また逢いましょう

劇場公開日:2025年7月19日

また逢いましょう

解説・あらすじ

介護施設で織り成される人間模様を通じて、生と死の関係を深く温かくつづったドラマ。京都市のデイケア施設「ナイスデイ」を運営する伊藤芳宏の著書「生の希望 死の輝き 人間の在り方をひも解く」を原案に、「嵐電」のプロデューサー・西田宣善が監督、「夜明けまでバス停で」の梶原阿貴が脚本を手がけ、現代社会に生きる女性の視点を加えてフィクションとして描く。

東京でアルバイトをしながら漫画を描いている夏川優希は、父・宏司が転落事故で入院したとの知らせを受けて京都の実家に戻る。出版社に持ち込んでいた漫画の原稿も不採用となり、先の見えないまま京都で暮らすことになる。退院した父は介護施設「ハレルヤ」に通所を始め、優希も付き添いで訪れると、そこは利用者と職員が和気あいあいとリハビリに励む、居心地の良さそうな場所だった。優希はベテラン職員の向田洋子やケアマネージャーの野村隼人、利用者たちと交流するうちに、彼らを温和な笑顔で見守る武藤所長の考えの深さにひかれていく。

「嵐電」「夜明けまでバス停で」の大西礼芳が優希役で主演を務め、劇中の漫画とピアノ演奏も自ら手がけた。優希の父・宏司を伊藤洋三郎、施設のベテラン職員・洋子を中島ひろ子、所長・武藤を田山涼成が演じ、カトウシンスケ、筒井真理子、田中要次、梅沢昌代が共演。

2025年製作/91分/G/日本
配給:渋谷プロダクション
劇場公開日:2025年7月19日

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映画レビュー

3.5 介護を通じた人々の在り方と関わり方を考えさせられる

2025年7月21日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

知的

主にデイケア施設を舞台に物語が進行する、やや地味めな映画ではある。とはいえ、老父の大けがをきっかけに帰省した娘の視点で、介護が必要な人たちの心情や、施設職員らが抱えるさまざまな思いも描きつつ、すべての人にいずれ訪れる老いや障害による衰えや死について考えさせる内容は貴重だ。

プロデューサーや自主映画監督として実績のある西田宣善の劇場映画監督デビュー作だそう。単館系の小品の趣ではあるが、主演の大西礼芳をはじめ、中島ひろ子、カトウシンスケ、田山涼成ら主要キャストの演技は安定感があり、短い出演ではあるが筒井真理子、田中要次らも華を添える。大西は劇中の漫画やピアノ演奏も自ら手がけたといい、その多才ぶりにも驚かされる。

診療所所長でデイケア施設も運営する伊藤芳宏氏の著書が原案で、台詞や作文などの中に出てくる生死や哲学についての言葉が、おそらく元のテキストの影響で観念的になったり、説明調になったりしたきらいはあるかもしれない。ともあれ、生きるとは、死ぬとは、そして人が支えたり支えられたりして共生することについて、改めて考えるきっかけをもたらす意欲作であり、作り手たちの高い志を尊敬する。

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高森郁哉

2.0 ♪みっんなしぬっ みっんなしぬ~

2025年9月9日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

笑える

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uz

4.0 介護問題を温かく描いた作品

2025年8月24日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

笑える

悲しい

癒される

誰もにも等しく訪れる“老い”。また若くても訪れる可能性のある障害とリハビリ。これらを、若くはない監督(ご本人は年寄りとおっしゃっていましたが)が、ストレートに突きつける若い監督とは異なる優しい描きかた。優しく描きながらも、介護職への問題点を突きつける、柔らかい表現ゆえに問題提起。上演後、監督さんと言葉を交わしましたがたまたま、自分の母親が世話になっている施設の近くでのロケと。これから、団塊の世代の人たちが介護が必要になるときに。東京では介護制度がかなり深刻になると言われています。そんな事を考えさせられる映画。

