よみがえる声のレビュー・感想・評価
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今年のベスト級ドキュメンタリー
母が残したドキュメンタリーの整理を娘としながら、在日韓国人の虐げられた歴史を知る。
オープニング親子喧嘩からはじまるのだが、母の映画作家としての自負が凄い。あえてわかりやすくする必要なんてない。これは記録なのだからと。言葉に出来ないことをその人の表情でもって辛い歴史を伝えてた。ドキュメンタリーだけど一つの映画論としても観れるかも。
彼女の強さは朝鮮学校が政府によって潰されそうになったとき校庭へ逃げながら警察に踏みつけられて警棒で叩かれたことから、逃げていてはやられる立ち向かっていかなければと思ったそうだ。それからの彼女はヤクザが来ようが怖いものなしだった。
きっかけは小松川事件で死刑囚となったイ・チヌ(日本名金子鎮宇)で日本で差別受けて育った境遇が日本人女子高生殺しになったということで、何回も面会して彼の気持ちに共感することが多く、最終的には彼を改心させてイ・チヌとして死にたいと言わせる。その交流がベストセラーになったとか。
彼女は被害者の母にもあって話を聞いていた。それによると関東大震災の時に日本人による朝鮮人の虐殺を見ていたという。そういうことから自らの民族の歴史を探っていく。広島の原爆被害者や軍艦島の朝鮮人労働者、沖縄の虐げられた歴史、またしばしば韓国にも渡ってその生存者を探したり、北朝鮮の労連からは、殺人凶悪犯に肩入れするのは朝鮮の印象が悪くなるのでやめろと言われ除斥されたとか。そんな彼女の撮る映像はストレートで怒りや哀しみの表情を映し出す。
娘が私の中にも日本人の血が入っているというと、それは歴史とは別だというような。とにかく記録を残してカメラに収めること。そして残すことが後の人が考える切っ掛けになるというような。そこにはわかりやすくとか日本人に見やすくするという映像はない。ただ彼女のスタイルは目が悪くなり盲学校に行っても卒業式の君が代は聞かないという徹底ぶりで、意志が強い親分肌的なところがあり、それが娘との齟齬を生むのかもしれない。娘さんも朝鮮人差別に小さい頃から出会って逃げてきたという。同じ在日監督のヤン・ヨンヒとはどうだったのだろうか。両方とも頑固な性格だから合わないかもしれない。むしろ娘のほうが話が通じるかも。次第に目が見えなくなり、その声だけで当時の人々(亡くなった人ばかりだという)を思い出すという。タイトルはそういう意味も含まれていた。
「日本人ファースト」が国を覆う今こそ
日本人による差別と暴力に晒されて来た在日コリアンの歴史と現在をドキュメンタリーとして撮り続けて来た朴壽南(パクスナム)監督の足跡を娘さんの朴麻衣(パクマイ)さんと共に辿る物語です。
まず、冒頭で息を呑みました。「もう少し若い人にも分かり易く撮ろう」と進言する娘のマイさんの言葉に、スナム監督は「若い人に分かり易くと言うのなら、私が作る意味はない」と言い放つのです。これは映画を撮る人、そしてそれを観る人に対する宣戦布告と感じ、思わず背筋が伸びました。
それから語られる物語は、関東大震災の朝鮮人虐殺から、戦争、そして北朝鮮への帰国事業、そして現在のヘイト社会へとスナム監督の家族が経験し観て来た在日コリアンの生の歴史なのです。
特に、スナム監督が取材者として関わった、在日コリアン青年による殺人事件・小松川事件(1958)の記録は僕の知らない事ばかりで、加害者のみならず被害者家族の方々の苦渋の言葉には神々しささえ感じました。
本作は、2時間半近いやや長めの作品なのですが、大刀でこの社会を切り裂かんとする力と熱量に溢れています。スナム監督が語る「被害者の記憶がなくならない限り、加害責任はなくならない」は、胸に留めておきたいと思います。2015年の戦後70年談話で「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と言ってのけたお坊ちゃま宰相に聞かせた言葉です。そんな宿命を背負わせて来たのは、あの戦争を総括しないばかりか書き換えようとする政治と教育の責任なのです。
そして、上映後のトークが素晴らしかったです。スナム監督は既に90歳で移動は車椅子だし目もかなり不自由なのですが、その言葉は明瞭で、やはり力に溢れていました。「日本人ファースト」が世を覆う現在の日本でこそ観られるべき作品です。
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