「ヴァンパイアの映画にする必要はあったのだろうか?」罪人たち tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
ヴァンパイアの映画にする必要はあったのだろうか?
双子の兄弟が、何やら良からぬことをして手に入れたらしい金と酒で、ダンスホールを開こうとする前半と、開店したダンスホールを舞台にして、店のスタッフとヴァンパイアたちが激闘を繰り広げる後半との、話のギャップに驚かされる。
まるで、「カラーパープル(ミュージカル版)」を観ていたら、「フロム・ダスク・ティル・ドーン」が始まったみたいで、よく言えば、「ひと粒で2度美味しい」お得感が味わえるのだが、悪く言えば、ドラマとホラーの「食い合わせの悪さ」を感じてしまうのである。
この前半と後半を繋ぎ止める役割を果たしているのがブルースの音楽で、その魂を揺さぶるような歌声が、店に客を呼び寄せるだけでなく、悪霊をも呼び寄せてしまうという設定は面白いし、登場人物たちだけでなく、エレキギターを持ったロック歌手やクラブのDJ、あるいはアフリカの原住民や京劇の役者までもが入り乱れて踊り狂う幻想的なシーンも、時間と場所を超越した歌唱が体感できて圧巻である。
その一方で、音楽に関する知識がないせいか、ヴァンパイアたちが、どうしてアイルランド系のカントリー&ウェスタンを歌っていたのかがよく分からなかったのだが、これは、KKKなど、黒人を迫害した者たちが、よく歌っていた「白人の歌」ということなのだろうか?
それから、ヴァンパイアの弱点として、太陽光線を浴びたり心臓に杭を打たれたら死ぬとか、ニンニクに弱いとか、許可がなければ家の中に入れないとかといったオーソドックスなルールが適用されているのだが、その反面、十字架や聖水に弱いといったキリスト教に関連のあるルールが用いられていないのは、何か意味があるのだろうか?
映画のタイトル(Sinという単語)からは、強いキリスト教色が感じられるものの、最初のヴァンパイアを追いかけていたのはネイティブ・アメリカンだったし、主人公の妻はブードゥー教の知識でヴァンパイアに対抗していて、こと、ヴァンパイアに関しては、敢えてキリスト教色を排除しようとしているようにも感じられ、タイトルとのギャップに違和感を覚えてしまった。
ヴァンパイアとの戦いが終わり、一人生き残った主人公が、夜が明けてやってきたKKKの一団を銃で壊滅させるくだりも、爽快ではあるものの、何だか取って付けたような唐突感があって、「収まりの悪さ」が感じられる。
これだったら、黒人たちと、ヴァンパイアと、KKKの三つ巴の戦いにしても面白かっただろうし、いっそのこと、KKKがヴァンパイアだったという設定にしたら、人種差別に対する黒人の反撃といった構図が、より鮮明になったのではないかと思えてならない。
いや、むしろ、ヴァンパイアなんて登場させずに、黒人が開いたダンスホールをKKKが襲撃して、それを黒人たちが撃退するといった話にしてしまっても、抑圧に抗う黒人の物語として成立しただろうし、音楽あり、アクションありの、十分に面白い映画になったのではないかと思えるのである。