ミーツ・ザ・ワールドのレビュー・感想・評価
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分かり合えなくても大切な人
杉咲花ちゃんのオタク役一生見てられるな。
それぐらいオタクの解像度が高すぎた。
映画を見る前に、ちょうど推し活をしていたからか、杉咲花ちゃんのオタク役がまるで自分すぎて驚いた。興奮すると早口に捲し立ててしまうところとか、推しの概念見つけると叫ぶ感じとか、映える食べ物と推しのグッズで写真撮るところとか…。本当に杉咲花ちゃんってすごい女優なんだなと圧倒されてしまった。
ホストのアサヒ役板垣李光人くんも、キャバクラ嬢のライ役南琴奈ちゃんもすごく良かった!演技もだけど、それぞれのキャラクターが纏う空気感も感じられたのが良かった。
板垣くんに関しては個人的に今まで彼が演じた役の中で今回が1番良かったと思った。
ストーリーも、主人公と似たような経験をしたことがある人には、とても沁みる作品だと思う。
主人公の由嘉里が疎ましく思っていた、母親が自分に向ける一方通行の想いと、主人公がライに向ける一方通行の価値観の押し付けが似ているものだと気付いたとき、人間はどうしたって相手の全てを理解することはできないんだという現実に打ちのめされそうになった。
それでも、自分にとってはその人は大切で、好きで、そばにいたいし、分りたいと思う。
自己肯定感が低く卑屈だった由嘉里が、ありのままの自分で生きようと思えたように、分かり合えなくても少しの影響を与えることはできる。
由嘉里とライの話と比べるとスケールの小さな話かもしれないけれど、悩みを聞いて励ましていた後輩が退職してしまったときに感じた、あの時の焦燥感や無力感を思い出した。
結局人が人に与えられる影響には限度があって、それでも私は私らしく生きていくしかないんだよな。
少し寂しさも残るけど、自分らしく生きていく中で出会った人々との出会いと別れを大切に、自分も成長していきたいと思える、素敵な良い映画だった!
主人公と観る者、それぞれに訪れる2時間後の奇跡
擬人化系日常系焼肉アニメ「ミート•イズ•マイン」をこよなく愛するヒロイン、由嘉里。そんな彼女を、冒頭時点では少し変わっているけれど元気で可愛い(…主人公だし。)と、安直に捉えていた。けれども、終盤に至っては、好きを貫くまっすぐな彼女を、心から魅力的だと感じた。それはきっと、彼女自身の変化であり、観る側である私の変化だと思う。本作は、そんな2時間の奇跡を経験できる作品だ。
舞台は歌舞伎町。居場所を見つけられず、慣れない酒で酔い潰れた由嘉里は、綺麗な顔立ちながら生活力ゼロのライと出会い、招き入れられるままに共同生活を始める。両極端のようでなぜか惹き合う2人と、彼女たちを取り巻く謎めいた街の住人たち。歌舞伎町は夜の街というイメージだが、本作は朝や昼のシーンもふんだんに盛り込まれている。あちこちで湯気が立つ真夜中のラーメン屋と同じくらい、気怠さの残る朝の神社は開放的で、あたたかい。はじめての夜中のラーメン、はじめての起き抜けのチョコフラペチーノ。彼らと「はじめて」を重ね、たくさん話し、共に時を過ごすうちに、凝り固まりこわばっていた由嘉里の心は、少しずつほどけいく。
この人は味方、この人は敵、この人はいい人、この人は悪そう…と、物語の人々をつい単純化したくなる。そんな「分かりやすさ」は、日々の生活さえも侵食しかねない。ばさばさとキャラ分けして振り落としてきたものに、彼女は少しずつ気づく。遠いと思った存在がふっと近しくなる不思議、避けずに受け入れてみることで知る味わい。由嘉里とともに、観る者も心のコリをほぐされ、大らかな気持ちになれた。