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taju

4.5 いま必要なこと、大事なこと、明るく駆け抜けること

2025年8月20日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

笑える

驚く

核家族という言葉が死語になるほど少子化が進んだ昨今、「介護」を描く映画は我々すべてに現実を突きつけ、他人事ではないと思わせる。
それもそのはず、映画の原案となった本『生の希望 死の輝き 人間の在り方をひも解く』の著者・伊藤芳宏は、ずっと医療に関わり、個人診療所に、大規模デイケア施設を併設し、運営している。根底がリアルなのである。その人生哲学ともども、作中の院長・武藤雅治(田山涼成)のモデルであろう。施設に通う/住む人たちひとりひとりに聞き取りを続け、その半生を物語として互いに共有することで、周りや次代に伝える意味が浮かび上がり、自然と生きる活力にもつながっていく。
同時に介護士の報酬が、仕事の大変さに比べてつり合いがとれていないことや、絶対に避けて通れない下の世話の現実も描かれる。

タイトルが「会」ではなく「逢」であることにも、制作陣の意志が込められている。前者はあらかじめスケジュールを決めて実行する会合を意味するが、後者は偶然や運命による意味のある出逢いをあらわす。日々これを意識して過ごすことで、素通りが出逢いに変わる。さらにはクライマックスの「みんなしぬ」という、真面目とおふざけが半々でペーソスに満ちた歌に、死との出逢いや、死後や来世までをも含むニュアンスがあり、悲しさを突き抜けた悟りの世界へいざなう。

そんな社会派作品であるにもかかわらず、エンタテインメントの輝きを失っていないところは、脚本の梶原阿貴や、本作が劇場映画デビュー作となった西田宣善監督の手腕が大きい。そしてちょっと世間の常識からは外れているかもしれないけれど、確実に「ああ、いるいる、こういう人!」と思わせるキャラクターを、それぞれ演じる見事なキャスティング。みなどこか社会不適合で、コミュ障で、ひねくれてて、でも心の奥底では理解してもらいたかったり、自分も気づいていない本心を吐露したかったりで、愛すべき面々である。

東京でスランプに陥っている漫画家・夏川優希(大西礼芳)の元に、いきなりの連絡が入る。父・宏司(伊藤洋三郎)が転落事故で頸椎損傷したというのだ。
親ひとり子ひとり。優希は太秦に近い京都の故郷に戻り、半身不随の父の介護をせざるを得なくなる。
しかし父もまた、そんな自分に不甲斐なさ情けなさを感じ、会話もない進展しないぎこちない二人暮らしが始まる。

そんな状況が、父のデイケア通いとともに徐々に打破されていく。この「徐々に」というのがポイント。
施設のベテラン職員・向田洋子(中島ひろ子)は、常に明るく率先してレクリエーションを考えていくが、どこか意識高い系の空回り感がある。
洋子の別れた夫は、脇役を地味にこなす俳優(田中要次)。
このふたりの高校生の娘ルイ(神村美⽉)は、母とは反りが合わないが、優希には興味を示して異なる一面を見せてくれる。
主に宏司のケアマネジャーを担当する野村隼⼈(カトウシンスケ)は、仕事以外はなかなか不器用で異性とのおつきあい経験もあまりない。
施設の利用者のひとり東田梅子(梅沢昌代)は、若い頃の栄光が邪魔して時々言動が鼻につく。
若くして車椅子生活になった加納ゆかり(田川恵美子)は、人を寄せ付けず自分の殻にこもっている。
そんな人々の関係が、出逢いと少しの関わり合いによって、新たな地平へと向かっていく……

しかし主演の大西礼芳には存在感がある。そこにいるだけで惹きこまれる。
鋭い頬骨の線。通った鼻筋。大きな口。
妖精を思わせるアーモンド型の大きな目の奥に、底知れぬ感情が宿る。怒り、悲しみ、悲しみ、嫉妬?
表情を見ているとなぜか胸が苦しくなる。

今回は漫画家役ということで、作中の漫画も販促ポスターのイラストも大西自身が手掛けた。
レクリエーションで歌う場面もあるため、ピアノ演奏も歌唱も吹き替えナシ。何という才能だろう。
そんな大西が、すべてのしがらみを振りきった笑顔で、飛ぶように駆けるメインビジュアルは、我々の行くべき先への道しるべとなっている。

いま見るべき映画である。

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健部伸明