罪人たちのレビュー・感想・評価
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超常音楽合戦
前半のドラマ部分がとてもきめ細かく丁寧に描かれています。
シカゴで一旗上げて(実は犯罪に手を染めて)帰郷した双子のブラザーフッド、地元での酒場開業準備の高揚感、追いかけてきた恋人や愛する妻との恋の行方、二人を慕う従兄弟サミーの成長譚、根深い人種差別、キリスト教的宗教感や南部独特の風習などなど。
そして、ブルースを始めとする音楽シーンの素晴らしさ!特にサミーのギター演奏を皮切りに、時空やジャンルを超越した音とダンスのセッションが、想像を軽やかに裏切っていきます。このシーンは圧巻。
さてさて後半のホラーセクションです。確かに付け足し感は否めず、減点対象になってしまいますが、バンパイアルールの律儀な踏襲など、これはこれで工夫はされていたと思います。まあ前後半セットで本作の混濁した魅力と言えるのではないでょうか。
「トゥルー・グリット」のヘイリー・スタインフェルド、成長してすっかりイイ女になりましたね。
変な映画
端的に言って「変な映画」。
ホラーだし音楽映画だし人種差別を描いた映画なんだけど、それが一本に融合し切れてない。
お湯と水の蛇口をひねったのに、出てくるのはぬるま湯じゃなく、熱いお湯と冷たい水がそれぞれ別々に主張してるみたいな。
でも、それが逆に「味」になっていて、この映画の「なんか見たことない」という感覚に繋がっていく。
だから、これをあまり面白いないと感じる人の気持ちはすごく理解できる。
そんな、ギリギリのバランスにある作品だった。
私はそのバランスの不安定さが楽しかった。
まだまだ南部にはプランテーション農場の小作人という奴隷同然の生活が残っており、アフリカ系アメリカ人たちは劣悪な環境で暮らしている時代。
彼らに自由はなく、お金だって農場関係者の間でしか使えない、木でできたコインを持ち歩く生活。
やって来たパンパイアたちは彼らに「俺たちの仲間になれ。こっちの世界の方が楽しいぞ」とうそぶくが、それは決して間違ってはいないのが現実だ。
主人公のスモークとスタックは、シカゴのマフィアから金と酒と武器をせしめてこの故郷に戻り、苦しい生活を送る仲間たちの憩いの場所を作ってビジネスをしようと考える。
しかし、自分たちの自由になる金なんて与えられていない小作人達の窮状によって、彼らの商売もままならないことを知る。
しかし、酒場には音楽と踊りが溢れ、サミーの歌声は時空を超越して、過去や未來から世界中の音楽パフォーマンスを呼び込むまでの力を発揮する。
エンドロールで、ブルースシンガーとして高齢ながらもステージに立ち続ける主人公サミーの将来が描かれ、そこにバンパイアとなって永遠の命を手に入れたスタックとメアリーが当時と変わらぬ姿で登場。
何十年も前、人間としての命を失ったあの惨劇の夜を振り返って、スタックは
「あの夜までの数時間、間違いなく俺たちは幸せだった。そこには兄貴もいたし、何より自由があった。」と邂逅する。
危険を覚悟し、それでも自分たちや故郷の仲間のために新たな一歩を踏み出そうとしたスモークとスタックの姿を見て、サミーのシンガーとしての姿がある。
あの日、真っ青な空の下、綿花畑の中を進む彼らの車の前には、どこまでもまっすぐの道が続いていた。
その希望に満ちた車中でサミーが披露したギターと歌声を見初めて、スタックは彼の背中を押したんだ。
そんな、劇中にちりばめられた過去の彼らの苦しみや喜びが、音楽と一緒にフラッシュバックする。
私のレビューも、この映画だけを観ての、というよりは、その後いろいろな識者の記事や評論を聞いて補完した後の受け売りだったりするワケで、偉そうに言える立場ではないが、予備知識はできるだけ入れず、スクリーン上に次々と巻き起こる展開に振り回される楽しさを味わって欲しい。
これは…
タランティーノがノリノリだった時期のフロムダスクティルドーン⁉️
前半の音楽パート、店を開くまでは良かったけど、肝心の吸血鬼パートが荒削り過ぎと言うかアイリッシュバンパイアは何故、南部まで流れアメリカンインディアン、原住民から追われ、主人公たちに絡んだのか❓
音楽の力、ブルースが悪魔を呼び寄せたのか。
劇場の音響で音楽は良かっただけに残念。
ラストはハウリング⁉️
思い込み
内容紹介を見ないで鑑賞したのですが、勝手に当時の人種差別の物語だと思って見てたら、なんか少し違ってました💦吸血鬼との戦いの物語でした。ストーリー的にも少し残念でした。
ネタバレを何処かで見てしまったので予想通りの展開ではありましたが、...
