「私にとっては大事なところを描いていない作品」アフター・ザ・ハント MJ23さんの映画レビュー(感想・評価)
私にとっては大事なところを描いていない作品
観てストレス、終わってストレスの作品
心理ドラマを謳っているが、心理ドラマではない。
心理ドラマの醍醐味は「窮地に立たされた人間が、どのような知略や犠牲を払って這い上がるか」という過程にあるのだが、この部分は「5年後」というテロップがほんの少し表示されて終わるという、詳細は自分でAIで調べてくださいといった構成。
タイトルに書いたように、最後、なぜこのような結果・解決が出来たのかを記す場面が1秒も描写されない。仕事の成果物でこれを出されたら、即座に突っ返すレベルの作品。
ストーリー性が無い一方で、芸術性も無い。そして社会性も無い。
美しかったころのジュリア・ロバーツ(主人公アルマを演じる)をスクリーンで観てきた人には、「彼女の顔を流すことだけが、この映画の目的だった」と許容できるかもしれない作品。
多くの人には時間がもったいないだけなので、ありていに書きました。
私の勘違いかと思いUSを中心とする論評を見ましたが、見事に低評価ばかりです。
私は12人に紹介し、9人が「時間の無駄」と評価、3人は次々と上がる「時間の無駄」という評価に最後まで鑑賞せずに終わりました。
以下、ネタバレ&疑問・私の印象
1.イェール大学で心理学や哲学を教える者(主人公アルマとその愛人男性ハンク)が、学生がハメたことに苦悩(人間関係が壊れたり、職を失うなど)するストーリー。
学生がどうハメたのか?
→ 主人公の愛人が、自分をレイプしたという狂言を起こす。
その動機は、同性愛者の学生が、アルマに恋愛感情あるいは母性を求めていたこと。
2.2時間近くかけて描かれた苦悩は、意外なことで解決した様子。
主人公アルマは、自分のダークな過去を告白することで(関心の矛先を変えたかなにかして→詳細は誰にも不明)解決したと思われる。
ダークな告白
主人公自身が学生時代と思われる頃に捨てられた元恋人に対し、未成年女性への性的事件をデッチ挙げて、その4年後だかに元恋人は社会的信用を失い、孤立して自殺に追い込むことをやっている。
どうやら、このことを告白することで社会的反響を呼んで、自分のトラブルから解放され・・・という展開だと思われることを、この主人公とハメた女学生の飲食店での会話で終えたところでこの映画は終わる。
3.この主人公は、この過去での告白で会的巻き返しを図り、最終的にはイエール大学の学部長に就任する。
どう巻き返しが成功したのか、この部分の描写は1秒すらない。
主人公は哲学を教えていたはずで、哲学というカテゴリーで、他人を自殺に追いやった人間が学部長になれるという事実に驚きました。私の職場にもいるイエール大卒2名の感想としては、「こんなク〇女が学生なり学部長として生きていけるような学校とは思わないで欲しい」などと弁解しておりました。可哀そうに。
4.この主人公の愛人男性ハンクが、学生にハメられるのだが、この男性自身は大学から追放される。そして、とうとう社会的信頼の回復は無かった様子。「(イエール大学で教えていたことを活かして)選挙参謀で稼いでいるから、めでたしめでたし」とハメられた主人公とハメた学生は笑顔で語っている。
5.ハメた学生は、この主人公と愛人男性に全く悪気を感じさせない驚くべき人間性の持主(ハメている期間だけでなく、その後、トラブルの終息後にも悪いとは思っていない)。
この学生と、主人公が最後に談笑して自分たちの現在を前向きに語り合うシーンは、結局は同類同志にのみ理解できす心理。こんなもの、心理ドラマとは言わない。
6.愛人男性は、大学からは追放されたが、その後、選挙活動の参謀的ポジションで成功しているということが、主人公とハメた大学生との間との飲食店での会話で語られる。
成功したから、それで良かったとしている表情を(トラブル時には対立した)2人は見せており、暗い過去とは考えていない。
7.主人公は、ジュリア・ロバーツ。劇中、主人公は「女性を売ることで出世する奴」を話題にした学生や同僚?に対して怒りを見せるシーンが2度ある。こてんぱんに論理的に追い詰めるという場面があるのだが・・・結局は、そういう女だったからあそこまでやったのだと視察した。
この主人公、ジュリア・ロバーツという美人が演じているから映像を見ることができる。
主人公の生き方も、この映画の成立条件も、「醜悪ではなさそうな白人美人」が演じているから成立するという内容。これを皮肉として送りだしているのであれば、業界に対する心理ドラマとしては成り立つのかもしれない。
8.ハメた学生(女)は、大学に極めて多額の寄付が行える超富裕層出身の黒人女性。
これもまた、人種差別的。
たしかに経済的な成功を収める黒人も多くなってこそいるが、比率的にはやはり白人が圧倒的に多く、なぜ黒人にしたのか・・・悪意すら感じる。
なぜ悪意を感じるかというと、この学生は、デッチ挙げ事件を終えた5年後にも、後悔やお詫びの気持ちを見せることなく、悪びれていないため。
こんな嫌な女は、白人女性では成立しなかったのか?と疑問に思う。
監督(ルカ・グァダニーノ)は、あえて「黒人の特権階級」にすることで、「マイノリティという属性さえあれば、これほど醜悪なことをしても守られるのだ」という極めて攻撃的なメッセージを込めた可能性(皮肉)を込めたように私には感じます。
本来、心理ドラマであれば「なぜ彼女はそこまでしてハメたのか」という心の機微を描くものですが、それを描かずに「超富裕層(かつマイノリティ)の黒人だから守られた」としか見えない。それって、人種や階級という属性で思考停止している証拠だし、あまりにも怠慢。そして悪意。この心理がわからない人が、映画を作っているとも思わない。
『女神の見えざる手』、『偽りなき者』、こういう作品を観てから作るべきだと思う。
あまりにも酷い作品だった。
#3の描写が無い以上、この映画は「時間の無駄」としか私は評価できない。
最後となりますが、私は「視聴者の時間を奪っただけの、ひじょうに酷すぎる作品」にしかコメントはしません。観て楽しむものが作品だからです。
ウケなどを狙はず、単なる駄作ではなく、「人の時間を何だと思っているんだ?」という作品を批評します。あとは、修正史観だとか人権などへの偏見を感じるものだけコメントします。逆に言うと、書くのは相当に酷かったものと思ってください。
毎日1~2本は観ています。
