ダ・ヴィンチ・コードのレビュー・感想・評価
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歴史の謎を活かしきれない惜しさ。
⚪︎作品全体
宗教や陰謀、歴史とその影。題材そのものは惹かれるものばかりだし、「最後の晩餐」に隠された真実を紐解く場面は、知的好奇心を刺激するシークエンスとして強く印象に残った。
だがその後、映画はアクションと逃走劇に重心を置き、ソフィーの過去を語る静的な場面が繰り返されることで、サスペンスとしての緊張感が散漫になる。
問題は、映画が「美術・歴史の謎をめぐる知的探検」と「追われるスリル」の二つを同時に抱えながら、そのバランスを崩したことにある。謎解きの高揚感が持続しないまま、物語が「動」から「語り」へと繰り返し立ち止まるたび、テンポの歯車が噛み合わない。原作の面白さを活かしきれず、ロン・ハワード監督らしい大作感だけが前に出てしまった印象を受ける。
サスペンスのわかりやすい緊張感を優先していることはなんとなくわかる。だが、『ダ・ヴィンチ・コード』という作品と、それを観にくる観客が本当に求めているものは、決して「追跡劇」ではないはずだ。
歴史や宗教という教養を土台に、そこに謎を肉付けしたからこそ、この物語は特別な存在になれた。その核を置き去りにしてしまえば、「警察に追われる主人公」「特別な血筋を持つヒロイン」という、どこにでもある物語にしかなり得ない。
知的好奇心を煽る前半が輝くだけに、後半でその光が少しずつ薄れてしまうのが惜しい。
歴史と宗教を掘り下げる、その題材の強みをもっと前に押し出せば、この映画は単なるサスペンスではなく、「この作品だからこそ」と言える一本になれたはずだ。
そこに踏み込まなかったことが、何より残念でならない。
⚪︎カメラワークとか
・序盤のルーブル美術館のトイレ、ソフィーと合流するカットの鏡の使い方はシンプルにカッコよかった。
⚪︎その他
・アサシンクリードをやってたからテンプル騎士団とかダヴィンチとかリンゴとか絵画に隠された事実とか…刺さる要素が多かった。だからこそ最後の晩餐のところは本当にワクワクしたんだけど….
味気ないミステリー‼️
壮麗な城や教会、ルーブル美術館、そしてトム・ハンクスと、"アメリ" オドレイ・トトゥなど、ヒジョーにゴージャスな作品ですね‼️ルーブル美術館の館長が殺され、その館長が残した謎を解くため、孫であるソフィーとハーバード大学の宗教学者、ロバート・ラングドンの冒険が始まる・・・‼️この作品ほど楽しくないミステリー映画も他にないでしょう‼️ダン・ブラウンの原作は謎解きの魅力がすべてなのに、映画版は謎解きをテンポ良く早々に終わらせ、ラングドンとソフィーの追いつ終われつのハラハラしない冒険、そしてポール・ベタニー扮するシラスの異常ぶりばかりが目立つ低俗な作品となってしまってる‼️そしてトム・ハンクス扮するロバート・ラングドン‼️人間的な深みがほとんど無いこの大学教授は、変なヘアスタイルのせいもあって、笑いのタネにしかなってない‼️せめて原作みたいにラングドンとソフィーにロマンスが生まれる気配くらいあってもいいんでしょうけど・・・‼️
ドナテッロ作『マグダラのマリア』
『フィレンツェ大聖堂付属美術館』へ
2024年9月2日(月曜日)『ドナテッロ』の『マグダラのマリア』を見に行く予定でいた。9月1日.9月2日.9月3日の予定でフィレンツェに滞在したが、ウフィツィ美術館が月曜日休みだったので、その日に『マグダラのマリア』を見に行く予定でいた。一方で9月3日火曜日『フィレンツェ大聖堂付属美術館』が休みだった。さて、やっと『マグダラのマリア』が見られると思いワクワク気分で、9月1日の夜はワインを飲み過ぎ酩酊してしまった。さてさて、翌朝起きると財布がない。HOTELのテラスで飲んだので、財布をすられた様だ。
さてさてさて、マグダラのマリアどころではなくなった。クレカを止め、イタリア警察へ。僕はイタリア語どころか英語もままならない。
『マンマ・ミーア』であった。
『マグダラのマリア』は、この原作を二十年前に読んで、フィクションとして憧れていた。つまり、この事件で、二十年の思いが瓦解したのだ。また、フィレンツェが何故3日なのかは、翌日ミラノへ『最後の晩餐』を見に行く予定だったからで、それもこの映画鑑賞が動機の一つになっている。
原作本は良かった。上下を僅か4日で読んだ。
映画はどうかなぁ?
