「殺戮されるひとたちの実像」手に魂を込め、歩いてみれば penさんの映画レビュー(感想・評価)
殺戮されるひとたちの実像
微笑むと白い歯がまぶしい美貌のジャーナリスト、ファトマ。通話場所は毎日のように変わっていることが画像から見て取れますが、ときおりスマホの画面が窓の外に向けられると、そこには爆撃で廃墟のようになったガザの街並みと近くに黒煙があがっている様子が映し出されます。・・次々に亡くなる家族や友人のことに話が及んだりするときは、徐々に細くなってゆくのがわかる彼女の顔の表情には、明らかに陰りが見えたりします。そしてまた栄養失調で意識も少しはっきりしなくなることに話が及んだりするときは、会話のかみ合いも悪くなるのですが、それがそのまま刻印され、観客の前に提示されてゆきます。
でも、なんていうのでしょう。映画で映し出される、監督とファトマの会話が親密さを基調としているということだけはなく、言葉自身が常に「明るく前向き」だったように思うのです。例えば、亡くなる少し前の映像だと思いますが、「ねえ、これ見て。」と満面の笑みで嬉しそうに彼女が見せたのは一袋のポテトチップスでした。たばこ1本50$の戦地ではその価値はいかほどかと思いましたが、「ゆっくり楽しんでね」との監督の言葉に満面の笑みで返していました。そして彼女が撮影した、がれきのなかでの子供達の表情といったらどうでしょう。みな戦火の止んだ一瞬の時間のなかで、柔和な微笑を湛えているのです。それらの対照がなんとも印象的で不思議でした。
「建物は壊されても、また作り直せばよい。わたしたちがこの地で生きることを望まない人がいるのは知っているが、ここを動くことはない。ここはわたしたちの故郷なのだから。」そんな趣旨のことばを発する彼女は、しかし、同時にハマスの指導者に対しても「イスラエルと基本やっていることは同じ」と手厳しい。そして「何もできない」との監督の言葉には「寄り添ってくれるだけでうれしい」と優しい笑顔で返す・・・。
思想や宗教や文化や慣習の違いで、奪い合い、殺し合うこの世界ですが、この作品で写しとられたその姿は、二元論の印象操作で生まれたかもしれない邪悪で汚い存在という歪んだ虚像などではなく、家族を思い、旅にあこがれ、猫を可愛いといい、遊園地に行きたいと願う、基本的には我々と何も変わることはない普通の人間なのだということがよくわかる作品でした。若いジャーナリストが命がけで、伝えようとしたその事実・・・確かに受け取りました。
