劇場公開日 2025年11月14日

スプリングスティーン 孤独のハイウェイ : インタビュー

2025年11月13日更新

“The Boss”に近づくために――ジェレミー・アレン・ホワイトが“スプリングスティーン”になるまでの軌跡

ジェレミー・アレン・ホワイト
ジェレミー・アレン・ホワイト

20世紀を代表するロック・アイコンで、“The Boss”と称されるブルース・スプリングスティーンの若き日を描く音楽ドラマ「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」(11月14日公開)。同作でスプリングスティーンを演じているのは、TVシリーズ「一流シェフのファミリーレストラン」で高評価を受けたジェレミー・アレン・ホワイトだ。

伝説の名盤「ネブラスカ」創作の舞台裏と心の旅――。時にパワフル、そして時に繊細に、若かりし頃のスプリングスティーンを体現しているホワイト。その演技は、スプリングスティーン本人からも“太鼓判”を押されるほどパーフェクトなものとなっている。

実在の、それも“生ける伝説”をどう演じ切ったのか。ホワイトが撮影の裏側を語り尽くす。


【「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」あらすじ】

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1982年。キャリアの岐路に立つブルース・スプリングスティーンは、名声の影で深い孤独と葛藤に揺れていた。ロックスターとしての喧騒を離れ、彼が向かったのは、誰もいない荒野のような“どこでもない場所”。4トラックのレコーダー1台、手元にあるのは曲になりかけた断片だけ。恋人との時間、幼き日の母との思い出、そして父との確執に苛まれながら、彼は静かに魂を刻み始める。その時、彼に何が起こっていたのか――。


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●世界中に愛される大スターを演じること「プレッシャーは確実にありました」

――「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」は、まず“子ども時代”から始まりますが、その直後にあなたのライブパフォーマンスがあり、引き込まれました。あなたにあのようなミュージシャンのパフォーマンスができると知って、みんなきっと驚くでしょう。あんなことをやってみせられる自信はありましたか?

いえ、ありませんでした。頑張るつもりはたっぷりありましたし、スコット・クーパー監督を信頼していましたけれど。彼が僕にこの役をやってほしいと言ってきてくれて、この映画について話を始めた時、彼は、僕ならば必要とされることをやってみせると思ってくれたようです。それに、早い頃から、ブルース(・スプリングスティーン)本人が、僕が演じるというアイデアに賛成しているとも聞いていました。それが、この旅に出てみようという自信をくれたと思います。

やるべきことは、ものすごくたくさんありました。それまで僕は歌ったことがありませんでしたし、ギターも、ハーモニカも演奏したことがありませんでした。習うべきことはたっぷりありましたが、与えられた時間は6カ月。短い期間ではないですが、こういう役のための準備をしている時は、いつだって、もっと練習を積み重ねたいと思うもの。その6カ月の間、僕は毎週6時間ボーカルの特訓、4時間ギターのレッスンを受けました。そのほかに自分で毎日少なくとも30分から1時間練習をしました。

さらに、ブルース・スプリングスティーンについてのものをできるかぎり読み、聴いて、どっぷりと浸りました。映画の準備をしている間、ブルース本人ともかなり時間を過ごせたのは、本当にラッキーだったと思います。

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――ミュージシャンを演じるというだけでも大変だと思いますが、この役は世界中に愛される大スター、ブルース・スプリングスティーンです。プレッシャーはありましたか? あるいは「自分にはできないかも」と思ったことは?

できないかも、と思ったことはなかったと思います。でも、プレッシャーは確実にありました。それは、毎日感じていましたね。どれだけ有名か、成功しているかにかかわらず、実在の人を演じる時は、大きな責任を感じるものです。しかも、今回の場合は、大勢の人に愛されているブルース・スプリングスティーンなのです。

人はみんなそれぞれに、彼、あるいは彼の音楽と関係を築いています。人は、それぞれの形でブルース・スプリングスティーンを理解している。それは、隣の人が考えるブルース・スプリングスティーンとは違うかもしれない。つまり、全員を満足させるのは無理なのです。僕は、それを早い時期に悟りました。そして、それを忘れることにしました。

