ディパーテッド : 特集
取材後記~マーティン・スコセッシ監督を取材して
(佐藤睦雄)
前日の記者会見での“爆弾発言”を受けてその真意を訊いてみたが、わずか10分間という少ない持ち時間の中で、たくさん訊くことができた。それにしても、なんという早口、なんという饒舌だろうか。
彼の怒りの原因はやりたくなかった仕事への嫌悪感から生じたものだろう。それは、リメイクだったからか。続編あるいはリメイクのようなかたちで映画化した「ハスラー2」も、「ケープ・フィアー」も、そしてこの「ディパーテッド」も、興行成績的に他の作品に比べていい、という事実が、彼を“怒り”に向かわせたのだろうと思う。(スタジオがあてがった)ジャック・ニコルソンについて質問すると、終始笑顔を絶やさなかったものの、彼が年上であることもあるだろうが、彼だけファーストネームで呼ぶことはなかった。彼がスコセッシ監督の意向を無視して、自分なりの演技プランで演技してしまったことにも、忸怩たる思いを感じているのだろう。
また、忘れてはならないのは、この「ディパーテッド」がかつてのスタジオシステムにおける“プログラム・ピクチャー”のようなB級映画の精神で引き受けた仕事であるにも関わらず、これまで一度も受賞できなかったオスカー(アカデミー監督賞)の最有力になっていることに運命的な皮肉も感じる。彼が語った神父のエピソードは、純粋に映画を愛する男としてのある種のいらだちを物語る。
今年はいよいよ、遠藤周作の「沈黙」の映画化に着手するようだ。編集に1年近くかけるスコセッシ監督のことだから、完成は08年だろうか。配役について具体的な名前を挙げると、企画が流れるという迷信を理由に、具体的な名前を出さなかったが、「アビエイター」の時、主役のロドリゴ神父役について同じ質問をしたとき、「ジョニー・デップやレオナルド・ディカプリオが興味をもっている」と答えている。それ以前の「クンドゥン」のとき、ディーン・マーティンの伝記映画のプロジェクト「Dino」の話を聞いたことがあるが、その主役に「トム・ハンクス」という名前を出したら、案の定企画が流れてしまったので、デップやディカプリオのファンはじっと静観していようではないか。
その「沈黙」にしても、71年に篠田正浩監督により松竹で映画化(共同脚本は遠藤周作)された、いわばリメイクなのだが(笑)、グレアム・グリーンをして「20世紀最高のキリスト教文学でもっとも重要な作品」といわしめた、英語訳もされた文学から、純粋に「映画化したい」と出発したもので、すでに「クンドゥン」の時、ぼくに具体的な構想を明かしてくれている。彼がもっとも興味を惹かれるカソリックの教義に踏み込んだ作品であり、篠田版とは違った色合いになるだろう。とことん惚れ抜いた題材だけに、映画製作中、“怒り”を感じることはまずないだろうと思う。