に過ぎず
ガッカリ。
そしてラストは急に起伏を持たせたかったのか?
ああである必要は全くなかった。
なんと悲劇的な…と思わせたかったのだろうが、
全く感情は動かなかった。
途中から早送りで観るくらいだったので
2度は観ないな。
面白かった
話題になった話だと思うけど、きみに読む物語とかみたいなぺら感ある感じなのかなーと思って見ずに今まで来たけど、全然面白かった。ケヴィン・スペイシーは、やっぱり良い役者だなー残念だなーと思った。でも、最後死ぬ必要あるかな?
もうちょっとで名作になったのに
人間の性善説を元にしたおとぎ話のような物語は嫌いではない。もしかしたらこの映画は、あの昔の名作「素晴らしき哉、人生!」のような名作になるのではないかと思って見ていたら、何とあのラスト。まさに開いた口が塞がらないとはこのことだ。
学校の宿題で、「もし、君たちが世界を変えたいと思ったら何をする?」に対して、主人公の少年の答えは「見返りを求めないで困っている人を助け、助けられた人は同様に3人の困っている人を助ける。その結果ネズミ算式に世界が善意に満ちあふれる」というもので、実際に少年が実践する心温まる展開だった。
主人公役のハーレイ・ジョエル・オスメントは、悲しい映画が多いので、最後はどうなるかと心配していたら、案の定その通りになってしまった。
事件のあとの意外な展開(私にとって想定外の展開だった)には感動したが、事件自体はやや唐突で不自然な感じは否めなかった。
ここまで主人公にかなり感情移入してしまっていたので、最後に突然崖から突き落とされた気分で、納得できなかった。別の展開(殺されない)になっていたら、かなりのお気に入り映画になっていたはずなのに、非常に残念である。
現実に起きて欲しい
「恩を返すのではなく、恩を渡す」そんな活動が現実に広がれば、それは理想だけど、そう思わなければ広がることもない。
ラストシーンは賛否があるだろうが、主人公が亡くなるほど、訴えたいストーリーなんだと思った。
私達は意識せずとも誰かに受けた恩を、相手を変えて社会に返しているのだろう。原作者は本人の経験から小説にして、今は社会活動家らしい。ユートピアを目指して欲しい。
現代社会の分断を止めるのも進めるのも、各国の指導者の力によるものではあろうが、言いすぎかもしれないが私達一人ひとりの意識が変わることも後押しにはなると思う。気が遠くなることではあるが。。。
自力作善は当然破綻する
例えば「歎異抄」の親鸞の言葉にはこうある。
「慈悲に聖道浄土のかわりめあり。聖道の慈悲というはものをあわれみかなしみはぐくむなり。しかれども思うがごとく助けとぐること極めてありがたし」
人間が、自分の力で何かを助けようとしてもそれが理想的な形でかなうことはまずないし、ましてや助け続けることなどほとんど不可能だ、という意味である。
現代のアメリカ人の知恵は、800年前の日本人の智慧に遠く及ばない。
伝統を知り、ある程度の教養がある真っ当な日本人がこれを観れば、この映画は「世に無数にある、幼稚な自己中の偽善が、単に失敗しただけのさま」以上の評価はできないのではないか。
終幕もお粗末。
死をもって美化するのがアメリカ映画の王道とはいえ、あんなので感動するとか…ないな。
時間の無駄でした。
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