もうひとつ、(プレッシャーを忘れる上で)手助けになったことがありました。もちろん僕はこの役のために歌やギターの特訓をしましたが、これは1981年と1982年に絞った話なんです。彼がアルバム「ネブラスカ」を作ろうとしている時期の話。だから、僕は、ミュージシャンとしてよりも、ひとりの人間としてアプローチしようとしました。その街で育った、ひとりの男性として見ようと思ったのです。どんなに有名な人かということは、とりあえず置いておく。少なくとも、ちょっとの間、僕がキャラクターに入っていけるまでは。

もちろん、彼が超有名人だというのはわかっています。彼は非常に長いこと活動してきています。安定した人気を保ってきていて、カリスマがあります。その事実を知っているから、プレッシャーはあります。だけど、少なくとも最初は、「ひとりのミュージシャンについての映画を作ろう。少なくとも最初は、ブルース・スプリングスティーンだということは忘れて」というふうに、僕は挑んだのです。当然、その事実は後に頭の中に戻ってくるにしても。

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ブルース・スプリングスティーン本人から得たものとは?「ひとつのとてもシンプルな質問をしました」

――ブルース本人とお話しする機会があったとのことですが、彼からどんなことを得られましたか?何かアドバイスはあったのでしょうか?

初めてブルースに会ったのは、ロンドンでした。ウェンブリー・スタジアムのサウンドチェックです。サウンドチェックで彼に会うようにと招待を受けたのです。観客のいないウェンブリーで、僕はピットから彼らを見ていて、サウンドチェックが終わると、彼は僕に気づいて舞台に上がるよう声をかけてくれ。そして僕たちは握手をしました。そんなふうに、僕たちはウェンブリーの舞台で初めて会ったのです。

そこで僕たちは少しおしゃべりをし、彼の控え室に行きました。でも、僕は、彼の時間をあまり取りたくないと意識していました。彼はその後、9万人の前で演奏しなければならないのですからね。でも、彼はすごく近づきやすい人でした。僕という人間に興味を持ってくれました。彼はとても正直で、僕に質問をしてくれました。

すごく早い頃、僕は彼に、ひとつのとてもシンプルな質問をしました。それは、「どうしてこの時期なのですか」ということ。なぜ1981年、1982年の自分についての映画を作りたいのかと聞いたのです。すると、彼は、その頃あったというパニックアタックについて語ってくれました。そのことについて、彼は過去にも語っています。(この映画の原作本である)「Deliver Me from Nowhere」で、ウォーレン(・ゼインズ)も書いています。その時期について、彼は僕に語ってくれたのです。

彼はロサンゼルスに向かってアメリカを横断するドライブをしていて、パニックを感じ、体から魂が抜けていくような体験をしたのだと言いました。自分を、自分の人生と存在を外から見ているような気持ちになったと。それを聞いて、僕は、「それはとても怖いに違いない」と思いました。自分の人生が通り過ぎているのをただ見ているしかないなんて、最悪のフィーリングじゃないですか?

その体験をした後、彼は変わろうとしたのだそうです。もっと自分をオープンにし、愛への可能性に心を開き、良きパートナーになり、妻となる人を見つけて家族を作ろうと。この映画のために彼について読み、彼自身とお話もした僕は、この映画はひとりの男性の人生におけるターニングポイントを語るものだと思っています。自分は家族思いの人間になれるものだろうかと自信がなかった男性が、良きパートナーであろう、父親であろうという選択をするのです。この映画は、そこに焦点を当てます。彼のその選択にフォーカスします。

僕が話したい時、彼はいつも時間をくれました。でも、彼がくれたものの中で僕にとって一番価値があったのは、彼の正直さでした。彼は最初からものすごく正直でした。無駄なことは何も加えず、「あの時期、僕の人生はこうだったんだ」と教えてくれたのです。それに対して僕は、「それは自分にもわかるだろうか?」「自分にも共感できるだろうか?」と自問しました。

そして、去年の夏のロンドンで、僕は「ああ、自分も似たような経験をしている」という答を得ました。それが僕に自信をくれました。あの時期の彼は、31歳か32歳。その話をした時、僕は33歳。その時に初めて、「もしかして、ジェレミー・アレン・ホワイトブルース・スプリングスティーンには共通点があるかも?そこからこのジャーニーに入っていけるかも?」と思ったのです。

――あなたがニューヨークの出身というのも、つながりを感じた部分ですか?