歌と欲と暴力の物語
序盤、ダレてしまいました。
鑑賞前の想像では、まずは「フロム・ダスク・ティル・ドーン」のようなパニックアクションを妄想していました。
事実、物語の導入から恐怖感を植え付ける演出が有ったので、予想通りのパニックやグロさを覚悟して鑑賞したところ……小一時間でダレてしまいました。
導入のサミーの緊張感ある映像から、その本題到達までが……長過ぎた。
前半小一時間の前置き物語も長過ぎました。
それでも、物語の根幹に深く繋がりがあるのかなと、想像して観続けた結果、あの小一時間の前置きは、相当量カットしてもいいのではと思いました。
くどいようですが、導入の「見せ方」からして、多くの人がパニックとアクションを想像せざるを得なかったと思うのですが、小一時間の起句が、普通のロードムービーのような、ある意味安定した緩やかな語りだった。
それ自体は別にいいのだが、本作をバンパイアとのアクションを想像していた限りでは、あの小一時間の導入は、個人的に受け入れられなかった。
途中バンパイアが進攻してくる映像を入れていたため、「戦いはいつ始まるの?」と、ウズウズしてしまった人も少なくないのでは。
結局、本格的なバトルは、なんと終盤の15分程。
これには、ド肝も抜かれた。
この映画は、アクションではなくロードムービーの様な、音楽と人種問題と酒と女の映画に少しホラー要素を盛り込んだ作品でした。
映画のタイトル「罪人たち」には当てはまる描写は多く有った。
主人公の兄弟自体、当時のシカゴから下ってきた有名な悪党だし、青少年の不倫、セックス、酒、暴力、差別、音楽(これも罪として描いていると感じた)、その巣窟に襲いかかる悪の象徴。
KKKとの確執やネタ明かしや争いに関しては、もう、何がなんだかの目線で勢いで見るしかなかった。
バンパイアとの争いとは直接関係ないし、物語の本筋と捉えるには、あまりに中途半端な存在感だった。
この映画、おそらく欲との攻防、差別問題、人間愛、それを紡ぐ音楽(ブルース)を見せたかったのだろうと考察する。
バンパイアは取り入れなくても良かったのでは。
そもそもバンパイアの設定や見せ方自体が中途半端で留まっているし、明らかにアクションやホラー要素は二の次になっている。
途中で度々退散するバンパイアとか、何で家に入れないのかと、また誰でもいいから入室を許可しただけで何で入れるのかとか、何でサミー(音楽)がバンパイアにとって重要な要素なのか、説明がまったくなかった。
バンパイアとの最後の戦いの幕開けも、何とも無理矢理感(中国人女性の我慢が出来ないがための発声。限界を超えた緊張感が伝わらなかった。)が否めなかった。
ラストはあっちこっちに飛んで何とか結末を納めたが、正直、首を傾げる物語でした。映像の見せ方も中途半端と言わざるを得ない。
評価する点は、音楽やブルースの映像は良かった。
マイケル・B・ジョーダンさんの最後の黄昏も悪くはない。
サミーじい様のくだりや、サミー青年のギターソロのくだりも、それだけ切り取って観れば、悪くはない。
各演出や見せ方を個別に切り取って観れば悪くはないのだが、それでは1つの物語として成立しない。
いかんせん物語の結合性が、あまりに無理矢理だった。
バンパイア無しで、ブルースと差別をテーマにしたヒューマンドラマで良かったと思う。
バンパイアの存在に、大きな意味が有ったとしたら、申し訳ないが自分には理解できなかった。
妙なミュージカル性やパラレル性を取り込んだり、制作者は色々と、複雑な全てを表現したい気持ちが強すぎたのかもしれない。
見る人が見ると、また違った見方ができるのかもしれない。
Devil of the Delta Blues Singers. ジャンル全部載せ、灼熱のガンボ・インフェルノ!!