見知らぬ他人が、少しずつかけがえのない存在となっていく喜び。その一方で、どうにも埋められない溝が、由嘉里の行く手を阻む。前半がきらきらと弾むような輝きを放っていた分、泥まみれになりうずくまる彼女の姿が痛々しい。そんな彼女に差し伸べられる「手」の、ぎこちなくもあたたかい、絶妙な語りが、じわじわと沁みた。
原作未読での感想となるが、これは!という名言が散りばめられている点も、本作の魅力。文字を音に置き換えた以上の躍動感を持って、言葉が心地よく宙に放たれる。人の声を介してこその言葉の力が、存分に発揮されていたと思う。改めて、原作を読むのが楽しみだ。
かすむほどに眩しい朝の光が、彼らを照らし、あたためる。至福のラストシーンを思い返すほどに、笑みがこぼれる。観る人全ての背中を、そっと押してくれる良作だ。
杉咲の変幻自在で超絶的な演技が魅せる
歌舞伎町ではキャッチやヤクザも厄介だが、おそらく泥酔して路上に座り込む人ほど厄介な者はない。そんな状況に陥った由嘉里にライが「大丈夫?」と声をかける導入部から、肩肘張らずにスーッと馴染む語り口の巧さがある。いわば「不思議の国のアリス」のラビットホールに飛び込むように、これまでとは180度異なる世界に踏み出す主人公。でもそこに自分でも驚くほど居心地の良さを見出し、この街で交友を広げ、かと思うと、自分には到底理解しがたい価値観や死生観と向き合わなければならないジレンマも宿る。そんなけばけばしいネオンとは真逆の精神世界を垣間見せつつ、やはり最大の見どころは杉咲花の変幻自在の演技だろう。早口で自分の「好き」をまくし立てる超絶な台詞回しから、逆に無口になってじっとライを見入る表情といい、あらゆる瞬間を完全に自分のものとして掌握している。ゴールデン街で出会う蒼井と渋川も安心感のある色を添え、印象深い。
南琴奈、飛躍の2025年
今年7月期のドラマ「僕達はまだその星の校則を知らない」で生徒役の一人だった南琴奈が印象に残り(あとで調べたら映画「花まんま」など以前の出演作でも目にはしていた)、本作を観る動機の一つになった。ドラマが学園群像劇であるため当然出番は限られていたが、この「ミーツ・ザ・ワールド」では主演の由嘉里役・杉咲花、ホスト役の板垣李光人と共にメインキャラクターなので、キャバ嬢ライを演じる彼女の存在感や瑞々しい魅力がしっかりと映像に収められている。
「希死念慮(きしねんりょ)」という言葉を本作で初めて知ったが、ライは自分が死ぬことを繰り返し考えていて、今ここにいるのに実在感が薄いような、どこか超然とした佇まいのキャラクターに、南琴奈の凛とした美しさがはまっている。台詞読みが一本調子に感じられる部分もあったが、あえて感情を抑えて発話させた松居大悟監督の演出方針かもしれない。
2001年の「リリイ・シュシュのすべて」でブレイクした蒼井優、2010年代に複数の映画・ドラマで主演した杉咲花、そして南琴奈の3人がバーカウンターに並んで座る画は、00年代、10年代を代表する若手演技派女優と同じ画面に収まった南のこれからの飛躍を約束しているようで感慨深いものがあった。
由嘉里の視点でストーリーが語られ、腐女子である彼女が妄想する二次元キャラが現実世界に出現する演出には、アニメ作品の影響もあり、松居監督の挑戦が感じられる。二次元キャラの出現を除くと基本的にリアリズムの描写で進むが、由嘉里がある人物と携帯で通話しているシーンで起きるマジックリアリズム的な表現には驚かされ、また感心させられた。長く記憶に残る名場面だと思う。
杉咲花がいい。好きなことを好きなままで生きて行っていい。 が、歌舞伎町は実際はお花畑ではないし、登場人物もいい人ばかりすぎる。
エラ呼吸と肺呼吸のふたり
「新たな世界の道先案内人ライに導かれて」
擬人化焼肉漫画「ミート・イズ・マイン」をこよなく愛する銀行員の由嘉里は飲み会で酔いつぶれ新宿の路上でうずくまっていた。そこに美しい女性が大丈夫かと声をかけてくれて彼女のアパートに泊めてもらった。美しい女性はライというキャバ嬢で彼女と出会い同居することによって、由嘉里の世界は一気に新しい世界に入っていくことになる。
