劇場公開日 2025年12月5日

「「メディア」の存在意義を示してくれた大切な作品」手に魂を込め、歩いてみれば livest!さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0 「メディア」の存在意義を示してくれた大切な作品

2025年12月5日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

悲しい

怖い

ファトマのことは日本語のネットニュースで「知っていた」つもりだった。
ガザの惨状も「知っている」つもりだった。
でも、実際は何も「知らなかった」。
自分が「全然知らない」ことに気づいていなかった。

まだ20代の若きフォトグラファー、ファトマは激しい攻撃を受け続けるガザに留まり、生まれ故郷の酷い惨状を、そしてそんな死と隣り合わせの〝地獄のような〟街で懸命に生きているガザの住人たちを撮影し、SNSで発信し続けた。
世界にガザの真実を知ってもらいたいという一心で。
いつか平和が訪れることを信じて。

私はファトマを「知っていた」。「知っている」つもりだった。
それは彼女が母国の状況を世界に発信している報道カメラマンであり、爆撃により亡くなったということ。
ガザでは報道メディアが攻撃対象となっているということ、彼女も同様の理由で狙われたのではないかということ。
(映画のテロップでは211名ものメディアクルーが亡くなっていると表示されていた)

今、私たちを囲い込むメディアは「とにかくクリックさせることを最優先」に考えた、デフォルメされたニュース情報を拡散している。

大小限らずほとんどのメディアは、「真実かどうか」というファクトチェックや「メディアとしてどう発信すべきか」という矜持はなく、ただただ〝資本主義原理〟で活動している。
大袈裟な見出しを立て、多くの人が興味をそそる切り口でニュースのごく一部分を強調して「とにかくPVを稼ぐ」ことしか頭にないのは、今やネットメディアだけでなく、テレビでも新聞でも同じだ。

そんな偽りの情報をメディアから得て、私は世界のいろんな出来事を「知っている」つもりで生きてきた。

そんな無知な私の頬を、この映画が思い切りぶっ叩いてくれた。

私たちが東京で窓に映った無表情な顔を眺めながら満員電車に揺られているこの時、パレスチナやウクライナでは、兵士たちだけでなく、私たちと同じ普通の人たちが次々と殺されている。

ファトマは、戦争前は自然や人物を撮影するフォトグラファーで、将来は海外で写真についてもっと学び、美しい祖国を写真に収め、祖国の素晴らしさを遺すことを夢見ていた。

ファトマがモノクロの、時に鮮血が散る恐ろしい事実を被写体にし始めたのは、戦争が起こってから。
もし戦争が起こらなければ、もしかするとファトマは戦争フォトグラファーとして注目されることはなかったかもしれない。
けれど、自然豊かな祖国の素晴らしさを遺す写真家として充実した活動を送っていたはずだ。

映画のほとんどのシーンで、ファトマは満面の笑顔でガザについて、自身の生活について途切れ途切れのスマホ越しに語っていた。
けれど、戦争が長引くと、ファトマの表情が暗くなり、弱音を吐くようになっていく。
そんな戦地で暮らす彼女の変化は、どんなネットニュースからも得られない真実を語っていた。

映画鑑賞後、どうにかしてこの作品をより多くの人に観てもらいたい。
観てもらって、ガザのことはもちろん、自分たちが住んでいる国や街についても、上っ面でなく、リアルな姿に目を向けてほしい。

カタルシスはなく、刺激に弱い人にとっては直視できないシーンもある作品だけど、これぞ「メディア」だと強く感じた素晴らしい映画だった。

livest!