1930年代のアメリカ南部を舞台に、若きブルースマンとその仲間たちが体験する恐怖の一夜を描くミュージカルアクションホラー。
監督/脚本は『クリード チャンプを継ぐ男』や『ブラックパンサー』シリーズの、名匠ライアン・クーグラー。
新たに酒場をオープンした双子のギャング、スモーク&スタック兄弟を一人二役で演じるのは、『クリード』シリーズや「マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)」のマイケル・B・ジョーダン。
スタックの元恋人、メアリーを演じるのは『はじまりのうた』や『スパイダーマン:スパイダーバース』シリーズのヘイリー・スタインフェルド。
神楽、読経、雅楽、聖歌、ゴスペル、ケチャ、ハカ、レゲエ、ナシード等々、古来より洋の東西を問わず音楽は“異界“との交信の為に用いられて来た。精霊や御霊、神を鎮魂、あるいは礼賛するのが目的なのだが、往々にして彼方の存在は正邪の境界が曖昧になるものである。
従来の西洋的“清きもの“へのカウンターとして生まれたブルースは、「悪魔」と結びつけて語られる事が多い。“史上初のロックスター“とも称される伝説的ブルーズマン、ロバート・ジョンソンは十字路で悪魔と契約を交わし、天才的なギターの腕前と引き換えに自らの命を捧げたという。享年27。この後、天才的な才能を持つミュージシャンが27歳でその命を落とす事例が頻発する。ブライアン・ジョーンズ、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソン、カート・コバーン、エイミー・ワインハウスなど、悪魔を魅了しその魂を引かれた者たちの事を「27クラブ」という。
ロバート・ジョンソンをはじめとする27クラブのメンバーに限らず、ブルースの世界では傑出したミュージシャンの早逝は珍しい事ではない。
「20世紀前半で最も優れたブルース歌手」リロイ・カーは30歳、「ロックンロールの祖」スリム・ギターは32歳、「キング・オブ・ザ・カントリー・ブルース」ブラインド・レモン・ジェファーソンは36歳、「天才ハーモニカ奏者」リトル・ウォルターは37歳、「三大キング」のひとりフレディ・キングは42歳、「キング・オブ・ザ・スライドギター」エルモア・ジェームスは45歳。作中、プリーチャー・ボーイが持つギターの前の持ち主だとされた「デルタ・ブルースの父」チャーリー・パットンも43歳で亡くなっており、この様に50歳以下で魂を悪魔に奪われたブルーズマンは後を絶たない。
この場合の悪魔とは「病」あるいは「事故」、はたまた「酒」や「ドラッグ」などを指すわけだが、今作ではブルースが文字通り本物の“悪魔“を連れて来てしまう。
前半、アル・カポネの下から金を持ち逃げしてきた双子のギャング、スタック&スモークが仲間を集め、黒人専用の酒場をオープンさせるという件(舞台となる1932年はまだ禁酒法が施行中であり、酒場で酒を提供する事は“罪“とされた)から一変、後半では迫りくる吸血鬼を酒場で迎え撃つアクションホラーが展開される。更に最終的にはKKKとの銃撃戦まで繰り広げられるという、正にジャンル映画の“ガンボ・インフェルノ“である。
怠惰、強欲、色欲、暴食、嫉妬、傲慢、憤怒といった“大罪“を享受する酒場の面々vs吸血鬼という、内容だけ聞くとバカバカしい映画の様だが、天才ライアン・クーグラーがただ騒がしいだけの映画を撮る筈がない。長編デビュー作『フルートベール駅で』(2013)で見られた人種差別への鋭い視線や、『ブラックパンサー』(2018)で描かれた黒人文化へのリスペクトが全編を貫いており、非常に知的で洗練された印象を受ける一本である。