夜の新宿の世界。そこで生きているライの友人NO1ホストであるアサヒ、バーのマスターのオシン、作家のユキと出会う。様々な過去や思いをもった人との出会いは銀行員の由嘉里にとっては別世界だ。
人は当然のようにいろいろな事情をかかえて生きている。ライは「もうすぐ死ぬ」という言葉を繰り返し、300万円を由嘉里に残して死ぬと、ことあるごとに言うのだ。そのことをアサヒやマスター、ユキに話してもみな何も言わない。ライにはライなりの想いと考えがあることを理解しているからだ。だが由嘉里は戸惑う。
由嘉里とライが買い物をしている。由嘉里が漫画のキャラクターを楽しそうに見ている姿をライは優しい眼差しで見つめている。まるで愛しい人を見つめるように。このシーンがこの映画の核心になっている。愛しい人とずっと一緒にいたいのではなく、愛しい人を傷つけないこと、ライが心に誓ったことなのだろう。
由嘉里はライに恋人がいたことを聞きだす。今は別れたが今でも彼のことを愛しているという。由嘉里はライのかつての恋人を探し、会わせればライの死の願望が消えると思いアサヒを誘って彼氏の実家へ行く。しかし実家で明らかになったことは・・・・。そして家に帰ると・・・・。
この映画はライという女性が行き場を失っている由嘉里の道先案内人になり、あらたな世界の扉をあけ、その世界に由嘉里を導くものであった。由嘉里の表情がどんどん明るくなる、アサヒ、マスター、ユキというかけがえのない友人も得る。由嘉里はライが言った「好きというのは相手がそばにいなくてもずっと思い続けることができる」を心の底にずっと留めて新たな世界を生きていく。そこには擬人化漫画のみが心の支えであった由嘉里はいない。人は様々ことを抱えて生きていることを自分の身をもって知った由嘉里は間違いなく新しい世界で一段と大人になったのだ。
由嘉里役の杉咲花も素晴らしいが、ライ役の南琴奈のかもしだす空気感がこの映画を支えていた。美しく、はかなげで、死を望むように人生を悟りきっているライがいなければこの映画は成立しないといっても過言ではあるまい。また脇を固める板垣李光人、蒼井優、渋川清彦の演技も絶妙であり、由嘉里が踏み出した新しい世界を包み込むような優しさにあふれた三人との親密な関係が由嘉里に居場所を与えていた。
劇中、由嘉里、ライ、アサヒ三人が仲良く新宿の街を歩いているシーンがある。ただこの三人の心の奥底は誰にもわからない。その想いを松居大悟監督は見事に映像化しスクリーンに投影した。人が抱く想いの複雑さ重さを、軽くなりすぎず、されど重たくなりすぎずライトに描出したことによって、映画に明るさというすがすがしい余韻をのこしていた。
素晴らしい
やさしい世界に包まれる、新宿のまほろば
自分もそうです
杉咲 花名女優!
誰しも自分のことを卑下するけど、他人のことはよく見える
杉咲花の腐女子に圧倒される映画。
雰囲気、話し方、テンポ、歩き方、、ちゃんとした腐女子を知らんけどもとてもリアルに見えた
ライ役の南琴南が19歳で杉咲花が28歳、、その歳の差には全然見えないのがすごい。
それは、それを幸せって思う人にとってはね。何を幸せって思うは人によって異なる。そもそも幸せは幸せがあるって信じられるものでしかない。
人が人のことを変えられるのは45度まで。
人は自分にとって大切な人には優しく出来ない。優しくというか、自分の価値観で、同じ世界を見ようとする。その人が大事になればなるほど、そういうものだよね。
誰に対しても肯定できるライは本当に達観してしまっていて少し怖いけれども、自分の幸せを相手に押し付けるおせっかいも時には大事なのかもしれない。
ともあれ、ちょくちょく出現するミートなんちゃらのアニメのキャラにクスッとくるし、必ずハマっていくのなんなん?