原作もそうだったか?
ネタバレありあり。以下読むとネタバレ。
イエス・キリストは人間と言う事になる。それはカトリック教会が認める訳が無い。また、最初に『白貂を抱く貴婦人』が登場するが、ルーブル美術館所蔵ではない。ポーランド、クラクフの国立美術館所蔵である。だから、同じ旅でクラクフへもそれを見に行った。
映画の内容は兎も角、21世紀初頭に今日の僕の目標が、この映画で、できたのかもしれない。サァ、『マグダラのマリア』はどうしたものか。
追記
最初に登場するのは「ミラノの貴婦人の肖像」でした。
ルーブル美術館のDENONのイタリア絵画コーナーにあります。謹んで訂正いたします。
2025年1月23日10時33分
歴史的建造物が多く登場し常識を覆す内容だから好き
キリスト教の闇に切り込んでいる。
劇中でのバチカンに怒られる旨の言及が興味深い。
頭脳明晰で気難しい教授(トム・ハンクス)とリー・ティービング(イアン・マッケラン)は頑固だが知的でチャーミングなところもある魅力的なキャラクター。
カーアクションの他、ジェット機での逃亡シーンもあり迫力と没入感がある。
ロケ地はルーブル美術館&パリとロンドンで、歴史的建造物が多く登場して見ごたえがあった。
ルーブル美術館のトイレも見ることができ視覚的な面での満足度は高い。
筒状容器「クリプテックス」をいとも簡単に開けてしまい驚いた。
ちなみに初回限定盤DVDに付いているクリプテックスのレプリカはAPPLEでは開かない。
今作は視聴者が登場人物と一緒に謎解きを楽しむタイプの映画ではない。
マグダラのマリアとイエスとの間に出来た血族の末裔を守る話。
ジャン・レノ扮するフランス警察に追われながら黒幕に辿り着く。
ソフィー(オドレイ・トトゥ)は今後どう生きるのだろう。
イエスが娼婦を孕ませたという説。
カトリックのマリア崇拝も、イエスの母と思わせておいて実はマグダラのマリアを崇拝している可能性など、インスピレーションが刺激されて面白い。
レオナルド・ダ・ヴィンチ作品に隠されている暗号の信ぴょう性はどのように証明できるのだろう。
ソフィーが本物のイエスの血族であるという明らかな証拠があれば5点満点の最高傑作だった。惜しい。
理解力低いし、知識がないから途中よくわかってなかった。
ソフィーがキリストの末裔って事で話しが進んでるもんだとばっかり思って観てたら、途中でそれが明かされてびっくり!みたいなシーンがあって、逆に今までソフィーはなんだと思われてたのかよくわかってなかったなって感じだった。
観終わって、解説読んでやっと色々理解した。
キリストが人間だって説で、そりゃそうでしょうよって信者じゃない私からすれば思っちゃうけど、それって正統派からしたら異端なんだね。神だって信じてるんだもんね。
わたしがそう思っちゃうのは、仏教の影響があるからかな?
