マルホランド・ドライブのレビュー・感想・評価
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直観と想像で観る映画?
元は米ABCのテレビシリーズ向けの企画だったようだが意味不明と言うことで没になったいわくつきの作品。さしずめ「世にも奇妙な物語」風のカルト・ムービーの類でしょう。
殺人事件に絡んだ記憶喪失もののスタイルを取るが脈絡のない断片的なエピソードを入れるので戸惑うばかり、SFのパラレル・ワールド並みの時間交錯、落としどころはレズ関係の怨恨ものだったのか、よく分からない。
冒頭から昔の若者の踊るジルバ、甘ったるいオールディズ・ソング、シュールな舞台劇、おっぱい丸出しのレズシーン、いかにもサスペンスドラマの定番的雰囲気など観客が喜びそうな餌はふんだんにまかれているがどうにも皮肉っぽい。
業界のダークサイドを描くならお手の物、ネタには困らないのでしょう、勿論、監督なりの理屈は有るのでしょうが、特典映像の監督インタビューでテーマとか見どころ、狙いなどを聞いてもはぐらかすだけ、「音楽を愉しむのに理屈は要らないのと同様、感じて想像すればよい映画があっても良いではないか」と宣わっていた。
邪推かも知れないが、監督はスポンサー筋にあれこれ干渉されたり、したり顔の批評家たちにこき下ろされることに嫌気がさして、ぶっ飛んだ映画、いわば挑戦状をたたきつけたかったのかのしれませんね、とりあえず難解にしておけば、分かったように持ち上げる似非評論家の多いことまで読んでいるとしたら流石巨匠です。
個人的には作家性の強いシュールな映画は苦手、この内容で2時間半も必要なのか疑問です。
そこまででも
何度も見たくなる
これは映画館で観なくて正解だったのかもしれない。最初はTV向け連続ドラマに仕立てようとしたこともあるが、とにかく謎だらけで何度も観たくなるからだ。そして、何度観ても新たな発見がある奥深い映画なのだ。TV版『ツイン・ピークス』の雰囲気をそのままハリウッドへと場所を移動した感じなのだが、観る者によって全く違う感想を与えるほどの緻密で難解な映画でもある。リンチ監督による『サンセット大通り』へのオマージュや50年代音楽への傾倒も感じられる。2度目を観ると、名前と細かな台詞にも納得がいくのですが・・・
本線はベティとリタの記憶取り戻すストーリーなのだが、ウィンキーズのダン、部屋の中のポスター、映画監督アダムとカミーラ・ローズ、ジョーの殺人、青の鍵、カウボーイ、怪しげな老婆ルイーズ、オーディション、ウィンキーズのウェートレスの名札、12号室と17号室の交換、ブロンドのかつらとレズシーン、バンドのないシレンシオ劇場とレベッカの歌、これらが“青い箱”を境にして全て後半へと有機的に繋がりを見せる。後半の冒頭ではいきなり名前に混乱させられるが、こちらが現実での名前であり、前半のストーリーが全て彼女の願望(または夢)であったことをうかがわせる。登場人物も全て重なり、初めて観たときの衝撃を思い出してしまう。
後半の時系列がかなり狂ってるように感じるが、思わせぶりな灰皿のアップから、目覚めた時のシーン以外は順序通りであるかと思う。小物のクローズアップや意味が無いようなシーンによって謎は深まるのだが、3度目を観てもまた疑問が残ってしまった(笑)。結局のところ、殺人の動機は同性愛の相手への嫉妬心からなのか、彼女が主役を射止めたことに対する嫉妬心なのかが掴めなかったが、どちらでもいいんでしょうね。
複雑に見えて実は単純、ポイントは薬物中毒女と時系列の錯綜の作為
ストーリーは単純です。
薬物中毒女がレズ友に裏切られ、レズ友殺害を殺し屋に依頼する。
薬物中毒女は壊れて自殺。
レズ友は殺害直前に交通事故で逃げる。
逃げるところと、回想シーンは薬物中毒女の想像と沢山挿入してるので、現実的でないところは、全て挿入シーンです。
たとえば、ミイラ女、ショー、事故現場。但し、事故は現実ですが、シーンは想像。
それで、みんな前半と後半で分けて考えるから分からなくなる。
ぶつ切りで編集してるだけで、何も難しくありません。
わかりましたでしょうか。
不思議な魅力の映画
ストーリーとしては支離滅裂で結局最後まで何をやってるのかわからないのだが飽きなかった。こんなに長い映画でストーリーがめちゃくちゃなのに飽きない・・・だから、これはきっと魅力的な映画だったのだろう。
・・・
後になって考えてみるとこういうことかなぁ
前半のは全て劇中劇。あれは撮影されるはずだった映画。自分がやってみたかった主役。主役になれないならやってみたかった脇役。それもできないならもっと脇役。それもできないんだったら仕方がないウエイトレスの役でも良い。しかし現実にはウエイトレス役やらせてもらえず、体と引き換えに何かの役をあげましょうということも言ってもらえない。・・・劇中劇と現実と空想が入り交じった世界・・・ということかな。
意味不明も意味不明。 自己満足センズリ映画を世に垂れ流すんじゃねえ...