黒人たちを襲撃する、ジャック・オコンネル演じるヴァンパイアにも注目したい。
ブルースに誘われただけあり、彼もまた音楽的な素養に溢れている。彼とその下僕たちの演奏には黒人たちも「悪くないな」と感心してしまうほど。
ここで彼が演奏しているのはアイリッシュ・フォーク。白人音楽であるフォーク・ミュージックは黒人音楽のブルースと交わり、やがて「スキッフル」というジャンルに変化。海を渡ったスキッフルはイギリスで流行し、ブルースの派生系である「ロックンロール」と同化。イギリスで「ロック・ミュージック」として生まれ変わったこのジャンルは祖国アメリカをも席巻した。
この現象は「ブリティッシュ・インヴェイジョン(英国の侵略)」と呼ばれるが、その名が示す通り、黒人音楽のブルースは白人音楽のロックに取り込まれ衰退してしまう。考えてみれば、これは「文化の盗用」と呼ばれるギリギリのラインである。
ジャズの世界ではベニー・グッドマンが「スウィングの王様」、ロックンロールではエルヴィスが「キング・オブ・ロックンロール」、ヒップホップではエミネムが「史上最も影響力のあるラッパー」と、常にブラック・ミュージックは後に出て来た白人アーティストにそのジャンルのお株を奪われて来た。もちろんこれはそのアーティストに天才的な才能があったからこそだが、ただそれだけではないと言う事も頭の隅に置いておく必要があるだろう。
『ブラック・イナフ?!? -アメリカ黒人映画史-』(2022)という、デヴィッド・フィンチャーとスティーヴン・ソダーバーグがプロデュースしたドキュメンタリー映画があるが、これは映画界における白人による黒人搾取=「ブラックスプロイテーション」に着目した作品である。これに描かれている様な黒人の文化が白人に搾取され続けている現状に対する批判的なメッセージを、彼はフォークミュージックを奏でる白人ヴァンパイアという形で暗に示しているのだ。
全米で大ヒットしたというのも頷けるエンタメ的な面白さと、批評家を唸らせたというテーマ性が見事に合致。ジャンル映画的な観点でいうと、ちょっとスマートすぎて下品さが足りないという不満もあるが、まぁここまでの完成度の映画はなかなかお目にかかれない。見事っ👏
本作はクーグラー監督の長編5作目だが、早くもキャリアを総決算するかの様な力作を作り上げてしまった。この後が大変だと思う一方、次にどんな傑作を作るのか興味が尽きない。
今最も注目されている映画監督、ライアン・クーグラー。彼の動向に目が離せませんっ!
※「世界で最もセクシーなアニオタ」ことマイケル・B・ジョーダン。クーグラー監督はデビュー作から一貫して彼を起用し続けている。監督した長編映画5本全てに出演しているどころか、プロデューサーを務めた『スペース・プレイヤーズ』(2021)でも死ぬほどしょうもない使い方で彼を出演させている。今作でももちろん彼を起用しているのだが、まさか2人に分裂させちゃうとは…。どんだけ好きなんだよっ💦💦
何はともあれ、本作を観たトム・クルーズはBジョーダンの演技を絶賛し、「次の映画では絶対彼と共演するっ!」と息巻いているらしい。確かにトムクルとBジョーダンの共演は観てみたい!Bジョーダン、あんた多分近いうちに上空3,000mくらいのところでで格闘スタントやらされるぞ!気をつけなはれやっ!!
前編と後編で全くジャンルの違うミュージカルホラー爆誕!!
