劇場公開日 2025年11月29日

「難解だけど乗り越える価値はある」みんな、おしゃべり! おきらくさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0 難解だけど乗り越える価値はある

2025年12月4日
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マイノリティが題材の映画は「マジョリティに問題がある」という結論に傾きがちな印象があるが、本作は「マイノリティにも問題がある」と、むしろマイノリティ側へ問題提起している点が新鮮に感じた。
マジョリティがマイノリティを見下す構図は、ヤフコメなどを見ればむしろ日常茶飯事だが、この映画ではろう者とクルド人の間で「あいつらは俺たちを馬鹿にしている」と、お互いが相手を見下し合っている。
マイノリティやマジョリティに関係なく、人間というのは他者を見下さないと生きていけない悲しい生き物なのかと思えて切なくなった。

この映画の中では、ろう者VSクルド人の大人同士の対立と並行して、特別支援学校内での別の障害を持つ子供たちの中での対立も描かれていくが、子供同士は共通の遊びを見つけた瞬間、あっという間に仲良くなっていた。
子供の時は、なんとなく嫌っていた人がふとしたきっかけで仲良くなることは珍しくないと思うが、なぜ大人になったらそれができなくなるのだろうか。

ろう者の通訳を担当する夏海とクルド語の通訳を担当するヒワは直接コミュニケーションが取れる関係なため、すぐに意気投合。
言葉が通じることの素晴らしさを改めて感じた。

そんな夏海とヒワは、物語が後半に差し掛かるあたりで、いがみ合う大人たちに愛想を尽かし、二人で別の街に遊びに行ってしまう。
ここからこの映画は驚くべき変貌を遂げる。

通訳二人がボイコットしただけではなく、なぜか字幕もボイコットを始める。
さっきまで出ていた手話やクルド語の字幕が一切出なくなる。
観客はろう者やクルド人が何を言っているのか全く分からなくなる。

まるでサイレント映画。
映画後半からサイレント映画になる作りは極めて珍しいと思う。

そこにトラブルが発生。
ろう者とクルド人たちがそのトラブルに対処していくことになるが、通訳を失った彼らはジェスチャーで意思疎通を試みる。

個人的に近年のサイレント映画で思い出すのは2024年公開の『ロボット・ドリームズ』だが、『ロボット・ドリームズ』は音声がなくても登場人物たちが何を考えているかがよくわかる作りだったが、本作はそんなに甘くなかった。

とにかくろう者やクルド人のジェスチャーがどんな意味なのかが、個人的にはほぼ理解できなかった。
ここで難解な映画になってしまったと思った。
途中から認知症らしき老人や中国人観光団体客も加わり、難解さに拍車がかかる。

彼らが何を言っているのかは分からない。
ただ、その場面を観ていて分かったことは「彼らは悪人ではない」ということ。
深く関わったわけでもないのにお互い相手を見下して罵り合う関係だったが、「困っている人がいたら助ける」という、人として備わっていて欲しい一番大事なものが彼らにはあった。

トラブル解決後は、ろう者とクルド人による打ち上げシーン。
言葉がわからないはずなのに笑い合う彼らから、コミュニケーションで最も大事なものが何なのかを教えられた気がした。
楽しそうに盛り上がる彼らを観ていて、最初は掴み合いの喧嘩をして睨み合っていたことを思い出し、あまりの劇的な変化に目頭が熱くなってしまった。
「罵り合うより笑い合う方が良くない?」と強く感じた。

正直この映画は台詞や演出に洗練されていないと感じる場面が多々あった。
特に個人的に引っかかったのは、電気屋に迷い込む少女のエピソード。
ろう者とクルド人が対立するきっかけとなる場面だが、中年男が飴玉で女の子を店の奥に誘い込む場面が、個人的には微笑ましい場面ではなく、おぞましい場面に感じてしまった。
ただ、映画として気になる場面は多々あるが、映画史に残るような挑戦をしていると感じたので、この映画を支持したい気持ちが強い。

おきらく