意味不明も意味不明。
自己満足センズリ映画を世に垂れ流すんじゃねえよ。
結局なんだこれただの妄想か夢オチか?
これが偉大な映画とはさすがに評価した奴らのセンス疑う。
解説読んでも結局思った通り。
後半が本当の現実だった。
現実で会ったり見かけたりした人で印象に残っている人達が夢でキーマンとして出てきただけ。
そしてこうなればいいという理想に近い夢を見ていただけ。
奇抜ってほど奇抜でもないよくあるどんでん返し系。
難解でもそれが自分なりに解釈できて答えが出てスッキリできたからって高評価するなんてのはあまりに浅はか。
結局この映画の見所は2人の女優のおっぱいとナオミの演技力だけ。
David Lynch
推理小説のようなミステリー映画。
デヴィッド・リンチにしては、とても親切に丁寧に描かれていました。私が思っていた彼の作品の特徴というと、簡単には理解できないような解釈の余地を残し、視聴者に謎を与え続けると言ったような印象でした。今回の作品は、一変してミステリー小説のように、丁寧に答え合わせをしていくように、1つ1つのトリックを結びつけていくような手法をとっていました。単純にミステリー映画として視聴者を楽しませるという能力もあるのだと見せつけられましたね。誰でも楽しめるんじゃないでしょうか。
しかし、これで終わらないのが、デヴィッドリンチ。ちゃんと自分の作品であることに誇りを持ち、そこに描かれるテーマは夢。しかも彼なりの描く夢。美しいものだけが夢じゃないんだよと、と最後の最後に突きつけられる現実はあまりにも暗い。この世界、何%の人が夢を叶えているのだろうか。夢を持つことは自由かもしれないが、叶えられるかどうかというのは、1つのパラメーターでは測れない。年寄りになってまで、無理して笑っていたいか?それとも、いっそのこと諦めて楽にないたいかい?なんともデヴィッドリンチらしいテーマ。
さらにそこに自分の経験を含めた、ハリウッドの映画業界という舞台設定。夢が集まる場所。この映画を見終わって友人と話したのは、これ”ラ・ラ・ランド”(2016)と全く同じストーリちゃう?っていうこと。これ何人の人がわかってくれるかな?テーマにしろ、舞台にしろ、エンディングにしろ、全く同じ。ジャンルと時代が違うだけで。。個人的にはこっちの方が好きかな。
私の興味を引き付けたのは、1970年代から90年代を連想させるような、ブロッキング。クロースアップの使い方、POV、ドリーの使い方。一番好きな時代。”パルプ・フィクション”(1994)、 “めまい”(1958)、 “ゴッドファザー”(1972)、 ”サンセット大通り”(1950)、”雨に唄えば”(1952)、”お熱いのがお好き”(1959)といった名作のオマージュにもらしさがプンプンに出ていましたね!ちょっとやり過ぎ感もありましたが、ヒッチコックの手法や、サスペンス、ミステリー、ホラー、ノワールの要素を継承したとても質の高い作品です。あまり、技術に頼らず、このシーンでは何を伝えなくてはいけないのかという、シンプルなことを100%やり遂げたような印象です。テレビドラマとして、企画を考えていたという事実を考えると、納得できますね。
マルホランド・ドライブ (脳が侵される)
現実のネガフィルム
ネガフィルムの構造、裏返し
こうなりたかった自分、こうあって欲しかった現実、そうに違いないという思い込みの妄想
それが前半だと、そこに気が付いたらどういう内容の物語であったのかが一気に理解できるのではないだろうか
ベティのオナニーシーンは衝撃的で悲しさ哀れが存分に伝わる名シーンだ