上映禁止になったりした国もあるらしい。やっぱり何でも宗教が絡むと、話しがややこしくなりがちだなぁって、無宗教の身からすると思っちゃう。
つか、儀式のシーン見たらアイズ ワイド シャット思い出した。
観ながら理解するのはほぼムリだけど
ラングドン教授の専門としている、宗教象徴学とは何か。ざっくり言うと、何が描かれているか?描かれている物に付加されている意味は何か?そして作者の意図は何か?を読み解く学問だ。
暗号を解くのに相応しい学問と言えなくもない。
「ダ・ヴィンチ・コード」はダ・ヴィンチの絵画に隠された謎を解き明かし、現代に起こった殺人事件の解決を目指すミステリーで、普通のミステリーとしても楽しめる。
一方で、物語の本質に迫ろうとするならば、ラングドン教授の手法に乗っ取り、「その意味するところ」を解かなければならないだろう。
もろもろ考えることが多い、という点でもこの映画は面白い。
ラングドン教授の手法に則ってこの作品を捉え直すならば、謎解きミステリーの体裁は、誰が見ても明白な作品の表層理解である。
そして、その意味するところという作品に直接描かれない知識補完を必要とする領域(映画ではわりと丁寧に説明されているが)として、キリストの神性を問う物語が描かれる。
聖杯を巡る攻防は三つ巴の争いだ。「聖杯」が何なのかは知らないが、それを手中に収めることでキリストの人智を超えた力を証明しようとするオプス・デイ。「聖杯」が何を示すのかを突き止め、それを白日のもとに晒すことで現在までの欺瞞を暴こうとするリー博士。「聖杯」の在りかを知っていて、秘匿することで血脈を守ろうとするシオン教会。
それぞれの目論見が一致している部分としていない部分が混ざりあう為に事件は起き、ラングドンとソフィーは巻き込まれるのである。
オプス・デイとシオン教会と博士、それぞれが考える「聖杯」の記号的意味は相容れないものであり、具体的に言ってしまえば「キリストは神か?人か?」という価値観の問題である。
この事件の裏で進行している出来事とは「自分達の価値観を守るための戦争」なのである。
ラングドン教授が巻き込まれたのも、その意味性を考えれば当然のことだ。彼が専門としているのは一般的な意味を失った古い記号と、現代に流通する記号の連続性や歴史の研究であり、一見して意味の掴めないものから意味を読み解く研究をしている人物なのだ。
現在一般的とされている記号、すなわち常識を覆す力を、ラングドン教授は持っている。
そこから更にもう1つ掘り下げて考えるならば、この物語で真に表現されていることとは以下の三点に集約できる。
一般的とされている記号の認識を「常識」とするならば、「常識」は長年の教育(思い込みや願望を含む)によって形成されたものに過ぎず、たった1つの「常識」が大きく変革することによって現在の世界が受ける影響は甚大で、「常識」の持つ脆さという問題は無視されたまま世界の根本を形成している、という恐ろしい事実だ。
乱暴に言うと、長いこと正しいとされてきたことは別に正しくもなんともなく、それが間違いだとすればあっちもこっちも間違ってることになり、しかもその根拠はあやふやなのが私たちの住んでいる世界、ということだ。
常識は、そんな脆いものの上に作られている。
そう考えると結局は「何を信じるか」が全てなんだな。そして、どうして信じるか?を導くために、やっぱり知識は多い方がいい。
「ダ・ヴィンチ・コード」観てそんな事を考えてるのは、私だけかもしれないが。
最後に。
ラングドン教授がこの三つ巴の中で、中立であり続けたラストシーンは素晴らしいと思う。
オプス・デイの思惑通り「聖杯」を探し出し、シオン教会の願い通りソフィーを守り、リーの言った通りマグダラのマリアの棺に祈りを捧げたのである。
ラングドン教授が読み解いた末に信じるものとして選びとったのは、「人と争ってはいけない」という、歴史の教えなのだろうと思う。
タブーに迫るミステリー最高傑作の待望の映像化。
ハーバード大学の宗教象徴学のラングドン教授。
もともと会う約束をしていたルーブル美術館の館長が殺されたことで、彼を殺害したという嫌疑をかけられるところから物語がスタートする。
結末については物議を醸すものだ。
正直、タブーを突くなぁとは思いつつ、
一方で、本当のことはどうであれ某宗教に対して見る目が変わったとかそういうことは毛頭ない。
地場の因習や感銘を受けた人の心の拠り所だからこそ、それを争いの契機にするのはなんか不本意じゃないかというのが私の意見だ。
宗教は真理の証明なのかもしれないが、縄張り争いに利用されるものではない。発起人のひとつの思想の形態だ。
そして、歴史というのはわからない面積が多いからこそ面白みがあり、ロマンを感じるのだ。
ああでもないこうでもないと。
テーマは壮大だが、もう少しラフにはいかないか。むずかしいな。
絶対的なのだから従えというのはいささか乱暴だと考える一方で、実際に奇跡の人は存在したという願望に近い妄想もあったりする。
ラングドン教授が幼少期の絶体絶命の時に祈りを捧げたように。
続編の「天使と悪魔」や「インフェルノ」はやや刺激的な趣のある作品となっていくのだが、本作は裏切りやどんでん返しはあるものの三部作の中では比較的穏やかで神秘的なラストだったと私は感じた。
本作を通じて、西洋の建築・彫刻・絵画の三位一体の美や巧に魅了される契機になった。
正当性なんかどうだっていい、ただ眺めてみたらと。
そうすれば争いの火種はひとつ消えそうだと思うのは楽観的すぎるか?
