劇場公開日 2007年3月30日

「戦火の子供達に捧げると」少年と砂漠のカフェ Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0戦火の子供達に捧げると

2024年10月10日
PCから投稿

Abolfazl Jalili (アボルファズル・ジャリリ)監督の映画を初めて鑑賞する。試写を探したが、わからない語学ばかりなので全部見なかったが、この主人公はアフガニスタンからのようだ。その言葉だけがわかった。
まず、英語か日本語の試写を見たい。文化背景が私と違うと、人間ドラマでも、文化に焦点がいってしまうので、映画の本題を見逃してしまう時がある。まず、生成AIに聞いて、日本語か英語の試写があるか探してみよう。

ChatGPT/Open AI の答え:I couldn't find an English trailer for "Delbaran" (2001) by Abolfazl Jalili. It seems that the film primarily has content available in Persian. If you’re looking for more information about the film or a specific aspect, let me know!

英語の試写はないんだね。二度ばかり、プロンプトを変えてみたが、結局生成AIの答えは同じ。日本語はなかった。まあ、いいや、映画を借りてみてみよう。

レビュー
戦火の子供達に捧げると最後に言葉がある。14歳のアフガンの戦争難民であるケイン。彼はイランとアフガンの国境であるDelbaranというところで、ある老人が経営している旅館兼ティーハウスでトラックの運転手たちの手伝いをしてる。使いぱしりやパンクを直すのを手伝ったりもする。
この村の人たちはケインを可愛がってくれるが、警察(ボーダーパトロール)はアフガン狩りをしていて、ケインを不法侵入者だと捕まえる。この村はアフガン・フリーだと公言しているが、村人の誰もが、彼の言葉を聞いていない。村は強盗、オピウムが蔓延っていて、戦争の爆音なども聞こえる。ケインはタリバン攻撃の戦火の中で母親を失った。それに、父親はタリバンと戦っていると。妹と祖母を置いて逃げてきたけど、彼の人生は医者の言葉によって、人間らしさを取り戻すのが見える。このシーンが好きだったので書き留める。ケインは医者に、彼がなぜここにいるかとか家族はとか聞かれるが、ケインの表情は今までの表情と全く違う。働いている彼は攻撃的で、相手との交渉より、相手を負かすために,
生きていくために、口論をしているようだ。カードをトラックの運転手たちとしてる時はdirty Afganといわれて、その仕返しにDirty Iranian といい、暴力に発展していく。しかし、医者との会話で、医者に妹が恋しくないかと問われ、彼は『Even if I do, it doesn't matter』と投げやりの返事をする。しかし、より対時により、彼の心が素直な口調になっていく。そして、感謝の言葉も言えるようになる。最後には Are you leaving? と悲しそうな言い方をする。Delbaran Innのお爺さんとお婆さんはケインを雇ってくれて、お婆さんは警察に『自分の息子だ』とも言ってくれるし、耳にも薬も塗ってくれるが、会話によって、ケインの心を開けてはくれていない。彼の過去である家族ことを聞き出して、琴線に触れることはなかった。だからこのシーンが良かった。

その反面、トラックが転落して本が撒き散らされたシーンがあるが、彼はその中で数冊本を取って抱えていたが、その本を読んだ様子はなかった。そこで、本を手に取って読み出さないかなと思ったが、ケインはペルシャ語の本が読めないよねと思ってもみた。
最後の道路に釘を巻くシーンだが、Delbaran Crossingが閉鎖されたわけだが、また、(そのショックかもしれない)お爺さんは亡くなってしまった。そうなると、商売は上がったりで、トラックの出入りがなくなるわけだ。誰も通らない道になぜ釘を巻くのか?車をパンクさせるつもりか?車が来ないのに?これが、ケインの少なくてもできる抵抗だったのか?彼は一人で、再び自分の道を探し求める旅に出る。どこへいくかわからないが、流れた詩により、ケインの道に光が見えた。

Socialjustice