「みんなちがって、みんないい」サムシング・エクストラ! やさしい泥棒のゆかいな逃避行 ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
みんなちがって、みんないい
現代のポリコレに慣れきった目で見ると、「結構ギリギリを攻めるなあ」「笑っていいのかこれ?」と思う瞬間もチラホラあった。
だが、鑑賞後にパンフレットで知ったアルテュス監督のこの言葉に、はっとした。
「私は彼ら”と”映画を作りたかったのであって、彼ら”について”の映画を作りたかったわけではありません。この映画は障がいそのものがテーマではないのです」
ああそうか、私は「配慮がなければ」という先入観のもと、無意識のうちに腫れ物を触るような目で彼らを見てしまっていたのかもしれない。そうした態度は、もしかしたら当事者の目には憐れみとして映り、かえって彼らを傷つけるのかもしれない。
宝石店へ強盗に入ったパウロ・ルシアン親子。逃走用の車をレッカーされてしまい、どさくさに紛れて障がい者たちのサマーキャンプに潜り込む。ここでパウロはまだ来ていなかったシルヴァンを装い、障がい者のふりをする。
まず障がい者の真似というところについつい際どさを感じてしまったが、パウロたちは逃亡に必死になった結果そういうことをしただけで、障がいを見下すといった意味の悪意はない。
主演も務めたアルテュス監督はフランスでは有名なコメディアンで、ダウン症の若者「シルヴァン」のキャラはもともと彼の代表的な持ちネタだそうだ。彼は障がい者への偏見やタブーをなくすためにこのキャラを演じ、パリパラリンピックではアンバサダーを務めるなどフランス国内でも受け入れられている。
監督はインタビューでこうも述べている。
「私がはっきり示したかったのは、障がいのある人に求められる以上に周囲が合わせる必要はないということです。配慮からの行動が、かえって人を傷つけてしまうこともあります」
時にぶっきらぼうなほど「普通に」接したからこそ、パウロとルシアンは施設の彼らに受け入れられたのだろう。
粘土細工で鉤十字(に見える何か)を作ってユダヤ教徒のギャッドにあげようとするところや、がっつり男性器を作るところは笑ってしまった。タブーに縛られない彼らの自由さは、時にハラハラするが、ちょっと爽快だ。
施設の職員もそれぞれ個性的で、決して完璧な大人ではない。障がい者も健常者も、同じように当たり前に完璧ではない人間同士が、身の回りのことをフォローしたり元気をもらったりしながら支え合って生きている、そんな関係性がそこにはあった。
パウロはどこか父に逆らえずに犯罪者になっているふしがあったが、こういったコミュニティと共に過ごしたことで人間的な感情が戻ってきたのかもしれない。
「本物のシルヴァン」が学生のツアーに紛れ込んですっかり打ち解けていたのも微笑ましく、健常者と障がい者の境目というのは捉え方や社会のあり方次第では曖昧にできるものなのかもしれないという希望を感じさせた。
また、彼らの旅行先のロケ地、中央フランスのオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地方の風景がとても美しく開放的で、物語の雰囲気を明るくしてくれた。
惜しかった点として、パウロの裁判に施設のメンバーが押しかけるシーンはちょっとベタだった。あれで「いい人だから」みたいな理由で情状酌量を求めるのはちょっと違うよね、と野暮なことを思ってしまった。
冒頭でパウロたちがやらかしたことが、客もいる真昼間の宝石店を襲撃するというかなり暴力的な犯罪で、そのインパクトがこの違和感に影響した気がする。あれが見た目的にもうちょっと穏やかな空き巣とか(やられた側にとっては全く穏やかではないけれど)、あるいは無銭飲食などの微罪(やられた側に以下同文)であれば法廷シーンにもうちょっと感情移入出来たかもしれない。(物語のつかみとしては弱くなるけど……)
とはいえ、人間の寛容さへの希望を描き、クリスマスの風景とキャストのとびきりの笑顔で終わるやさしい夢のような本作は、今の時期に観るのにぴったりな映画ではないだろうか。
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