「人生の俯瞰、運命の達観」ミスティック・リバー rokaさんの映画レビュー(感想・評価)
人生の俯瞰、運命の達観
決定的に損なわれてしまったデイヴ。何よりも尊い存在を損なわれたジミー。損なわれつつあるものを抱えているショーン。
少年時代の書き込みがやや浅いことは否めない(この点、原作に完全に負けている)が、そこは、役者でもっている。
ティム・ロビンスとショーン・ペンは極めて妥当な選択だが、隠れたファイン・プレーはむしろケビン・ベーコンだろう。『インビジブル』や『ワイルド・シングス』といったB級映画においてもそうなのだが、彼は際どいところで作品を救う救命士のような活躍を見せる。
加えて、ローレンス・フィッシュバーン、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ローラ・リニーといった脇の配役も完璧と言って然るべきで、あらゆる意味合いにおいてキャスティングは突出していた。
映像は、この作品におけるイーストウッドの視線を静かに物語る。
彼らの「運命」を、包み込むと突き放すの中間で捉えたかのような色彩と明暗は、本当に美しい。
イーストウッドは「運命」の物語に圧倒的な影を落としつつも、同時に祝福の光をも当ててみせる。
本作はある意味で確かに悲劇だが、イーストウッドが人間たちに向ける眼差しは、悲劇的とか喜劇的とかいった言葉では言い表しきれるものではないとも思う。
その眼差しで、イーストウッドは、あまりに的確に人間たちの痛みを切り取って見せる。
言い訳しようのない悪を抱えつつも確かに愛を知っていた悪党が、先妻の残したたった一人の娘に向かって叫ぶ、永遠の喪失の痛み。全てを狂わせた少年時代の自分に向かって「逃げろ」と叫ぶ、叶えられようのない哀願の痛み。おどけるようにしてしか何かを伝えることもできない、友情と呼ぶにはあまりに複雑すぎる、不完全すぎる、銃に見立てた指から放たれた、言葉にできないその痛み。
それでも、現在は我々の目の前を歩いてゆく。パレード。
本作のテーマの一つは、「罪」という問題ではなかろうか。
イーストウッドは観る者に、「罪」は果たして何処にあったのか、そして誰のものなのかを問いかける。
何を責めればいいのか。そして、何を悔やめばいいのか。
デイヴを連れ去った男たち、悪事に手を染めていたジミー、彼を裏切ったレイ、過去から逃れることができなかったデイヴ、ケイティを殺した少年たち、一手遅かった警察の捜査、夫を信じてやれなかったセレステ、夫の殺人をゆがんだ論理で受け入れ、小さなファミリーだけを守ろうとするアナベス、ジミーの殺人を確信しつつ、彼を野に放つ(と僕は解釈した)ショーン……。
避けられた過ちは何なのか。本当に罪深きは誰なのか。そして、与えられるべき罰は何なのか。
イーストウッドが構築したのは、様々な人々を損ない、また損ないつつある「罪」というものが確かにありながら、おそらくもはやそれを誰にも問えないという、圧倒的な痛みを伴う世界なのではなかろうか。
問いかけつつも、実は答えはないのではないか。
諸悪の根源みたいなものは何処にもない。
究極的には誰をも裁くことができない。
罪を抱えているのはジミーであり、デイヴであり、ショーンであり、アメリカであり、私であり、あなただから。
それでも「運命」とでも呼ぶしかない暗い力はときとして人を激しく翻弄し、それによって確実に誰かは傷つき、損なわれてしまう。
そういう世界の中で、両手に余るほどのやり切れなさを抱えながら、無力なまま何かを守り、裁かれぬまま背中に十字を背負い、そんなふうにして人が生きてゆこうとするとき、そんなふうにして生きていくしかないとき、善は、悪は、罪は、そして罰は……その所在、その責任、その是非、その価値、そういった全てを、イーストウッドはミスティック・リバーに流すようにして、そっと観る者の手に委ねたのだと思う。
優れた作品はいつも、答えではなく、問いを残すものだ。
それはたとえば殺人を是とするというような価値転換ではなく、社会的な倫理観を捨てても構わないというようなある種の放棄でもなく、「救い」なるものを全面的に否定するような諦念でもなく、答えなき現実に真摯に向き合った上での、静かな達観だったのだと思う。
ときどき、ラスト・シーンのパレードを観ながら、イーストウッドはこの映画の中で全てを「許して」いるのではないか、と感じることがある。だからこの映画は、とても残酷であるのと同時に、信じられないくらい優しく、美しい。
人生は完璧ではあり得ない。幾多の傷と嘘と暴力を抱えて、僕たちは、どう生きてゆくのだろう。
デイヴのように、過去に喰い散らされてゆくのだろうか。
あるいはショーンのように、未確定の柔らかい未来を抱えて、現在を許すのだろうか。
それともジミーのように、「Who fuck knows?」と両手を広げておどけて見せるのだろうか。かつて友が永遠に連れ去られてしまった路上で、片手には酒瓶を下げたまま、背中には十字を背負ったまま。