「「監獄」という名の「人生」を生きる意味とは何か?」手に魂を込め、歩いてみれば チャキオさんの映画レビュー(感想・評価)
「監獄」という名の「人生」を生きる意味とは何か?
「ネタニヤフ調書」を鑑賞した流れで、この映画の存在を知ることになった。両映画とも「ドキュメンタリー」であり、かつ、究極的に「対立」する立場の視点になっている。良くも悪くも、「お互い」が「お互い」を補完し合うような「存在」であり、補完し合って、一つの「完成」した形になるのではないかと思い、鑑賞に至った。
スクリーンには、基本的には、「ガザ」の難民である、若い女性「ファトマ」と「監督」とのスマートフォン使用した「ビデオ通話」の映像が写し出される構成になっている。ただ、それだけ。それだけの構成なのだが、「ファトマ」の身を案じてしまい、ハラハラ・ドキドキする自分、どっぷりと映画の中に浸っている自分がそこにはいた。
「ファトマ」の表情は、常に「笑顔」で、いつも明るい。自分の家族や友人などを紹介したり、今日は何をしたとか、何を食べたとか、とりとめのない話をしてくれる。そんな、彼女を見ていると、とても、そこが、「戦場」とは思えない。だけど、間違いなく、そこは、「戦場」だった。「今日は、友人が死んだ。」、「叔父さんが死んだ。」、「首は道路の上に転がっていた。」、「死んだと思うけど、遺体を見つけられない。」など、想像を絶するような事実を淡々と話す彼女を見ると、今まで、どれだけの苦しみを経験してきたのかと考えさせられてしまう。
そして、時間が経過していくと、次第に、戦火が大きくなっていく。「ビデオ通話」には空爆の音が混じるようになり、近距離にある爆撃されたビルが煙を上げている映像が流れる。繰り返される、通信の遮断や、文字通りの「音信不通」。鑑賞している者は、そのたびに、彼女の身を案じて、いたたまれない気持ちになってしまう。
また、日々の食料調達もままならない状況から、栄養失調気味となり、声に力がなくなる。顔は瘦せこけて、空爆のために外に出られずに室内にこもる日々。そのような毎日を送る「ファトマ」の精神も、次第に落ち込んで軽い「うつ」のような状態になってしまう。
「監督」自身も、「ファトマ」の身を案じて、言葉をかける。「ガザを出て、外国に行く気持ちはないか?」と。何度聞かれても、「ファトマ」の答えは同じ。「外国に旅行をしたいとは思うが、必ず、ガザに戻る。」
この「ファトマ」の強固な意志、信念が全く揺らがないことが凄い。「生まれ故郷」とは言え、一歩外に出れば、そこには、もはや、以前の「生まれ故郷」の面影すらない。あるのは、跡形もなく崩壊した建物の残骸だけだ。自分自身と関係のある人たちも次第に亡くなっていく。居るのは、いつ攻撃してくるかわからないイスラエル兵だけ。このような悲惨な状況にもかかわらず、「ガザ」に固執する「ファトマ」。
鑑賞していた私自身は、「生まれ故郷」だけが理由なのか、「親戚」や「友人」が眠る地だからなのか、色々と思いを巡らす。無論、彼女自身が「ジャーナリスト」であったことも、大きい理由かとは思うが、私は、究極的には「意地」だと考えている。言い換えれば、「プライド」みたいなものだ。「ガザ」で生まれて、「ガザ」で育った、「ガザ人」の「プライド」が、「ガザ」を離れるという行為を許さなかったのだと思う。
現在の「ガザ」に住むことは、ある意味、実際の「監獄」の中にいる以上につらく厳しいものだが、「ファトマ」が、それを選択した理由は、彼女の「ガザ人」としての「プライド」に他ならなかったと思う。最後、非常に、非常に、残念な結果になってしまったが、「ファトマ」にとって、その「プライド」とは、「命」を賭しても、守らなければならない、真に大切なものだったに違いない。そして、その「プライド」は、「イスラエル」がどんなに攻撃しようとも、永遠に奪うことはできないものとなった。
鑑賞前でも、何となくではあるが、その内容を想像することは難しくはなかったが、いざ、映像を見ていくと、どんどん、気分が落ち込んで重くなり、まるで、「ファトマ」を案じる「監督」の気持ちと「同期」しているようだった。その意味で、「ファトマ」や「ガザ」の窮状をより現実のものに感じることができたと思っている。鑑賞したあとに、昔の映画のキャッチコピーが頭をよぎった。映画のタイトルは失念してしまったが、確か、「どんなに凄いCG映像も、真実にはかなわない。」だったかと思う。このキャッチコピーのとおり、どんなに優れた高度なCG映像、あるいは、ストーリーであっても、「真実」という1点において、「ドキュメンタリー映画」にはかなわない。こんなことを改めて感じさせてくれる、本当に素晴らしい映画だと思う。
上映終了後に、外に出てみると、すっかり日は落ちて暗くなっていた。街の明かりが美しく輝いていた。そういえば、彼女は、「ファトマ」は、こんな美しい街明かりを見たことはあったのだろうかと、ふと思うと、自然と涙がこぼれ落ちた。いい年したオッサンが、鼻をすすりながら涙している姿を見た人たちは、きっと不思議に思ったに違いない。
そして、「ネタニヤフ調書 汚職と戦争」のレビューの最後に書いた文を改めて、書き記したいと思う。2025年が終わろうとしている、今、この時も、戦火に巻き込まれている、「イスラエル」、「パレスチナ」の人々の「健康」・「安全」・「幸福」を願わずにはいられない。