鑑賞動機:アメリカでの評判5割、あれもしかしてFDTD系?4割、ヘイリー1割
おや、またジャック・オコンネルと遭遇。
IMAXサイズなのは一部分だけ。確かにそのシーンは驚いたしすごいなとは思った。開店までが長すぎるのと、終盤の乱戦が今ひとつというか、もっと少数で戦える状況を作って欲しかった。でもディープサウスと吸血鬼はやっぱり合う気がする。
対立させるもの
罪人たち(映画の記憶2025/6/27)
南部アメリカ的なノリでお届けする吸血鬼ものという謎テイストに惹かれて観に行ったわけで。フロム・ダスク・ティル・ドーン的な感じかなと思ったが違う感じだった。歌がキーワードだったかな。文化的な意味で黒人さんだいたいこういう雰囲気の映画好きだとは思う。
なので、吸血鬼=きれいな女性の生き血を啜る的な先入観ある方が観ると違和感しかないからお気をつけを。
ブルースがなきゃロッテントマト高評価なかった説。ストーリーの主軸だから外せんけど。内容的にはありきたり感はあるがストーリー的には分かりやすく良かったんじゃない?
ただ納得いかなかったのが最初のくだりよ。再登場あってもいいんじゃないかw?
一見普通なんだがパーティカルワールドの使い方が上手いなと思った技術的なとこ。Trapcode使ってそうでもあったが。光を上手く使うのも相乗効果的にはあったかもね。蛍光灯的な青系光を消して、暖色系に振ってた感じだったし。ジョークもありだが、英語分からん人はポカンとするかもね。実際日本語字幕で笑ってた日本人と英語圏外人さんの笑うタイムラグがある意味面白かったが。
(個人的評価6点/10点中)
設定は素晴らしかったが個人的肝心なシーンがう〜ん…という
大変期待していたのだが、真昼間にも関わらず仕事の疲れが溜まってるのか辛抱効かずうつらうつら眠気が襲う。これは自分の体力の問題かと思ったがいや単純にそんなに面白くないのでは、というのが後半ハッキリする。
設定も狙いもメチャ面白い。ただこれ演出も音楽も違う人で観たかった!という感じ。
南部、悪魔に魂を売ったとなれば、ウォルター・ヒル、ライ・クーダー、ラルフ・マッチオの『クロスロード』なんだけど、同じ座組かジョン・カーペンターでもアラン・パーカーでもいいんだけど、およそ80年代のレジェンドのどちらさんかで観たかった。そのくらいホラーとアクションパートがイマイチで、実は音楽も(これは好み)。。建物の入口で呼ぶの呼ばれるの入れるの入れないこやってるのはまあ笑ってみてたし、南部の暗闇から吸血鬼たちの歌声が聞こえるとかもいいし、最後のKKKにぶっ放して皆殺しというのも胸がすく思いなのだけど脅かしが音のデカさの演出中心でとても残念な感じ。この監督はあまりそっち系が好きではないクレバーなお人なのかと思った。
でもアイデアというか設定はとても面白いのでどなたかリメイクしたら、と思った。
なるほど
話題作ということで観ました。
特殊な時代背景の中で描かれる吸血鬼の物語としては、確かに斬新だし、メッセージ性も強く感じた。
ただ、単純に物語の展開だけを見ると、言うほどどんでん返しがあるわけでもなく、むしろさまざまな要素がうまく噛み合っていないように感じた。
音楽が悪魔を招くような話は何度もあったけど、一番最初に現れた吸血鬼がそれと関係なく、ただ唐突に現れて、どこから来たのも最後まで不明なまま。途中で一人謎の死があったが、それも解明されてない。さらに女性が怒りにまかせて、何の準備もないまま吸血鬼を部屋に入れて共倒れするような展開にも、正直納得できなかった。結局この話にはなぜ吸血鬼が必要なのかよく理解できてないです。
この映画が評価されているのはストーリーではなく、ほかの要素によるものだと思う。
お前も鬼にならないか杏寿郎
2025年劇場鑑賞188本目。
エンドロール後映像有り。
最初の役者だけのクレジットの後にもあって、そこはがっつり本編なのでそれ観ずに帰った人何人かいてあーららという感じでした。
