「大人の定義を考えた。」ダンサー・イン・ザ・ダーク のりたまちびさんの映画レビュー(感想・評価)
大人の定義を考えた。
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10年ほど前に、DVDをレンタルして、TVで観たときは、消化することができない大きな何かを飲み込んだような気分になった。
私は生まれて初めて「憂鬱」を体感した。
今回、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の上映を知って、ほったらかしにして見ないようにしてきた宿題に取り組む気分で、観に行った。
6割以上の入りで、意外だった。
主人公セルマの言動は、私にとっては?だらけだ。
先天的な、必ず遺伝する目の病気を持っているのに、ジーンを産んだこと。
眼科医の検査で、カンニングしてまで自身の失明を隠すこと。
勤務中に空想の世界に入り込み、職場内で事故を起こすこと。
貯金を現金で家の中に置いていることを隣人に言うこと。
隣人に請われて、彼を殺すこと。
警察の取り締まりや裁判の時に嘘の供述をすること。
物事の優先順位が分からず、結局一番大切なジーンを傷つけること。
人が生活に行き詰まるって、こういう連鎖が起こるからなのだろうか。
大人のセルマは、無知だからでは許されない。
結局、彼女は、刑の執行により命を落とすことになる。
それは、あらかじめ決まっている彼女の運命のようで、涙が止まらなかった。
年を取れば、大人になるのではない。
物事にきちんと対処し、円満な人間関係を築き、仕事をし、社会や自分と調和して
生きてこそ、大人だ。
移民で失明間近なセルマに、それを求めるのは酷なのだろうか。
この映画は、決して好きな作品ではない。
できれば避けたいくらいだ。
でも、これはないことにはできない、世界で、日本で存在する現実だと感じる。
また、是非映画館で鑑賞したいと思った。
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