はい、たしかにそう思います。

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●30代で注目の的に――“人間ドラマ”にどうアプローチしたのか

――それに、あなた自身も30代になった頃に(「一流シェフのファミリーレストラン」の大ヒットで)有名になりましたね。

はい、それもありますね。それについても、スコット(・クーパー監督)と早い時期によく話しました。もちろん、ブルースは僕よりもっと強烈にそれを経験したと思いますが、僕もこの2、3年は、人に注目されるということを経験してきました。公に知られる存在になると、他人は僕を知っていると思うようになります。それは自然なことであり、悪いことだというつもりはありません。そういうものなのです。それでも、他人が思う自分の姿が押し付けられていると感じ、自分で混乱してしまうことがあります。(そういうことが起きてしまった人には)自分自身を見失わないようにするのを難しく感じる場合もあるでしょう。

この映画では、18カ月のツアーを経たブルースが、自分が育った家のすぐそばに家を借り、もう一度自分らしさを感じるようになっていく様子が描かれます。でも、その問題は、どこにでも付いて回ります。家から離れていても、家に帰ってきても、その問題は、なくなりません。この時期のブルースの場合、その問題は、ひたすら大きくなっていったのです。そして彼は過去の亡霊を見るようになりました。子どもの頃の嫌な思い出が浮かんでくるようになりました。この映画は、そのことについてでもあります。ひとりの男性が家に帰ってきて、過去と葛藤し、前に向かって歩くための方法を見つけようとする話。

スティーブン・グレアム(左)
スティーブン・グレアム(左)

――とくに、スティーブン・グレアム演じる父との関係は興味深いです。

オーマイゴッド、彼は最高です。本当にすごい俳優。自分はなんと幸運なのかと思います。僕が初めて彼の演技を見たのは、15歳の時。「THIS IS ENGLAND」という映画でした。僕はたちまち彼に魅了されました。彼は個性派俳優として、優れた監督たちと長年仕事をしてきました。今、彼が、自分で脚本を書き、主演し、共同クリエイターも務めた「アドレセンス」で大注目されていることを、僕はとても嬉しく思います。でも、僕にとって、彼は「THIS IS ENGLAND」の時からずっと大スターだったのです。僕が15歳だった時から。彼は、イギリスで、長いこと優れた監督たちから愛されてきたのです。今、世の中のほかの人たちが追いついて、彼の良さをわかってくれて、本当に嬉しい。

僕が彼と一緒に演技をするシーンもこの映画にいくつかありますが、彼の出演シーンのほとんどは(彼が子ども時代のブルースを相手にする)フラッシュバックです。彼ともっと一緒にお仕事できたらよかったんですが。でも、限られた中でも、僕は彼ととてもお近づきになれたと感じています。昔から尊敬してきた人ですから。

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――そういった人間ドラマの部分には、どうアプローチしましたか?それらのシーンの中でも醍醐味があった、やるのが楽しみだった、あるいは難しかったシーンはあったのでしょうか?

それら人間ドラマのシーンは、いろんな意味で難しかったです。僕は歌もギターも素人なので、ライブのシーンで「明日なき暴走」を歌うのももちろん怖かったですが、彼のライブの映像はたくさんあります。ライブの前や後のインタビュー映像も。それらを見ると、どんな感じだったのかがつかめます。そういった素材があったのは幸運でした。

ですが、ブルースがひとりで家にいるとか、ジョン・ランダウと電話をしているとか、そういうシーンには参考にすべきものがありません。誰もそれを見ていないわけですから、演じる僕には少し自由があるのも事実ながら、ベースにできるものがないので難しくもあるのです。ブルースに質問したり、本を参考にしたりはできます。

ブルースは、ジョンや父、母との関係については過去にかなりしゃべっていますし。それでも、どうしても想像の部分が必要となります。本当にあった瞬間なのだけれども、「それがどうやって起きたのか?」と考えないといけない。そしてそれをブルースの前で再現しないといけないのです。それは気が重かったりします。音楽のパフォーマンスとは別の意味で。

ジェレミー・ストロング(右/ジョン・ランダウ役)
ジェレミー・ストロング(右/ジョン・ランダウ役)

ジェレミー・ストロングとの共演でつかみ取った“ブルースとジョンの関係性”

――ジョン・ランダウを、ジェレミー・ストロングが演じています。彼とはアワードシーズンに授賞式で顔を合わせて知り合いだったのでしょうか?