出会いと別れ、歌舞伎町で交差する人生を描く「優しい世界」
【イントロダクション】
『蛇にピアス』の金原ひとみ原作。新宿歌舞伎町を舞台に、“生きづらさ”を抱えた人々の出会いと再生を描く。
主人公・由嘉里役に『湯を沸かすほどの熱い愛』(2016)、『片思い世界』(2025)の杉咲花。由嘉里が出会うキャバ嬢・ライ役に、オーディションで選ばれた南琴奈。
監督・脚本に『ちょっと思い出しただけ』(2022)、『リライト』(2025)の松居大吾。その他脚本に國吉咲貴。音楽・主題歌を人気バンド、クリープパイプが担当。
【ストーリー】
夜の新宿・歌舞伎町。慣れない合コンで酔い潰れ、路地裏にて項垂れていた銀行勤めの27歳の女性・由嘉里(杉咲花)は、キャバ嬢のライ(南琴奈)と出会い、彼女の家に泊めてもらう事になる。
ライは出不精で自堕落な生活をしており、部屋はゴミで溢れかえっていた。由嘉里は部屋の掃除をする中で、自分の趣味である“推し活”について熱く語り、擬人化焼肉漫画「ミート・イズ・マイン」の推しカプについて熱弁する。実は、由嘉里は腐女子であり、「ミート・イズ・マイン」の推しカプであるトモサン(声:村瀬歩)とウルテ(声:坂田将吾)のぬいぐるみやアクリルスタンドを持ち歩く程の熱の入れようであり、その事を職場ではひた隠しにして生きてきていたのだ。しかし、27歳になって周囲の友人達は結婚・出産を機に界隈から離れてしまい、過干渉の母(筒井真理子)とはギクシャクした関係が続いていた。
ライはそんな由嘉里を否定する事をせず、由嘉里とルームシェアを始める事にする。だが、ライもまた希死念慮という問題を抱えており、自身の顔立ちに憧れる由嘉里に「どうせ死ぬから、貯金の300万円あげるよ。で、そのお金で整形すればいい」と不穏な言葉を掛ける。ライの人柄に惹かれた由嘉里は、そんなライに「生きる気力」を取り戻してほしいと考えるようになる。
ライとのルームシェア生活を続ける中で、由嘉里はライの知り合いであるNo.1ホストのアサヒ(坂垣李光人)と出会う。アサヒは既婚者でありながら、妻に複数の男と愛人関係を結ばせ、そうして得た妻の財力で毎月末に売り上げNo.1の座に就かせてもらっているという。そんなライとアサヒに連れられ、由嘉里はBAR「寂寥(せきりょう)」を訪れる。そこには、気さくで面倒見の良いオネエ気質のマスター・オシン(渋川清彦)と、常連客の毒舌な小説家・ユキ(蒼井優)が居た。
様々な事情を抱えた人々が、様々な理由でやって来ては去って行き、戻って来る者も居れば、二度と会う事のない人も居る。そんな歌舞伎町での生活の中、由嘉里はライからかつて付き合っていた恋人・鵠沼藤治(くげぬまとうじ)の話を聞き、ライの希死念慮を止める鍵はその元恋人が握っているのではないかと考えるようになる。
【感想】
歌舞伎町という、様々な人が行き交う場所を舞台に、その中で知り合った人々の交流を描いていく本作は、何か特別なメッセージを押し付けるのではなく、それぞれの立場で生きる人々を何処か優しく見守り、背中を押すような作品だ。
推し活に励みながらもそんな人生に滞りを感じる者、世間一般の価値観に迎合出来ない者、煌びやかな生活の裏で他人には見せない葛藤を抱えている者、来る者拒まず去る者追わずのスタンスで人間模様を眺める者等、皆それぞれ抱えているものが違う中で、その時その時のタイミングで出会う人が居る。それはまさしく、我々の現実生活そのものである。
そんな中でも、私は主人公の由嘉里の、30代を前に「このままで良いのか?」という岐路に立たされている姿に共感出来た。周囲が結婚や出産という世間一般的に“幸せ”と定義されている生活に移行していく中で、恋人もなく趣味に生きる自分の姿が酷く惨めに映ってしまうというのは、男女問わず現代社会を生きる若者が抱える問題だろう。