実は胸糞バッドエンド
"マスターキートンを演じて欲しい俳優NO.1"トムハンクス演じるロバートラングドン、その冒険を描くシリーズ第一作。
一見神を信じてない風の主人公がラストにはなんとなく神についていい感じのことを伝えてくれるありがたいお話。
宗教っていいね!
まぁ冗談は置いといて、本作に気味の悪さを感じたのは俺だけだろうか?
やたらケツをみせるポールペタニー。
急所を撃たれてもやたらダイングメッセージを残した挙句、「ペタニーに負けてねぇ、俺のも見ろ」と言わんばかりの全裸をキメる絶倫ジジイ(さすが精命力がお強いようで)
とまぁメタな意味合いの気味悪さではなく。
ストーリー上大きな鍵を握るシオン修道会。その組織が行う秘密の儀式。作中では「男女の交わりが神聖な力を・・・」といってるがようはセックスパーティーですな。しかも、劇中では上述の絶倫ジジイが参加してる様子が克明に描かれている。
本ストーリーはそんな怪しさが反物質爆発を起こしてる組織にヒロインのソフィーが保護されるところで幕を閉じる。
これって良い結末だと思いますか?
自分は原作未読だけど、どうやら劇中の儀式で抱かれていたのはラストでソフィーに祖母だと名乗った女性らしい。ということは彼女も王家の血でその血を継ぐ者が儀式に参加する、ということは?
ラストのシオン修道会の面々はやたら強面の屈強な男達が多かったが、ソフィーは彼等と儀式を行うことになるのか?
彼女自身、夜のブローニュの森に状況が状況とはいえ、躊躇なく入っていくあたりもしかしたら割とそういうのOKな感じかも(でも子供の頃儀式見て逃げてるしなー)
とりあえず普通なら「逃げてぇー」って状況でしょう。
こう考えるとラングドンが別れ際に言った「幸運を」という言葉とあの表情も単なるエンディングとは別の意味を持ってくる気がします。
雑に調べただけだし、原作ちゃんと読んだ人からすると「ダンカン間違ってるぞこの野郎!」って言われるかもしらんがそれならそれで嬉しいね。
胸糞ではあるけどフランス観光が面白かったので星3です。
謎解きの至高
ルーブル美術館の館長が殺され、その日呼び出されていたハーバードの教授がその容疑者として警察に追われてながらも真犯人を探す話。
スケールがとてつもなく大きい。時代や宗教まで超えてしまう作品は少ない。それに実在する芸術作品や観光名所まで登場するので置いてきぼりにされない。
物語が目まぐるしく展開し、話に引き込まれる。ラスト30分でオチが3回来て鳥肌立った。最後にラングドンがソフィーに「神のご加護を。」って一言放った場面に彼の気持ちが集約されてた。
無宗教の我々日本人が思うよりも深く宗教って人の思想の根っこを作っているかもしれないし、教養として基本的な考えを知っておいた方がいいかも知れない。
ソフィーが無神論者やったってのがまた。
何度も止めてメモしながら見た
何度も止めてメモしながら見た。。
しかし劇場で見たら何のことだか分かんないだろうな。。
多分メモ+静止でも大筋は理解できたが、
きっと細かなところはわかってない気がする。
本で読んだほうがいいのかもしれない。
特に暗号解読とかはサラッと流す感じになっちゃうしね。
イエスの血脈が2000年もの間受け継がれてきたって設定は面白いと思う。
色んな謎解きもこじつけなのか、どうなのかはわからないけど説得力あって
推理小説とか嫌いな自分でも納得できる謎解きだった。
数年前一回見たからイエスの血脈という落ちは分かったいたけど
ほかは大体理解してなかったのと忘れてた。
他のシリーズもぜひ見てみたいけど、
一回で理解できないような内容って映画としてどうなのかな?
