ザ・ザ・コルダのフェニキア計画 : 映画評論・批評
2025年9月16日更新
2025年9月19日よりTOHOシネマズシャンテ、WHITE CINE QUINTOほかにてロードショー
無駄を優雅に、エレガントに、ゴージャスに作り込む美学の粋
繰り返される暗殺の試みを未遂のままにくぐり抜け、6度目の墜落事故をサバイブした“larger than life”な存在、ちまちまとした実物大の日常とは無縁、リアルを超えたどてらい男ザ・ザ・コルダ――50年代欧州に君臨する大富豪が血まみれの顔で生々しい墜落現場にヌッと立つ。演じるベニチオ・デル・トロのこってりと脂身多めな持ち味もあってン⁈ かわいくおしゃれなウェス・アンダーソン(以下WA)界の変貌かと、思わず身を乗り出したくなるすべり出しだ。
が、続くオープニング・クレジット、豪邸のバスタブで優雅にくつろぐザ・ザを俯瞰のスローモーションに掬い取る長まわしは、瀟洒な床のタイル、ビデでさりげなく高級ワインのボトルを冷やすノンシャランな洒落ものぶりに目をやってああ、相変わらずおしゃれなWA界健在、ただしちょっとかわいさはセーブ気味、と新世界構築への意欲も感知させる。

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そんな一場に「アンタッチャブル」のブライアン・デ・パルマへの目配せを指摘するプロダクション・ノートはまた、オーソン・ウェルズ、ジュリアン・デヴィヴィエ、ジャン=ピエール・メルヴィル、さらにはルイス・ブニュエルへの言及にもふれていて、これみよがしの対極で静かに全うされているWA的シネフィル道のことを思わせもする。
で、デ・パルマといえばアルフレッド・ヒッチコックとついつい妄想を逞しくするとトウモロコシ畑に墜落というのも「北北西に進路を取れ」をかすめ見て? と勝手にうれしくなってくる。もっといえばタイトルにもある“フェニキア計画”そのものがヒッチ曰くの「なんでもない」もの=マクガフィン、筋を運ぶためだけのいってしまえば大いなる無駄なのではと思えてくる。その無駄を優雅に、エレガントに、ゴージャスに作り込む、そこにWAの美学の粋があるのだと改めて感じ入りもする。
シューボックス(「グランド・ブダペスト・ホテル」のお菓子箱のピンクから渋い茶系になっている点も要チェック)に箱詰めにされた“計画”とその損益補充の担い手確保をめざして断行される旅。水運、鉄道、発電と壮大な計画をめぐって華麗なるスターを配したプロットは大詰めの異母兄弟ザ・ザとヌバルの取っ組み合いの子供じみた喧嘩まで(WAと仲良しの監督アルノー・デプレシャンの家族もの、こんがらがった神話と系図のことも少し想起させる)、それぞれに世界最古の映画スタジオ、バーベルスベルグの底力を味方につけて構築された世界で贅沢に展開される。無駄にこそ贅を尽くす心意気を貫いて本物の絵画、宝石をそこここにあっけらかんと置く映画は、しかしその大いなる無駄の果てに父娘のほとんどハードボイルドなやりとりに滲む濃やかな親愛の情、そこに行き着くまでの波乱万丈の行路をこそ物語の核心としてみせる。
くわえてちょっと超現実な天上界、宗教的なモチーフ、はたまた父娘再会のテーブルに居座る頭蓋骨が象るメメントモリ(死を想え)やヴェニタス(人生の虚しさ)のモチーフのさりげない置き方でWA世界の成熟を否応なしに思わせもするだろう。おまけの情報として、疎遠の父娘をめぐる物語をもうひとりのアンダーソン、PTA(ポール・トーマス・アンダーソン)の新作もまた差し出しているようで見比べのお愉しみに乞うご期待。
(川口敦子)