そんな由嘉里をはじめ、原作者が女性だからこその匙加減か、作中に登場する女性キャラクターは誰一人として性的に消費されない。その点が本作で最も素晴らしいと感じた。これが男性作家や一昔前の男性監督ならば、由嘉里に奥山との食事デートだけではなく、キスやSEXといった“先の出来事”までを経験させ、その上で「求めていたものと違う」と感じさせるのではないかと思う。また、自由奔放に見えるライの生き方の中にも、藤治という「忘れられない男性」が居る事に対しての、由嘉里の「恋人(藤治)と別れて以降、SEXはしてないんですか?」という問いに対する、ライの「そこまで純情じゃない」という発言でサラッと流す姿も印象的だ。藤治との関係を忘れられない中で生まれた心の隙間を埋める為に、客とSEXする描写等があっても描写としては不思議ではないのだが、それらは作品の本質には直接的には関わりのない、「省略しても問題のない要素」である為、そうした展開を描かなかった点に好感が持てた。
主演の杉咲花やオーディションで選ばれた南琴奈等の主要キャスト陣の熱演は勿論、脇を支える俳優陣も豪華で、味がある。個人的には、作家のユキを演じた蒼井優の台詞が印象的。
「それ(結婚して子供を産んでという生活)で幸せになれるのは、“幸せになる事”を幸せだって思える人よ」
「人が人を変えられるのは45°までだよ。90°、180°って変えたら、人は折れるよ」
傷付いた由嘉里を抱きしめるのが、ユキではなくオシンというのも良かった。バーのマスターとして、様々な人間模様を見て来た彼だからこその、由嘉里の青臭く不器用な価値観と挫折を優しく包み込む姿が美しく感じられた。
また、短い出演時間ながら、奥山譲(ゆずる)を演じたお笑い芸人・令和ロマンのケムリの演技も良かった。普段の眼鏡姿が印象的だったが、
長い間片思いし、ようやく付き合えたにも拘らず、半年間の交際期間で破局してしまった元恋人の事が忘れられず、由嘉里に思い出話を話す未練タラタラの姿には、「男は女を忘れられない、別れてもいつまでも心の片隅に自分の事を置いておいてほしい」という男性ならではの願望が有り有りと現れており、何処か女性を下に見ているような態度も相まって、「まぁ、そりゃあ別れるよね」と感じさせる。そして、残酷かな、女性は生物としての構造的にも、アッサリと過去の男を忘れられるものなのである。それが自分を満たせなかった不甲斐ない男なら尚の事である。
ただ、初対面の由嘉里をアッサリ部屋へ招くライや、それに乗っかる由嘉里。由嘉里の趣味を引く事も否定する事もなく、むしろその世界に素直に入って来てくれるライやアサヒの姿は、現実味が感じられない印象を受けるのも事実。よく言えば「優しい世界」なのだが、見方によっては「(主人公や物語にとって)都合の良い世界」とも解釈出来てしまう。また、登場人物のバックボーンが見え辛いというのも、そうした都合の良さを感じさせる。
主人公である由嘉里でさえ、母との直接的な関わりが描かれるのは、物語後半である。
少々話は逸れるが、序盤から提示されるLINEのメッセージや電話から、過干渉な母親であるであろう事や、由嘉里のライの抱える希死念慮を払拭したいという「価値観の押し付け」から、ある程度の親子関係は想像出来るのだが。そして、アサヒやオシンに咎められたように、やはり自分の物差しで測った「生きてほしい・生きるべき」という価値観を押し付ける由嘉里の姿は、彼女に世間一般的な幸せを享受してほしいと願う母親譲りである事が判明する。由嘉里が母に抱える感情は、思春期から続いているであろう反抗心であると同時に、実は“同族嫌悪”でもあるのだ。
話を戻すが、脚本術の基本として、「主人公以外のサブキャラクターはバックボーンを描く必要はない」というのがあるが、由嘉里とルームシェアをして“同じ空間で生活する”キャラクターである以上、ライのバックボーンはもっと詳細に描かれるべきであったように思う。
彼女の抱える希死念慮は、ユキの語った「日常に潜む細やかな絶望」によるものであるのかもしれないし、由嘉里のように何かに熱量を注げない冷めた自分の人生への諦めによるものであるのかもしれない。そして、現代では若者が何となく抱える希死念慮は珍しくない。生まれた時から物質と情報に満たされた世界で生きる中で、自分を見失う、自分の生き方を見出せないというのは、至極当然とも言えるし、ある種“現代病”だとも言えるだろう。
しかし、そのように観客の解釈に委ねる“曖昧な存在”に設定した事で、先述した「都合の良さ」を感じさせる要因になってしまっているのは間違いないと思う。