と思っている。
そう言えばソニエールだっけ?あの人撃たれてから暗号書いて
裸で死ぬとか余裕ありすぎじゃない?早く救急車呼べば助かったよ、絶対😅
ラストでの伏線回収が見事
世界史をより深く理解したくて観ました。
私は複雑な内容の物語を追うのが苦手なので、簡単な人間関係図などをメモしながら観たのですが…いや〜難しい! 登場人物も多く、序盤で名前と顔を一致させるのにも一苦労でした。 それに2時間越えの尺ということもあり、VODやレンタルビデオで巻き戻しながら考察を立てつつ、休憩も挟みつつ観るのが良いなと思いました。
見終えてまず浮かんだ感想としては、タイトルの通り非常に鮮やかな伏線回収に驚かされました。 冒頭でのルーブル美術館内での会話や中盤でシラスが走っていく際での地面のアップなど、細かなシーンや会話もラストで重要な役割を果たす伏線となるので画面から目が離せませんでした。
監督が「原作の小説(私は未読です)よりも車の運転の動きをダイナミックに表現することで映画らしくした」的なことを仰っていたそうですが、ガタガタ運転してシーンに限らず「仲間だと思わせておいてからの裏切り」が多すぎて終始いつ襲撃されるんだろうかとハラハラさせられ、そういった意味合いでも緊張感のある作品なのではないでしょうか。
冒頭で述べたように私は世界史の勉強中なのですが、ローマ・カトリック時代における「教皇は太陽、皇帝は月」と謳われた権力構造や3世紀に渡る魔女狩り、コンスタンティヌス帝やニケーア公会議といった授業で扱った内容の裏側での、キリストや彼を巡る宗派同士の血生臭い争いの様子などがしっかり描かれていて他の方のレビューにもあったように、物語として一連の歴史上の宗教に関する対立を綺麗に繋いで成立させている構成力に脱帽しました。 また、この映画がルーブル美術館から始まりルーブル美術館で終結することからも伺えるように、ダ・ヴィンチ作品のオマージュがストーリー上に散りばめられているらしいのも面白かったです。美術に造詣の深くない私でも、作中での「最後の晩餐」の斬新な解釈にはなるほど、と思わざるを得ませんでした。
それと最後に話の主軸からは逸れてしまうのですが、ロバートとソフィーが最後にお互いを「イエスと聖杯を守る騎士」に喩えて微笑むシーンも印象的でした。 二人とも幼少期に暗い思い出を抱えながらも支え合える関係が素晴らしいなと思うと同時に、二人の関係は今回事件を解決する上でのバディであり、それを超えた男女関係に持ち込むことなく綺麗に終わってくれたのが個人的に嬉しかったです。
シリーズの続編にあたる「天使と悪魔」、「インフェルノ」も近いうちに観てみたいと思います。
歴史ミステリー、陰謀論的な面白さ
キリスト教では無いけど2000年(劇中の話では1700年前位に決まった設定らしい)以上続いている教義が覆されたら、衝撃というか世界中大混乱でしょうよ。
隠蔽する方も未来永劫続く大変な作業だろうし、明かそうとする方も明かしたところで劇中にもあったけど信者が何を信じるかってことで、果たして報われるのか?と。
調べてないのですべて実在するのか知らんけど、様々なシンボルや建築物や教会を結びつけてここまで「然もありなん」な物語を作った原作者もすごいなと。
ただ、そこまで中核をなしてる訳でもないので「ダヴィンチコード」っていうタイトルは違和感あったけど。
それにしても彼の方の血脈だったら重圧感ハンパ無いっすよね⁉︎
本を読み返すような映画鑑賞になった
当時流行った映画(原作)というのは知っていたけれど、原作は読んでおらず、敷居が高くて近寄れなかったのですが、たまたま、間違えて、『インフェルノ』を観てしまい(『ザ・インフェルノ』というスリラー映画と間違った…苦笑)、『インフェルノ』はあの、『ダ・ヴィンチ・コード』の2作目だということを知り、1作目の『ダ・ヴィンチ・コード』を慌てて観た次第です。
