「わかりづらい前半、その理由」プラハの春 不屈のラジオ報道 蛇足軒妖瀬布さんの映画レビュー(感想・評価)
わかりづらい前半、その理由
【原題「波(WAVES)」が繋いだ「ささやかな自由」の系譜】
本作は、前半がわかりづらい。
一見すると娯楽作としてのカタルシスを拒んでいるかのように見える。
その最たる要因は、視覚的な対立構造の欠如だ。
「黒か白か」単純なエンターテインを選ばないという意志、
通常のエンターテインメント映画であれば、
主人公側と敵対勢力を「赤と黒」「光と影」のように明確なビジュアルで対比させ、観客の感情を誘導する。
しかし、本作はあえてそれをしない。
なぜか。
それは、この作品が〈社会主義かor資本主義か〉という単純な二元論に組み込まれるのを避ける事と、
歴史の主役はレーニンでもなく、スターリン、
プーチンでもなく、
報道すらされない市井の人々という事ではないだろうか。
その人々の傷みを、
観客の自分事になるように、
突きつける、
彼らが求めたのは、政治的イデオロギーではない、
議論だけの右とか左とかは不要、
〈自分たちの言葉で放送したい〉という誠実さ。
〈嘘を報道したくない〉という矜持。
〈暖炉に薪を焚べる日常〉を守りたいという切実な願い。
この〈ささやかな自由〉を蹂躙されたくないという民意。
それこそが、原題『Vlny(波)』が示す正体であり、
特定の誰かではない、うねりとしての群像劇が主人公である理由だ。
そのあたりが前半のわかりづらい理由だ。
一方で、
本作は紛れもなく〈エンターテインメント〉としての骨格を持っている。
大統領の辞任劇、
放送局員たちの執念、
学生たちが街にチラシを撒く緊迫したシーン。
そこには常にテンポの良い音楽が流れ、
サスペンスフルな躍動感が宿っている。
一見、重厚で難しい〈人間の尊厳〉というテーマを、
あえて軽快なエンタメの枠組みに乗せる。
この手法は、
当時の人々がラジオから流れる音楽や言葉に託した〈希望〉の熱量を、
現代の観客に〈傷みも含めて〉追体験させるための装置となっている。
劇中、象徴的なセリフが登場する。「劇作家にリレーを繋げ」
この劇作家とは、後にビロード革命を主導し、
チェコスロバキア大統領となるヴァーツラフ・ハヴェルのことだろう。
この〈WAVES〉のリレーは、チェコスロバキア国内に留まらない。
自由を叫んだフランク・ザッパ、
ベルリンの壁崩壊の前夜に歌ったデヴィッド・ボウイ、
国境を越え、時代を越えて、
自由を求めるWAVEはリレーされていった。
我々日本人にとっても、
社会の教科書で習った事が、
どんどんひっくり返っていく驚きがあった。
昭和の終焉とともに世界が激変したあの瞬間の驚愕が、
この映画を通じて、今の私たちの心にもささやかな〈波〉として押し寄せてくる。
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