飄々とするアサヒに至っても、やはりその軽薄さの中に潜む葛藤や、そのような人格が形成された要因を何となくでも示してほしかった。途中から、最終的に由嘉里とアサヒは付き合うのではないかとも思ったのだが、そこの矢印が友達以上にならないのは現代的と言えるか。
また、邦画あるあるなのだが、やはり腐女子やオタクといった人物描写は、ステレオタイプ的で過剰に見えてしまう。あんな風に同人誌を読み漁り、コラボカフェやイベントではしゃぐファンも居るのは間違いないのだが、それはごく一部であり、ああした何処か滑稽さを窺わせる描き方は、本作の示す「それぞれの生き方の肯定」のノイズとなってしまっていたようにも感じられた。
最終的に、物語はライの失踪先や生存が判明しないまま幕を閉じる。しかし、由嘉里が彼女の部屋を引き継いだように、一度離れたとしても、何処かで人と人は繋がっているのかもしれないし、あの場所がライにとっての「変わらない帰る場所」である事は変わらない。そして、あの場所は由嘉里にとっての「新しい帰る場所」でもあるのだ。アサヒやオシン、ユキが遊びに来るあの空間は、由嘉里なりのライへの「帰りたくなったら、いつでも帰って来てね」という、人生のセーフティーゾーンなのだろう。
【総評】
都会の喧騒の中で、偶然の出会いを重ね、それぞれが様々な道を辿っていく本作。去る者、新しく来た者、出会いと別れの繰り返しは「人生」そのものであり、不満はありつつも、この「優しい世界」に言い表せない心地良さを感じたのは確かである。
余談だが、本作と同日に、同じく新宿歌舞伎町を舞台にした『愚か者の身分』(2025)を鑑賞した。あちらが歌舞伎町の「闇」を描いていたのに対して、本作は歌舞伎町の「光」を描いていたのだろう。
クリープパイプの主題歌のタイトルにあるように、『だからなんだって話』ではあるが。
優しい世界
杉咲花の最新作。
先日『愚か者の身分』を観たばかりだったので「また歌舞伎町モノかよ」と思いつつ、今年は『片思い世界』以来の杉咲花だなぁと、例によって何も事前情報を得ずにユーロスペースに足を運んだ。
結果、予想を大きく裏切って深く心に沁みる一作だった。
金原ひとみの小説が原作とのことだが、当方、この作品はもちろん金原の著作は読んだことがない。
しかしこの映画を観て、原作を読んでみたいとさえ思った。
ストーリーそのものは作品紹介ページを参照願いたい。
先に残念な点を挙げるが、杉崎の腐女子系の用語や「自分の推しを語る時に早口になる」というシーンで台詞が聴き取れないところが散見される。
しかし、そういうノリだ、ということだけわかっていれば、あまり気にならない。
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腐女子とかキャバ嬢とか歌舞伎町とかゲイのバーマスターとか、こんにちではその設定を聞いただけでステロタイプな予断を自動的に惹き起こしがちだろう。
けれどこの作品はそんな予断を、良い意味でことごとく裏切ってくれた。
登場人物たちの言動と、その行く末の「ものがたり」に予定調和がない。さりとて不誠実な飛躍や辻褄合わせもない。
原作の素性が良いのもあるのだろうが、脚本と演出が優れているように思えるし、それに役者たちが見事な演技で応えている。
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そして、やっぱり杉崎は上手い。
出演作をすべてを観ているわけではないけれど、『湯を沸かすほど熱い愛』で驚嘆し、『市子』で打ちのめされ、『片思い世界』で「参りました」と頭を垂れた。(途中『52ヘルツのクジラたち』はイマイチだったが・・・あれは彼女の責任ではない)
今回も、この世代では一頭地抜きん出る演技を見せる。
また、もちろん杉崎一人が創出している空間ではない。
決して派手な演技も台詞もないが、キャバ嬢ライ役の南琴奈の極めて個性的な空気感、存在感が「本当に、この人以外のキャスティングは考えられなかっただろう」と思える。
そして一見ウザ男に思えたホスト、アサヒ(板垣李光人)、バーマスターのオシン(渋川清彦)、バーの常連の作家ユキ(蒼井優)といったキャラたちの個性が際立っていつつもバランスが取れているし、何より本当にみんな優しいのだ。
なんだろう、この優しさは。
