「この男の愛情を信じられるのか?」トリツカレ男 ミドレンジヤーさんの映画レビュー(感想・評価)
この男の愛情を信じられるのか?
レビューの評価がとても高い様なので、予定はしていなかったが観賞。
んんんんんんんん。
これは。
いい話、ですか?
まず主人公「ジュゼッペ」は「トリツカレ男」なワケだ。
冒頭から、いろんな事に興味を持ってはトリツカレた様に情熱を注ぎ、しばらくすると次の興味へと移っていく、と説明されている。
そもそも「トリツカレた様に」って、慣用句として決して褒め言葉ではないと思うがいかがだろうか。もちろんこの最初では揶揄した意味で使ってるんだが、最終的に意味合いは変わらないワケで。
いや、ホントにシンプルに「そんな男の恋愛なんて信用できないでしょ。」というのが最初の印象。
虫やら語学やら探偵ごっこやら、彼が過去に興味を持った様々な興味が、彼女「ペチカ」を想う気持ちを具現化し、伝える上ですごく役に立った。
…それはまあ、良い。
じゃあ、これまで次々と移り変わってきた様々な趣味と、今回たどり着いた彼女への恋心と、何がどう違うのか。
つまり、キャラクター設定がそもそも恋愛には向いていないのでは?
そしてジュゼッペは、気持ちが進む余り、ペチカが心待ちにしている、でも実はすでに事故で死んでいるフィアンセ「タタン」になり代わり、彼が実在するかの様に振る舞う。あまつさえ、自分の健康を害してまでタタンが力を注いだホッケーに執念を燃やす。
…それ、ナニ?
誰が得するの?
遅かれ早かれバレるウソだし、悲しみは増幅され、結果として彼女はむしろ傷付くのではないだろうか。
これは決して「純愛」などではない、と私は思う。こんな自己犠牲は、ただのジュゼッペのエゴだ。
で、ペチカもペチカで、窓ガラス越しに現れたジュゼッペが扮装したタタンに、ジュゼッペの話をしていながら、目の前にいるのがそのジュゼッペとは気付かないってか。
それはいくらなんでもジュゼッペが不憫過ぎやしませんか。
と、この不憫さがまたジュゼッペのエゴを正当化してしまう。
そんな一途なペチカだからこそ、タタンを生きている様にみせたのはやはり残酷だと思う。
タタンの「三つの約束」みたいなのも今一つピンと来ないし、ラストに梯子から落ちたのは何なんだ。
彼は「トリツカレ男」としてではなく、純粋に一人の男性としてペチカを愛しているんだ、って、これまでとは違うんだ、ってところを見せてくれたら良かったのに、みんなして最後まで彼を「トリツカレ男」だからと繰り返し、納得してる。
(言葉が汚くて申し訳ないが)
つまるところ、この話は「イカれたカップルの妄想恋愛」でしかないのではないか、というのが最終的な私の感想。
全然応援できないなぁ、と。
もちろん、私が若ければ印象も違ったのかも知れないけどね。
それにしても、このレビューの★の数の多さは何なんだろう。
公開予定の『楓』もですが、自分も死人になりすますのは逆効果だと思います。
ジュゼッペの気持ちへの懐疑も、単なる一目惚れだから尚更感じる。
最後に、これは今までとは違う、というような描写が入ればまた違うのでしょうが…
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