君と私のレビュー・感想・評価
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誰が誰を探し求めているのか
開始冒頭で、2014年に済州島へ向かう大型フェリーのセウォル号が観梅島沖で転覆し、犠牲者は299名、行方不明者は5人で、その犠牲者のうち、250人は修学旅行に向かう高校生で、11人は引率の教員だったという解説のテロップが映し出される。パフレットによるとこの解説は本国での上映時にはなく、日本上映に合わせて付けられたものだそうだ。
本国の人々にとっては当然の常識なのかもしれないが、私自身はセウォル号について、事故があったことは記憶しているが、その詳細については把握しておらず、犠牲者の大半が高校生と引率教員だったという事実は寡聞にして知らなかった。
作中では海難事故の場面は一切登場しないのだが、その事実を踏まえていないと、修学旅行に出かける前日の他愛のない高校生の日常が描かれているだけで、いったいこの話が何を描いているのかまったく分からずに観ることになるだろう。
自転車とぶつかって脚を怪我して入院中のハウンに不吉なことが起きる夢を教室で居眠りしているときに見たセミはハウンの病室に向かい、無理にでも一緒に修学旅行に行こうと誘うのだが、事情があって行けないとハウンは渋る。しばらくしてハウンの姿が見えなくなり、セミは友人たちと一緒に必死にハウンの消息を探し……。
本編が始まると画面全体に紗がかかり、夢の中にいるような映像が印象的だ。ここで描かれている世界は夢なのか現(うつつ)なのか。
翌日の事故という事実を知った目で眺めてみると、他愛のない日常が決して「他愛のない」ものではなく、その日常の中の悲喜交々、分かち合いや喧嘩、友情や愛情、怒りや安心など、いかに貴重な時間だったのかと思えてくる。
セミたちはハウンを探していたが、本当は誰が誰を探していたのだろう?
劇中では小鳥や犬などの動物の死が表象的に描かれ、後の事件の予感をさせる。それがペットであれ、人間であれ、愛するものの死によって肉体は失われるかも知れないが、その存在・実存は残されたものが生きている限り失われることはないのではないだろうか。
原題と邦題は同じ意味だが、英語タイトルはThe Dream Songs だ。死を悼みつつ記憶を失わない限りは夢の中でそのメロディは響き続けるのであろう。
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