酒場に吸血鬼が襲ってくるという、黒人版フロム・ダスク・ティル・ドーン(未見ですが)なんですが、前振りがなげぇ・・・。いや、全く必要がないことはないんです。後の酒場での人間関係とか、大事なことではあるのですが、結局観たいのそこじゃない・・・。
それはそれとして、吸血鬼のジレンマと勝手に自分の中で名前をつけているのですが、噛まれた人が全員吸血鬼になるのなら全員なってしまったらなってしまったでそれはもう元の人間のコミュニティと同じではないのだろうか、ただそうなるとご飯どうする?という問題が出てくるわけです。鬼滅の刃の鬼は全員を鬼にするわけではなく、食べきって殺してしまうのがほとんどなのが問題なのと、肝心の親玉がちょっと気に入らないとすぐ殺しちゃうので鬼になるメリットがめちゃくちゃ低いのですが、こっちはそこまでアホな親玉でもないみたいなので吸血鬼になったらなったでいい気もしちゃうのが見どころでした。そこら辺のやり取りの方がもっと見たかったなぁ。
NO ジャンル
ライアンクーグラーとマイケルBジョーダンとルドウィグがタッグ組んだら期待値上がるけど、それを超えてきた。
映像もワンカットも綺麗で見やすくて、不気味なとこは怖い。人間くさいこと描いてるのに非常に上質なバンバイア映画に仕上がっている。そしてサントラがすごくいい!!
日本人の私が書くと陳腐な言葉しかでないけど、いろんなこと混ぜてるのに落ち着くとこがすごい
終わってからジワジワ…これは映画館で見て帰り道でいろいろ考えたくなる映画
あ、エンドクレジットでてもまだ帰らないでね!
追記 遅ればせながらサインインやり直したら、今までの履歴が消えてしまった泣 移行トライしてるけど疲れてしまった
招かれざる者とは・・・なんと
1932年、アメリカ南部の田舎町に双子の兄弟スモークとスタックが戻ってきた。2人はシカゴで金を稼ぎ、故郷のこの地で、小屋を買い取り、当時禁止されていた酒や音楽を聴かせる黒人向けダンスホールを開店した。開店初日の夜、多くの客が来店し、熱狂していたが、そこに現れた3人の白人が・・・さてどうなる、という話。
死んだはずの人が生きてたり、空中を飛んだりと、ゾンビ映画だったのかと思ったら、吸血鬼の話だったとは、びっくりした。
泥棒に対して容赦なく銃を向け発砲するなど、驚かされるシーンが多かった。
ブルース、アイリッシュ、など良い音楽は聴きごたえあった。
主人公の双子をマイケル・ジョーダンが1人2役で演じてたので、兄と弟の見分けがつかなかったし、ま、どっちでも良かったけど。
メアリー役のヘイリー・スタインフェルドは可愛かった。
クーグラーの新境地
昨今の映画製作では原作や続編物が多い。もちろん、それらの前提がある物の方が興行的な見通しも立てやすすく、制作会社からしたらリスクが少ないだろう。
本作はライアン・クーグラーによる完全なオリジナルである。この挑戦的な作品を作ろうとしたクーグラーやそれに賭けてみようとしたワーナーには賞賛を送りたい。
これまでにも人種問題を取り上げつつ、エンタメとして成している作品は主にスパイク・リーなどが作ってきた。クーグラーはブラック・パンサーの一作目からその傾向が強かった。
白人の純血以外は認めないというジム・クロウ法をもとに白人=ヴァンパイアという視点やパブの扉を人種の境界としている点、アイリッシュミュージックとの対比も素晴らしい。
ヴァンパイアが感情共有を共有して苦しむ様はどこかカルト宗教的なものを感じる。
また本作は劇中にほぼ絶え間なく音楽が流れている。
彼らがつらい扱いを受けているときでも歌を口ずさんで乗り越えてきたような文化を象徴とさせる。
クーグラーには続編には向いていないのかもしれない。
ブラックパンサーやクリードも一作目が素晴らしいが続編になるにつれて弱くなっていく。
本作のインタビューではフランチャイズから離れたかったという発言もしている。
フランチャイズで実績を積みつつ、本作の様な作品が今後も観れるのであれば否応なく彼の作品は観続けるだろう。
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