私たちの過ちのレビュー・感想・評価
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違和感
私たちの過ち
2025年の作品
スペインのベストセラー小説の映画化
そして、「俺の過ち」 「君の過ち」に続く第3弾がこの作品のようだ。
あくまで恋愛にこだわり抜いた作品
運命というのか、使命というのか、恋愛が成就するまでの過程と人生の学びを重ね合わせながら、それぞれの成長を描いている。
しかし、
ニックとノアの恋愛は視聴者にとっての等身大ではなく、どこから見ても世界観が違いすぎ、それ故彼らの恋愛観が受け入れられない。
私の本心は、この映画を見たことを後悔している。
しかし見てしまったからにはレビューはする。
さて、
疑問点は、成長しきった大人でなければ恋愛は成就しないのか?
ニックとノア この二人はお互い惹かれ合いながらも、相手の浮気などがあり、それが許せなかったことで別れたものの、親友の「付添人計画」によって再会、再び燃え上がろうとする。
人は誰もそんな事がある。
それでも運命が両者を再会させることはあるのかもしれない。
しかし、過去の清算から人間的成長を、恋愛中の間に達成しなければならないということはない。
この描き方は、人間的に大人へと成長しなければ恋愛は成就しないと言っているように感じる。
また逆に、恋愛という誰もがすることを、まるで人生ゲームのように、そしてお金持ちだからできるゲームのように描いているのが、現実離れを感じ、共感ゾーンのグレイエリアにあるのが否めない。
それは、お金持ちであっても皆似たような経験をするということかも知れないが、お金持ちであるのが前提の恋愛ゲームにも取れる。
このお金持ちという部分と対象的なのが、ニックとノアという等身大の人間性で、この両面性は、映画「もしも徳川家康が総理大臣になったら」のようなファンタジーという「架空性」を浮かび上がらせる。
そう、この作品は、恋愛ファンタジーだと思う。
背景にあるニックの会社の経営方法による従業員の恨み ニックとブライアーの関係などの遺恨が事件というかたちで「清算」されるあたりはうまく作られている。
そしてやはり「恋愛」というのは千差万別であり、一括りできないことも多々あり、同じものはなく、まるで個性の塊だ。
その一つのケースを物語になることに問題はないが、恋愛ドラマと恋愛ファンタジーは一線を画す。
そしてこの物語は、「シンデレラ」と同じ構図で、恋愛ファンタジーに分類すべきように思う。
シンデレラのようなかつての「夢物語」は、今では古典となったのだろうか?
その古典を現代風にアレンジしたのがこの物語だろう。
決して悪いとは思わないが、私の後悔は、この歳になってシンデレラを読んでしまった違和感だった。
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