いや、なぜだかわからないんですが、僕たちは会ったことがなかったんです。「一流シェフのファミリーレストラン」が「メディア王 華麗なる一族」が終わりそうな頃に始まったからなのか、それとも全米映画俳優組合のストライキの影響だったのか、はっきりわからないのですが、彼とは直接会ったことがありませんでした。

でも、僕たちは同じエージェントについてもらっていて、僕はエージェントに彼への尊敬の念を伝えていたし、彼も僕について同じことを言ってくれていました。僕は長いこと彼のファンで、彼も僕の仕事ぶりを見ていてくれました。だから、今回一緒に仕事をできることになって、すごく嬉しかったです。

ジェレミーと一緒にシーンに入っていくのは、とても簡単でした。彼のことはすぐに好きになりました。僕には彼が理解できました。そこは非常に大事。ブルースとジョンはお互いのことをとても大事に思っているのですから。この映画ではそれも描かれます。ジョンのような人たちが、ブルースを支えようとしてくれたのです。ブルースが世界から逃げようとして、ひとり孤独でいる時に、ハリソン・ギバートソンが演じるマット・デリアとか、ジョンは、ブルースを気にかけていて、どんなことがあっても彼のためにそばにいてあげようとしました。そういう人にいてもらえたブルースは、幸運だと思います。

ブルースとジョンの関係は、今日に至るまで実にすばらしいです。彼らは本当に仲良し。撮影現場でも一緒にいて、ジョークを言い合っていました。ブルースは、ジョンやバンドメイトと、高校を卒業した頃からずっと良い関係を維持してきたんですよ。すごいことですよね。彼らはみんな、今、75歳か76歳あたりですが、まだ一緒に活動しています。素敵なことです。

ジェレミー・アレン・ホワイト(左)、ブルース・スプリングスティーン(右)
ジェレミー・アレン・ホワイト(左)、ブルース・スプリングスティーン(右)

ジェレミー・アレン・ホワイトにとっての“ボス”とは?

――あなたも先ほどおっしゃった通り、人はみんなそれぞれにブルース・スプリングスティーンとの関係を作ってきました。あなたとブルース・スプリングスティーンはどんな存在でしたか?

そこはちょっと面白いんですよね。ブルース・スプリングスティーンという名前を知らなかった時期はなかったです。僕は、ニューヨークの、ハドソン川を挟んでニュージャージーの向かいにあるところで育ちましたし、生まれたのは1991年なので、彼の音楽はラジオで流れていたり、両親や両親の友達が演奏したりしていました。彼の曲は、いつも身近にありました。でも、ティーンの頃の僕は、彼の最も有名な歌しか知りませんでした。「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」とか、「ハングリー・ハート」とか。

僕は、音楽好きとして、20代なかば頃に、「ここは自分が見逃してきた部分ではないか」と、ブルース・スプリングスティーンを徹底して聴いてみることにしたんです。「アスベリー・パークからの挨拶」「闇に吠える街」「ネブラスカ」などのアルバムを。そしてもちろんこの映画の準備のためにはまた彼の音楽をたっぷりと聴きました。

若かった僕にとって、ブルース・スプリングスティーンは、ミック・ジャガーやエルビスみたいな、到底手の届かない人でした。彼を普通の人間として考えることはしませんでした。普通、しませんよね。子どもにとって、有名なミュージシャンというのは偉大なもので、それがまた魅力的なのですから。

(この映画の製作を通じて)ブルース本人を知っていく中で興味深かったのは、彼は実際、やはり神様のようで、カリスマがあり、超越した人なんだけれども、同時に、世の中との関係や振る舞いが普通だということ。すごく正直で、近づきやすいんです。撮影現場でもそうでしたし、僕が初めて会った時もそうでした。(ニュージャージー州の街)フリーホールドを一緒にドライブしていた時もそう。彼は僕に生まれ育った場所を案内してくれたりしました。