いわく言い難いが、単に「優しい」のではなく、それぞれに苦渋と涙を蒸留したような、きちんと距離を取った優しい空気を纏っている。
この眼差しが原作者金原ひとみのものなのだろう。
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特筆すべきシーンがある。
すでに大女優の風格を持つ蒼井が、バーで悩み嘆く杉崎に自分の人生を語る数分は珠玉である。世代は違えども、この実力派の二人の共演は凄すぎる。
このシーンだけでも観に行った甲斐があった。
また他のシーンも含めて、蒼井は自分の台詞がないショットで写り込んでいる時の微妙な表情や所作で、ものすごい演技をしていて舌を巻いた。
蒼井を観るためだけにもう1回観に行っても良いかもしれない。
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観終わってみれば、金原が創出する物語とその映像化が醸す独特の浮遊感というか漂流感に、自分もゆっくりとたゆたっている。
人生に何も確たるものなどない、という感慨を改めつつも、しかしそれは不安定で不安なことではない、と教えてくれている。
とにかく杉咲花さん
すごすぎました。焼肉擬人化漫画をこよなく愛する腐女子の由嘉里…というこのキャラクター設定、杉咲花さん以外に違和感なく実在感を持って表現できる人って他にいるのでしょうか。
目線の動きや早口で挙動不審な仕草など全身で由嘉里という人物を表現していて、演技というより憑依していると言っても過言ではない領域だと思いました。
推し活に邁進している姿は愛おしく優しい笑いを誘い、南琴奈さん演じるライをめぐる話では切実に人を想う気持ちが痛いほど伝わり途中涙が抑えられない程に感動していました。
映画自体が言葉に頼らない豊かな映像表現を用いて観る人によって様々な感想や解釈ができる余白を作っており、個人的にも後々ふとした時に思い出すような大切な映画体験をさせてもらったと感じています。
舞台である新宿で鑑賞することができたのもすごく印象的で映画館を出た後は新宿のごちゃごちゃした街並みが少し違って愛おしく見えました。
本作は単純に笑えるシーンも多く、年齢や性別問わず同時代に生きる人々が共通化できるテーマや感覚が多く内包されており射程がとても長い作品なので、変に先入観を持たずにフラットに鑑賞することをおすすめします。
最後に、杉咲花さんばかり言及してしまいましたが南琴奈さんや板垣李光人さん、蒼井優さんなど俳優陣の皆さん魅力的で素晴らしい演技されていたと思います。
銀行勤め27歳独身腐女子が出会った3次元歌舞伎町ワールドはどこか2.5次元風で儚げだけど とても優しい世界だった 今 問いたい「おせっかい」の意義
原作は金原ひとみの同名小説。私はこの小説を読み始めたとき、主要登場人物が今まで自分の周囲にはいなかったタイプで、かつ、これからの人生でもまあ出会わないであろう人たちで、あまり共感できないなあと思いながら読み進めていたのですが、読み終える頃にはそんな人たちがとても愛おしく思え、優しい気持ちになれました。そんな素敵な小説で長さも手頃なので、映画化には向いてるだろうなとは思っていました。
映画のほうもそんな原作小説の世界をうまく表現していて好感を持ちました。脚本も書いた松居大悟監督の演出もちょっとダサめながらも素直な感じで、主人公 由嘉里(演: 杉咲花)がずっとハマってきたワールド、擬人化焼肉アニメ「ミート•イズ•マイン」の世界、及び、彼女がこの作品の冒頭から出会うことになるニュー•ワールド、すなわち、ルーム•シェアを始めることとなったキャバ嬢ライ(演: 南琴奈)を始めとする新宿歌舞伎町に集う人たちの世界が、笑いを誘うシーンを交えつつ、うまく表現されていました(いわゆる「推し活」の描き方が類型的で陳腐なのがちょっと残念だったけど)。
キャストの人選とそれぞれの演じ方もとてもよかったです。南琴奈は初見だったのですが(たぶん。まあ初めて認識したということですね)、原作で読んだライの雰囲気をよく体現していました。道ですれ違えば皆が振り返るほどのルックスのよさを持ちながら、物憂げ、投げやりで、「死にたみ」希死念慮とともにヌルくなんとなく生きてる感じがよく出ていました。南琴奈は2006年生まれでまだ19歳なんですね。俳優としてのキャリアが彼女よりかなり長く9歳年上の杉咲花との共演だったのですが、健闘していたと思います。
