「軽口と余計な一言と、皮肉と中傷の間には色んなものが詰まっていますね」ローズ家 崖っぷちの夫婦 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
軽口と余計な一言と、皮肉と中傷の間には色んなものが詰まっていますね
2025.10.30 字幕 イオンシネマ四條畷
2025年のアメリカ映画(105分、PG12)
1989年の『ローズ家の戦争』のリメイク映画
缶とkはジェイ・ローチ
脚本はトニー・マクナマラ
原題は『The Roses』
物語は、イギリスのロンドンにて、建築家として活躍しているテオ(ベネディクト・カンバーバッチ)が描かれて始まる
彼は建築されたマンションのバルコニーが気に入らなかったが、ボスたちに負けて、それを採用せざるを得なかった
その場に居られなくなったテオは厨房へと逃げ込み、そこでシェフのアイビー(オリヴィア・コールマン)と出会った
彼女も自分の案が採用されずに悶々としていて、近くアメリカに渡ることになった
テオは咄嗟に「ついていっても良い?」と聞くと、彼女は「セックスもしていないのに?」と見つめ返す
シンパシーを感じた2人はそのまま貯蔵庫に駆け込んでセックスを始めてしまった
それから10年後、2人にはロイ(オリー・ロビンソンズ、青春期:ウェルズ・ラパポート)とハティ(デラニー・クイン、青春期:ハラ・フィンレイ)という2人の子供がいた
順調に思えた生活だったが、台風によって壊れた博物館の事故をきっかけに、立場が逆転してしまう
テオは失職状態になり、アイビーの店は評論家のレビューによって大盛況となった
そこでアイビーは、店を大きく展開する代わりに自分が家計を支えると言う
そしてテオは専業主夫となって、子どもたちの面倒を見ることになったのである
映画は、その後も子育てに専念するテオを描き、アイビーの店はますます発展していく
そんな折、アイビーはテオに自分たちの家を建てて欲しいと言い、彼はそれに夢中になっていく
やりがいを取り戻したテオだったが、アイビーの稼いだお金を湯水のように使い出し、さらに関係が悪くなってしまう
物語は、皮肉混じりのウィットな会話が徐々に歯止めが効かなくなり、それが攻撃的になっていく様子が描かれていく
仕事によって子どもとの距離ができてしまうアイビーはテオの子育てに文句を言い、さらに悪態を続けていく
子どもたちの態度もさらに悪くなり、それがアイビーの神経を逆撫でする
子どもたちはテオに馴染んでいき、さらにアイビーは仕事にのめり込んでいく
アイビーは家事をしてくれているテオへの感謝を忘れ、畳んでいた服を床に置いたりとテオの感情を逆撫でする
彼女なりにプレゼントを渡したりするものの、態度は徐々に傲慢になっていき、周囲が感じるほどに夫婦関係は悪化していくのである
映画の冒頭はカウンセラー(ブレンダ・プロミロウ)との会話になっていて、そこでは修復不能と言われてしまう
だが、本音をぶちまけ、お互いに愛情を持っていることを感じたことによって修復への兆しが見えてきた
だが、それまでの行動は彼らに審判を与えるかのように、ある出来事を誘発してしまった
映画でははっきりと描かれていないが、誰でも想像がつくエンディングとなっていた
映画には3組の夫婦が登場し、テオの弁護士となるバリー(アンディ・サムバーグ)とエイミー(ケイト・マッキノン)の夫婦、建築家時代の同僚サリー(ゾーイ・チャオ)と彼女の夫ロリー(ジェイミー・デメトリウ)の夫妻だった
バリーはセックスレスのようで、大麻依存症のエイミーに手を焼いている
サリーはアイビーと同じように成功し、夫を召使のように罵倒する
テオ夫妻も事あるごとにセックスの話を持ち出し、関係性はサリー&ロリーと似通っているが反応は全く違う
そこに愛があれば問題ないと言うものではなく、むしろ愛情と夫婦生活は別物であるようなメッセージがあった
バリーもロリーも妻の無茶苦茶さを受け入れているのだが一線を超えないようにコントロールしていた
エイミーは不倫はしないが一夜だけは女になりたいと考えているし、その欲求をバリーは知りつつも無茶はさせていない
そういったところに夫婦間の相容れぬ何かがあって、彼らも幾度となくあった危機を乗り越えてきたのではないだろうか
いずれにせよ、リメイク元とは「夫婦の致命的な戦争状態」以外はかなりのアレンジが入っていて、イギリス人夫婦がアメリカでおかしくなると言う設定を存分に活かしていたと思う
仕事と家庭の両立さは困難なものだが、その根底には夫婦間の風通しの良さと言うものは必要なのだろう
愛情があっても表現が足りないとうまくいかないと言う典型だが、この2人には「余計な一言が多すぎる」ように思う
イギリス人特有の「抑制」が結局は別の形で露出していて、それが嫌味となって随所に出ていた
夫婦間だけではなく、友人たちにもそれが波及するのだが、アメリカ人が2人の軽口を真似ると「誹謗中傷」になっているところが面白い
テオたちにはそれがウィットな会話だと思っているのだが、それが間違っていることを友人たちは伝えようとしている
この軽口が真剣な話も茶化すことになり、双方の聖域というものを汚している
何気ない会話の先にある関係性というものは崩れやすく、そう言ったものの大切さというものを伝えているように思えた
