劇場公開日 2025年12月12日

「「プラハの春」までの描写が長い一方で、それ以降の弾圧の様子が気にかかる」プラハの春 不屈のラジオ報道 tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5 「プラハの春」までの描写が長い一方で、それ以降の弾圧の様子が気にかかる

2025年12月16日
スマートフォンから投稿

邦題にもなっている「プラハの春」の状況が克明に描かれるのかと思っていたら、そこに至るまでの描写が結構長くて、何だかモタつきを感じてしまった。
確かに、検閲に抗いながらも自由な報道を続けようとするラジオ局員達の心意気は伝わってくるし、弟のことを「人質」にとられて、密告することを余儀なくされた主人公の葛藤もよく理解できる。
その一方で、公然と報道規制を批判したり、選挙の不当さを訴える報道局の部長が、更迭も、投獄もされずに職務を続けられている様子からは、ジャーナリストに対して、それほど酷い弾圧はなかったのではないかとも思えてしまう。
実際、こうして、ある程度の言論の自由が許されていたからこそ、「プラハの春」という民主化運動が成功したのだろうということが分かって、そこのところは素直に納得することができた。
やがて、「プラハの春」が訪れたのもつかの間、ソ連の軍事介入によって、それがあっけなく崩壊する様子が描かれると、自由とか平和とかいうものが、いかに脆くてはかないものなのかということを思い知らされる。
ここで、ようやく、放送技師の主人公が、戦時下の放送回線を使って自由な報道を続けられるように尽力する様子が描かれるのだが、それまで、体制側の密告者として活動していた彼が、どうして、反体制派に寝返ったのかが今一つ分からなかった。
確かに、彼の「足枷」となっていた弟を、国外に逃がすことができたと考えたのは、その大きな理由なのだろうが、その割には、反体制派の若者達が銃殺された現場に、弟がいるのではないかと確かめに行くところを見ると、必ずしも、弟の身の安全を確信している訳ではないようだ。ましてや、ソ連の侵攻で、つかの間の自由な社会が瓦解することが明らかな状況なのだから、引き続き「太いものには巻かれろ」という生き方をしてもおかしくないと思われるのである。
そうであるならば、例えば、それまで仲間を裏切り、密告を働いてきた者としての「贖罪」の気持ちから、命を懸けて報道の自由を守ろうとしたのだということを、もっと明確に描いても良かったのではないかと思えてならない。
本作のクライマックスである、平時の放送回線を戦時の放送回線へと切り替える場面や、秘密の軍事放送局で自由な報道を継続する場面も、それまでの描写と比べると「駆け足」の感が強く、もっとじっくり描いてもらいたかったと思う。
エンディングでは、主人公や弟のように、チェコ国内に残った者達のその後の苦難が、テロップで簡単に説明されるのだが、どことなく生ぬるく感じられた「プラハの春」以前の言論統制だけでなく、「プラハの春」以降に行われた、より過酷な弾圧の様子も、少しは描いてもらいたかったと思わずにはいられなかった。

tomato
PR U-NEXTなら
映画チケットがいつでも1,500円!

詳細は遷移先をご確認ください。