結婚ゲームのレビュー・感想・評価
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バート・レイノルズの肉体を借りたパクラ監督の男性自立の不甲斐なさの喜劇
ニューシネマ以後のアメリカ映画の特徴は、ベトナム後遺症による男性社会の自信喪失を描く一方で、女性運動から社会進出に移行した女性映画の躍進が顕著になる。アメリカ映画が持っている現実を反映したリアリティーの率直さゆえに、その社会思想のメッセージはこれからの時代変化の示唆を与えてくれる。人生に悩んだらヨーロッパ映画の普遍的な主題の作品を観ればいいし、これからの社会がどう変わるか知りたかったら新しいアメリカ映画を観ればいい。それをあくまで娯楽映画の親しみ易さに包み込んで提供する強かさが、アメリカ映画の良さであり面白さであろう。そんな思いでロバート・ベントンの「クレイマー、クレイマー」を興味深く観ることが出来たし、映画の完成度の高さに感心もした。ところが、今度のアラン・J・パクラの新作を観て先ず驚いたのは、男性が余りにも頼りないことだった。男女関係から男の立場が完全に抜け落ちていて、その孤独感がリアルに描かれ過ぎている。風刺を込めたコメディ映画としてもだ。作者の本音を心配するくらいに。第一筋肉逞しく意志強固なイメージスターのバート・レイノルズが一方的に妻のキャンデス・バーゲンに棄てられ、ひとり虚しく独身生活に戻れば婚期を逃したジル・クレイバーグとの恋に何だかんだと悩む姿は、悲劇以上に無残だ。パクラ監督は、レイノルズの肉体を借りて、徹底的にダラシナイ男の無駄な嘆きを描いている。ギャップの面白さを狙ったキャスティングであり、レイノルズのアクション俳優だけに満足しない野心もあるだろう。バーゲンとクレイバーグ二人の女優との演技の相性も悪くはないし、十分に主人公を演じ切ってはいる。女性の自立に対して男性の自立の不甲斐なさ。主人公を笑っているうちに、その奥にある男の本質を想像すると、これからの男女関係はどうもすんなりと行かないだろうと不安にさせる。ただし、結末の決着の仕方が古風すぎて、男性より女性に対して失礼ではないかと思った。そこに作劇のルーティンが左右したならば、パクラ監督の制作意図はあくまで冗談だったのかと、妙にしらけさせるものだった。
妻に棄てられた男が新たな女性とめでたく結ばれるまでの古風なストーリーを今日の感覚と男側のダメっぷりで見せたアラン・J・パクラの野心作だが、狙ったものがルーティン通りの落ち着きに負けてしまった力量不足が惜しく、残念でならないアメリカ映画。
1980年 6月15日 みゆき座
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