あえて難解な構成にしてあるからこそ、味わいがでて深みがあるのは理解できるが素直ではない
ホームレスの怖さは明日は我が身の怖さ
赤と青の対比
青の小箱のふたはステージの形
様々に隠喩を駆使するがあまりにくどいとは思う確かに謎を解く楽しみがあるのだろうが、それは映画としてのカタルシスとは別物ではないのだろうか
そのような疑問をもつ映画でもあった
それでもサンセット大通りやイヴの総てを観た後のようなハリウッドの凄まじさが心に強く残った
狂った女の映画
初デヴィッド・リンチでしたが、噂通りキてました。狂っている、とポップな言葉で表現するよりも、精神病的な作家である、と表現したい。
本作はめちゃくちゃ面白かったです!切ない妄想映画でした。人間が持つあらゆる欲望が表現されているように感じます。
経済的に豊かでそれなりに名声もある親族に恵まれたい。困窮している愛する人をケアして、必要とされたい。実は才能もあって、その道の権威に評価され承認されたい…
さらに、アイツが主演を務めるのは、背後に誰かが糸を引いているからだ、という嫉妬からの陰謀論まで盛り込まれておりますからねぇ。
裏を返せば、夢を抱いてハリウッドまで来たものの、カネもコネも実力もないから何者にもなれずに転落していく人生が描かれていて、切ないのなんのって。妄想するしかないんですが、いくら逃げても終点ってものがありますからね。
終盤の展開は実に悲しくてやるせなかったです。あの、泣きながらのオナニーは本当に切ない。故・雨宮まみのエッセイを思い出し、なお切なくなってしまった。
本作は2時間半の長丁場でしたが、驚くほど飽きずに観れました。理由は、割と展開がスピーディーなのと、しょうもない小ネタが多いからだと考えます。
リンチのクソなセンスのギャグは相当好みですね。アダムが帰宅すると筋肉モリモリの間男が開き直っているところとか、殺し屋に誤射されたのに「ムシに刺された」と騒ぐデブのババァとか、やたらとためて勿体振る演出とか、ゲラゲラ笑いました。本筋とは関係ないじゃん。その無駄な感じが良いです。
はじめに出てきた爆笑しまくる老夫婦が、まさかあんな形で再登場するとは!まさに精神病的な作家にしか描けない表現。インパクトありました。
物語を牽引する主人公2人が美しくて良かったです。これも飽きずに観れた理由のひとつですね。
リサを演じたローラ・ハリングがエレガントでゴージャス、超セクシー。赤のインナーとかも最高に妖艶でした。ベティ演じるナオミ・ワッツも綺麗な人なので、視覚的に楽しめました
「デヴィッド・リンチの映画」特集上映
奇妙な物語
玄人向けの映画
「わかりにくさ」も意図して
記憶にすり込まれる、ようなインパクトを持った作品。整理されたストーリーではないけれど、感情を揺さぶられる場面が随所に織り込まれています。
序盤から中盤までの展開は独特なテンポのサスペンスタッチで、深夜の劇場のシーンを期に抽象的な描写へと大きくシフトする。
その後を「謎解き」と思って見ていると、更に混乱を招くかのように、より深淵へと突き落とされる。付いていこうとすると喉をかっ切られます。
「わかりにくさ」も意図してでしょうし、安易に立ち入れない、距離を感じます。
リンチ監督の中でのこの作品の立ち位置は「懺悔」でいいんでしょうか。ある女優の成功の影には必ず「夢」を殺された「女優」もいるわけで。カウボーイのセリフはまさに自身に向けられた呵責の念では。「彼女だ」と断言することで、大きく左右される運命があることを「考えようともしない(しなかった)」と。
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