そういうところが本当に素敵だと思います。あれだけ長いこと、あれだけ有名でいながら、彼みたいに現実的な世の中とつながり続けている人は、そんなにたくさんいません。そういう立場にある人の多くは(普通の人にとっての)リアリティとかけ離れたところに行ってしまいがちですが、ブルースはそうじゃないのです。これからも彼は変わらないでしょう。ブルースを知っていく中で、僕はそこに感動しました。彼は、世の中に、親切かつ優しく接します。ステージではパワフルでマスキュランで強烈ですが、本人は寛大でおだやか。そのふたつの側面を、とても美しい形で持ち合わせているのが彼なのです。

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●「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」」は、いつだって語るべき価値がある話

――ミュージシャンの伝記映画は最近もまたありましたし、今後もいくつか予定されています。そんな中、この映画の見どころはどこだと思いますか?また映画にメッセージはありますか?

この映画がこのひとりの男性の人生の、特定の時期を語るというところに、僕はとても惹かれました。ミュージシャンの伝記映画を作るにあたり、生まれた時、初恋、高校時代、初めてのライブなど、全部を語ろうとするのは、その人にとってフェアじゃないと思うのです。それだけたくさんのことを2時間で語るなんて。だから、この映画には、「よし、これは良い」と思いました。子どもの頃のフラッシュバックはあるけれども、この映画は彼の人生の特定の時期に絞って語ります。

そして、その時期の彼の話は、誰もが共感できるもの。彼は自分を見失っていて、絶望を感じています。彼はたしかに名声も富も未来もある人物だけれども、そういう気持ちは誰にでも訪れるのです。そんな気分は経済状態で選んでやってくるものではないので。彼はそこから抜け出し、世の中の優しい部分を見つけながら、自分の将来を自分で築いていかなければなりませんでした。困難を克服し、世の中に暖かく接するようになる。それはいつだって語るべき価値がある話だと、僕は思います。

――ブルース・スプリングスティーンのファンにも、新たな発見があると思いますか?

そう思います。この時期のブルースについてよく知っているというファンもいるでしょう。ブルースはこれまでにもこの頃について語っていますからね。ゼインズが書いた本にも書かれていますし。ですが、ずっとブルースのファンだった人にも、この映画を見て「新たなことを知った」と思う人は、きっとものすごくたくさんいるに違いないと思います。

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●現在のキャリアについて 今後の展望も明かす

――「一流シェフのファミリーレストラン」でシェフを演じたかと思ったら、「アイアンクロー」では実在したプロレスラー、そして今回は有名なミュージシャンと、実に幅広い役柄に挑んでいます。観客はそんなあなたを見て驚きますが、あなた自身も自分のやっていることに驚いたりしますか?今のキャリアを楽しんでいますか?

ええ、とても楽しませてもらっています。

役者の仕事の素敵なところは、違う世界に身を置いて、新たなスキルを学ばせてもらえること。僕はとてもラッキーです。「一流シェフのファミリーレストラン」ではトップクラスのシェフのキッチンに招いてもらえましたし、料理学校で学ばせてももらいました。今の時代に最も活躍している有名シェフからも教えてもらいました。「アイアンクロー」ではチャボ・ゲレロからレスリングを教えてもらい、レスリングの世界の人たちから歓迎してもらうことができました。

そしてこの映画では、音楽スーパーバイザーのデイブ・コブ、ギターの先生JD・スミノ、ボーカルコーチのエリック・ビトロなどから教わり、歌とギターというスキルを身につけることができました。それはすごくエキサイティングです。僕が一番好きなこと、すなわち演技をやりながら、こういったほかのこともやらせてもらえるのですからね。

――あなたはダンスのバックグラウンドがあるのですよね?そのスキルを使える映画に出たいと思いますか?

ええ、ぜひやりたいですね。僕はバレエが好きです。なので、それにかかわるような作品ができれば嬉しいです。ただ、僕はもう歳を取り過ぎているかもしれません。30歳を過ぎたバレリーナは、あまりいないのではないかな。

僕の高校は、ニューヨークのヘルズ・キッチンにあるパフォーミングアーツスクールでした。卒業した生徒には、アメリカンバレエスクールやアルビン・エイリーなどに行く人も多かったです。僕はその学校でドラマを学んでいたのですが、そういったダンサーたちに囲まれていました。やがてアルビン・エイリーやアメリカンバレエに行くような人たちに。なので、そういうことにかかわる作品の機会があれば良いなとは思っています。

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