どこかのレビューで「原作未読でも楽しめる作品」とあったのですが、よそ見はできず、かなり集中力を要求されました。自宅にて観たのですが(動画サイト)、専門用語が多く字幕についていくのが大変で、10回以上、一時停止やら巻き戻しして、メモをとったりで、文字面を確認してストーリーを追うのに必死でした。映画館で観ていたら、かなり最初の部分で置いてけぼりになっていたと思います。原作未読でキリスト教にさほど興味があるわけでもなく、劇場などでサラッと1回観て、「なかなか楽しめた」という方がいたら、尊敬してしまいます。
とはいっても、謎解きのストーリーは次はどうなるかと面白く、最後の晩餐の絵画にあのような秘密が隠されていたとは・・・と感心したりしました。映画で何度も出てくるオプス・デイ(保守的なカトリックの宗派)やシオン修道会(キリストの血脈を守り続けている秘密結社)の存在がどこまで本当であったのか?などにもちょっと興味をそそられました。
オプス・デイの狂信的な信者であるシラス、ポール・ベタニーが不気味で危ないヤツでしたが、実際のオプス・デイは戒律は厳しいものの、恐ろしいカルト団体ではなく、カソリック教会公認の教団らしいです。
それにしても、ルーブル美術館の館長ソニエール(ソフィーの祖父)、冒頭で銃で撃たれ、息絶える前に、胸に五芒星を描き、ダ・ヴィンチの人体図の形になって死んでいったのですが、実際、死ぬ前にそんなことできるか?、という素朴な疑問があります。まあ、そこは物語なのかな…。
映画を観たあと、“「ダ・ヴィンチ・コード」を読み解く”という、同志社大学の神学部の教授の講演をyoutubeで聞いたのですが、映画の謎の部分が見えてきて、ちょっとすっきりしました。
禁忌に挑む、知的好奇心をそそる謎解き
ラングドン教授シリーズ第1作。
DVD(エクステンデッド版)で3回目の鑑賞(吹替)。
原作は未読。
劇場公開版に25分の未公開シーンを加えたバージョンで鑑賞しましたが、どこが追加されたシーンなのかは全く分かりません。だって劇場公開版を観たことが無いから(笑)。
それはさておき、ルネサンス期の巨匠、レオナルド・ダ・ヴィンチが残した暗号(コード)を手掛かりに、キリスト教最大の禁忌「聖杯」を巡る知的好奇心をめちゃくちゃ刺激される重厚な謎解きが展開され、釘付けになりました。
遥かな昔から歴史の裏側で繰り広げられて来た「戦争」に巻き込まれた宗教象徴学者ロバート・ラングドン教授とフランス警察暗号解読官ソフィー・ヌヴーは、ヨーロッパ中を駆け巡りながら教会がひた隠しにして来た真実へ肉薄していきました。
一筋縄では解けない暗号の数々も去ることながら、迫り来る追手、教会の黒い思惑、意外な黒幕の存在、とある人物の生い立ちの秘密が複雑に絡み合い、スリルとサスペンスを持続させながらひた走るストーリーに手に汗握りました。
厨二病を刺激して来るワードの連続にワクワクしました。それらが縦横無尽に飛び交い、ふとすると置いてけぼりを食らいそうになりましたが、なんとか食らいついてやりました。
しかし、きちんと整理しながら観ないとそれぞれの組織の繋がりが見えなくなったり、歴史的事実がどういう意味合いを持っているのかが分からなくなったりするので集中力が必要ですし、若干の予備知識を持っていた方が良いなと思いました。
※修正(2024/05/22)
推理小説を読んでいるかのよう
シラスという修行僧が導師の指示によって、キリストの聖杯を探す中で、殺人破壊を繰り返す。導師とは誰なのか、シオン修道会とは、聖杯とは、数々の謎が少しずつ解き明かされ、最後にはすべて繋がる。
トムハンクスが推理する様子も面白いし、見ながら自分で推理できるのも面白い。
さいごのどんでんはなんとなく予想がついた。
全29件中、1~20件目を表示