映画化ということで生身の人間が演じ、そこに具体的な背景が映るとなると、やはり小説を読んでいたときには見えていなかったものが立ち昇ってくることがあります。ライとルーム•シェアを始めた由嘉里が推し活グッズを取りに実家に戻って母親(演: 筒井真理子)と出会い、話し込むシーンがあります。実家の周囲がそこそこのクラスの人々が住む住宅街にあり、実家がちゃんとした門のある一戸建てであることがわかります。父親はもう亡くなっているようですが、経済的には恵まれている家庭であることがうかがえます。それと、これは私の推測ですが、由嘉里には兄弟姉妹の影があまり感じられず、ひとりっ子ではないかと思われます。由嘉里は幼い頃から経済的に何不自由のない環境で両親の愛を一身に受けて育ってきたようですが、どこかの時点から、自分の幸せを願う母親の気持ちが煩わしくなってきたようでもあります。実は、この母娘、ライの希死念慮を心配して幸せに生きてほしいと願ってやまない由嘉里のことも考えると、やはりよく似てるんですよね。まあでも、母親と二十数年来いっしょに暮らしてきた由嘉里にとっては、旧来型の幸せを願う母の気持ちはどうしても過干渉になってしまうということなのでしょうか。
これに対して、ライやホストのアサヒ(演: 坂垣李光人)、小説家のユキ(演: 蒼井優)、バー「寂寥」のマスターのオシン(演:渋川清彦)等の新宿歌舞伎町に行き交う人々の家庭環境や過去については、ユキが悲惨な過去を少し話すぐらいで語られることは余りありません。お互いに本名を知らないぐらいなので、まあそのあたりは特にいいでしょ、といった感じで、皆、根無草的な雰囲気が漂っています。そんな根無草みたいで、周囲から愛されたり干渉されたりした経験に乏しい(たぶん)ライからしてみれば、ゴミ屋敷と化した自分の部屋をきちんと掃除してくれて、ゴミの分別の指導までしてくれた由嘉里の存在は、時にはウザいと思いつつ、やっぱり嬉しかったのではないかと信じたいです。
思えば、由嘉里とライの出会いは泥酔いして路上に座り込んでいた由嘉里にライが声を掛けたことから始まっています。私は小説を読んだときから、この話はなさそうでいて実はありそうな話だと思っていました。銀行に勤めるOL(死語?)とキャバ嬢が知り合っていっしょに暮らし始めるためには、東京が江戸だった頃からある、親切とかおせっかいとかが鍵になりそうです。でも悲しいかな、21世紀の東京では親切やおせっかいがリスクになることもあるんですけどね。
この話、ラストでライのことを思えば、けっこう辛い話のような気もしますが、なんだか優しくてほっこりするような鑑賞後感があります。由嘉里が自分とはまったくと言っていいほど来し方行く末が違っているライに施した数々のおせっかいは意味のあることだったと信じたい。ミート•イズ•マインぐらいしか「ワールド」を経験してこなかった由嘉里が歌舞伎町の友人たちという「ワールド」と出会い、これからもいろいろなワールドと向き合いながら、お母さんとも仲よくして幸せに暮らしてゆく未来を願っています。
なんか好き
主人公は現代日本の27歳、リアルなんだろうと思う。
昔の感覚だと大人だけど、18歳くらいの感じ。
でも、それが悪いとは思わない。
アニメオタクで、大人と子どもが混在してる。ここまで不自由なく育ててくれた親への感謝も今はまだわからない。
流れるように見入ってしまえた。キャバ嬢の子も可愛くて綺麗だし、杉咲花ちゃんはほんとに自然で、繊細かつ力強い演技。
日本は幸せだから、ゆっくり人生を送れていける。それぞれの個性は活かすべきだけど、アニメや推しに自分を投影する。
子どものようでも、頭が良いし、やる時はやるし、アニメっていうキャラが癒やしをくれる。こんな日本が守られるといいなと思いながら観てしまった。死ぬ事を考えながら、命の意味や大切さをその人それぞれ感じていけるといいんだろうな。いい映画だと思いました。
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